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待ち時間。駅や空港での待ち時間には、出来るだけ書籍コーナーに立ち寄る。 [推薦本コーナー]

待ち時間。駅や空港での待ち時間には、出来るだけ書籍コーナーに立ち寄る。意外な本と出会う可能性がある。このたび、青森空港内の書籍コーナーで見つけた2冊。日々の歳時記は、一日毎に解説が記述されている。孤愁は、明治時代の神戸駐在ポルトガル領事だった、ヴィンセスラオ・デ・モラエスの物語を、新田次郎・藤原正彦親子が連著している。

Posted by 清水 正弘 on 2015年10月7日

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旅の整理運動。言ってみれば、旅の後味を賞味するということであろうか。 [推薦本コーナー]

清水 正弘さんの写真

旅の整理運動。言ってみれば、旅の後味を賞味するということであろうか。

遠野物語の舞台を巡るプログラムを終了し、ホームグランドに戻る。一服したのち、今度は海路にて松山へと向かう。

明日は、ジオパーク室戸岬にての養生プログラム。遠野では、極めて少人数での実践であったが、室戸岬は20名を超えているらしい。

...

遠野の土の香りを忘れない為の、頭の整理運動。上段左二冊の著者、沖浦先生とは、インドネシアの僻地を毎年同行踏査していた時期がある。

その沖浦先生のご専門は、日本の遊行者やサンカなど、柳田国男氏の表現では、常民ではない「 山人 」たちである。

これらの書物や遠野物語などからも、日本でもものの50年〜100年ほど前には、土地に定住せずに人生の殆んどを移動や、旅の空で費やしていた人たちがいたのである。

常民と称せられた、主に里に住む農民の人たちの、自然との共生への努力には偉大なものがあるだろう。

それとは対極にある、山人ら、定住地を持たず、山野を彷徨していた集団が有していた、自然との共生する為の智慧からも、深い学びがあるはずだと常に思うのである。


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里地・里山を歩こうパート2の案内 [推薦本コーナー]


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里地・里山を歩こうパート1の案内 [推薦本コーナー]


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里地里山を歩く vol02 [推薦本コーナー]

里地里山を歩く vol02
自分自身の出身地である姫路市。そこの名刹である。

里地里山を歩く vol02
自分自身の出身地である姫路市。そこの名刹である。


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里地里山パート2 の掲載ラインアップ [推薦本コーナー]

里地里山パート2 の掲載ラインアップ
番外編リスト。
早ければ来月末には発売できるか・・??

里地里山パート2 の掲載ラインアップ
番外編リスト。
早ければ来月末には発売できるか・・??


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里地里山を歩く [推薦本コーナー]

里地里山を歩く
久方ぶりの地図集案内。
今週から来週にかけてが最終校正段階となってくる。
しかし、明後日から2日間、筑波山への遠征がある。
同じ百名山の仲間、四国徳島の剣山

里地里山を歩く ぱーと2
久方ぶりの地図集案内。
今週から来週にかけてが最終校正段階となってくる。
昨日まで2日間、筑波山への遠征があった。
同じ百名山の仲間、四国徳島の剣山


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里地里山パート2 の掲載ラインアップ [推薦本コーナー]

里地里山パート2 の掲載ラインアップ
四国四県版リスト。
早ければ来月末には発売できるか・・??

里地里山パート2 の掲載ラインアップ
四国四県版リスト。
早ければ来月末には発売できるか・・??


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里地里山パート2 の掲載ラインアップ [推薦本コーナー]

里地里山パート2 の掲載ラインアップ
広島県版19個リスト。
早ければ来月末には発売できるか・・??

里地里山パート2 の掲載ラインアップ
広島県版19個リスト。
早ければ来月末には発売できるか・・??


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里地里山を歩く vol2 [推薦本コーナー]

里地里山を歩く  vol2
抜粋紙面ー東郷山四本杉。

里地里山を歩く vol2
抜粋紙面ー東郷山四本杉。


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3月初旬に上梓する、里地里山を歩こう vol2 の巻頭文である。 [推薦本コーナー]

里へ還ろう。
 
里とは不思議な言葉である。「土」という文字の上に「田」がのっかかっているようだ。「土」とは万物の源のひとつであり大地の持つエネルギーといってもいいだろう。その上に「田」という人の営み風景がのっかかるのである。すなわち、「里」とは、自然界の土俵の上でなされる人間の営み世界と思うことができる。
 
古来より日本の各地においては、山、森、巨木、岩、泉、滝、島、岬などには「タマ=霊」や「カミ=守」が宿るとされ自然崇拝の対象ともなってきた。里地や里山、里海とは、人間の俗なる日常と聖なる非日常とが入り混じる生活の場であると同時に、「浄めの場」や「癒しの場」でもあったのである。
 
虚心になり森羅万象の恵みの中で歩いていると、体中から娑婆気が抜け山野の香気に全身が洗われる気がする時がある。自然界のささやかではあるが、営々と続いている大いなる命のハーモニー風景に出逢うことにより、身体の隅々にある微細な細胞群が喜びに溢れているのが体感できる。その命のハーモニー風景との出逢いとは、ちょっとした刹那で起きる偶発的瞬間なのである。
 
このように自然界からの恵みを受けながら歩くことは、「見る」「聞く」「匂う」「味わう」「感じる」という五感を新たに研磨できるだけでなく、「何かに包まれる」や「何かとつながる」、といった六番目以降の感覚に気づく機会を与えてくれるのかもしれない。里地・里山・里海・里森といった「里」という文字の付く土地は、大切な何かについての気づきの場ではないだろうか。
 
第一巻では「物語が息づく場所」としての里地・里山の舞台を、中国五県を中心に60コース紹介した。今回は、その背景条件に加えて、「何かに気づかされる場所」、「何かに包まれる場所」そして「何かとの繋がりを感じられる場所」としての里地・里山の舞台を、中国・四国地方を中心に82コース紹介している。
ーーーー
3月初旬に上梓する、里地里山を歩こう vol2 の巻頭文である。

里へ還ろう。

里とは不思議な言葉である。「土」という文字の上に「田」がのっかかっているようだ。「土」とは万物の源のひとつであり大地の持つエネルギーといってもいいだろう。その上に「田」という人の営み風景がのっかかるのである。すなわち、「里」とは、自然界の土俵の上でなされる人間の営み世界と思うことができる。

古来より日本の各地においては、山、森、巨木、岩、泉、滝、島、岬などには「タマ=霊」や「カミ=守」が宿るとされ自然崇拝の対象ともなってきた。里地や里山、里海とは、人間の俗なる日常と聖なる非日常とが入り混じる生活の場であると同時に、「浄めの場」や「癒しの場」でもあったのである。

...

虚心になり森羅万象の恵みの中で歩いていると、体中から娑婆気が抜け山野の香気に全身が洗われる気がする時がある。自然界のささやかではあるが、営々と続いている大いなる命のハーモニー風景に出逢うことにより、身体の隅々にある微細な細胞群が喜びに溢れているのが体感できる。その命のハーモニー風景との出逢いとは、ちょっとした刹那で起きる偶発的瞬間なのである。

このように自然界からの恵みを受けながら歩くことは、「見る」「聞く」「匂う」「味わう」「感じる」という五感を新たに研磨できるだけでなく、「何かに包まれる」や「何かとつながる」、といった六番目以降の感覚に気づく機会を与えてくれるのかもしれない。里地・里山・里海・里森といった「里」という文字の付く土地は、大切な何かについての気づきの場ではないだろうか。

第一巻では「物語が息づく場所」としての里地・里山の舞台を、中国五県を中心に60コース紹介した。今回は、その背景条件に加えて、「何かに気づかされる場所」、「何かに包まれる場所」そして「何かとの繋がりを感じられる場所」としての里地・里山の舞台を、中国・四国地方を中心に82コース紹介している。


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浄土寺展望台 [推薦本コーナー]

清水 正弘さんの写真
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何かに包まれる場所。 [推薦本コーナー]

何かに包まれる場所。
島根県飯南町編。

何かに包まれる場所。
島根県飯南町編。


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道後山 [推薦本コーナー]

清水 正弘さんの写真
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早くも、里地里山歩きvol02 の地図校正が上がってきた。 [推薦本コーナー]

早くも、里地里山歩きvol02 の地図校正が上がってきた。
その3  国東半島・田染荘

早くも、里地里山歩きvol02 の地図校正が上がってきた。
その3 国東半島・田染荘


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早くも、里地里山歩きvol02 の地図校正が上がってきた。 [推薦本コーナー]

早くも、里地里山歩きvol02 の地図校正が上がってきた。
すべて私が書いた下絵に、校正文字を挿入しているスタイルとなっている。
あらたにデザイナーを入れていないので、なんとも嬉し恥ずかしではあるな。

早くも、里地里山歩きvol02 の地図校正が上がってきた。
すべて私が書いた下絵に、校正文字を挿入しているスタイルとなっている。
あらたにデザイナーを入れていないので、なんとも嬉し恥ずかしではあるな。


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『里地里山を歩こう パート2 82コース』・『辺』のある風景を歩く(仮題)  [推薦本コーナー]

本日出版社と詰めの打ち合わせの結果、『里地里山を歩こう パート2 82コース』は来年3月頭に店頭に並ぶ予定となった。年明けに校正をおこない、表紙案も出てくる予定。ちょっと一息かな。

また、その次なる本のコンセプトをプレゼンしたところ、好感触である。出版社側にて書店の感触を確かめた後、早ければ2,3月くらいから原稿書きに入るかもしれない。とすると早ければ来年6月くらいの店頭販売か・・。

『辺』のある風景を歩く(仮題) 

こんなタイトルになれば我が意を得たりだが・・。

本日出版社と詰めの打ち合わせの結果、『里地里山を歩こう パート2 82コース』は来年3月頭に店頭に並ぶ予定となった。年明けに校正をおこない、表紙案も出てくる予定。ちょっと一息かな。

また、その次なる本のコンセプトプレゼンしたところ、好感触である。出版社側にて書店の感触を確かめた後、早ければ2,3月くらいから原稿書きに入るかもしれない。とすると早ければ来年6月くらいの店頭販売か・・。

『辺』のある風景を歩く(仮題) 

...

こんなタイトルになれば我が意を得たりだが・・。


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下記は、里地里山vol02に掲載する四国のとある森林セラピーの森へのガイダンス文章である。実用的なものではなく、あくまで主観的な情景描写のガイダンス文章にした。 [推薦本コーナー]

 

下記は、里地里山vol02に掲載する四国のとある森林セラピーの森へのガイダンス文章である。実用的なものではなく、あくまで主観的な情景描写のガイダンス文章にした。

他人にその場所を推薦する場合、自分自身が魅了された情感をいかに表現するかが問われる。特にこのセラピーの森は、場所のみならず関与するヒトにも魅了されたのであるから、なおさらである。
ーーーー

この森林セラピーロードは、水田を潤す為の水路沿いにある。地元の人たちが100年以上の長きにわたり、手作業にて維持管理してきた痕跡が各所に見られる。

その丁寧な手作業の温もり感が、木の香りとともに森の中から伝わってくるのである。新緑の時期の水路では、新鮮若葉の影が水面で細かく揺れている。秋には、色とりどりの落ち葉が浮き沈みしながら、幅60センチほどの水路を流れていくのである。

そのさまは、まるで緩やかに流れてゆく着物の帯を見ている気分である。セラピーロードの標高差はわずかしかなく、平均勾配率は0.6%。地元の関係者が測定した水の流れるリズムは、胎児が感じる母体の羊水のそれと似ていると聞いたことがある。

この森に佇み、水の音に耳を澄ませながら、自分の命の歴史を辿る小旅行に出かけてみてはいかがだろう。この道はぜひ、地域の森林セラピーガイドと一緒に歩いてもらいたいのである。地域のことや森のことを熟知しながらも、決して押しつけがましくなく、いつも柔和な表情を絶やさない人に出会えることだろう。


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下記は、5年前に出版した、里地里山vol01に掲載した投入れ堂の原稿である。改めて見直してみると、実用的なきらいがあり過ぎる。昨今では、ネットで実用的情報詳細は、映像を含めて幾らでも入手可能である。 [推薦本コーナー]

 

下記は、5年前に出版した、里地里山vol01に掲載した投入れ堂の原稿である。改めて見直してみると、実用なきらいがあり過ぎる。昨今では、ネットで実用的情報詳細は、映像を含めて幾らでも入手可能である。

来春発刊予定のvol02にては、出来るだけ実用的情報よりも、情景的描写にチカラを注いだ。読んだ人の頭の中に、その場所の美しさや温かさが湧いてくるような描写文章に心掛けたつもりである。
ーーーー
里山里地の区別:里地     
タイトル上のリーダー:  修験道の山
タイトル:三徳山・三仏寺投入堂                           
場所:鳥取県東伯郡三朝町
サブタイトル:断崖絶壁にある類を見ない木造建築物を訪ねて

その他の魅力:修験道の山であるので、登る道が非常に変化に富んでいる。木の根っこや鎖などをつかみながら登ったり
する。怖がりの人は、山麓の伽藍群のあたりまでにしておいたほうが無難。
          
コースデーター 

徒歩総時間:2 時間     
楽しめる期間:4月~ 11 月     
おススメの季節:新緑の5月、紅葉の11月

コースの特徴:三仏寺の本堂裏手にある入山事務所にて登拝の申請が必要である。結界を示す赤い扉から修験道の世界へ入域する。

屹立する杉の巨木は、幽玄世界への入り口にいる門番のようでもある。登り始めから約30分が結構きつい。急勾配の坂道が連続し、木の根っこをつかみながらでないと歩けない場所も出てくる。
         
傾斜が緩やかになる頃から、両サイドにはブナの木が顔を出し始める。文殊堂手前からは道は岩場の中へと変化してゆき、ごつごつとした雰囲気の中を歩くことになる。

下から見ると、文殊堂の建物も空中に浮かんでいるかのように見える。文殊堂直下の岩肌の道は、結構急斜面なので慎重に進みたい。また、文殊堂へは鎖場のルートと巻き道とがある。

修行が目的であれば、鎖場ルートを通過するのもいいが、身を確保するものはなく、気を抜くと真っ逆さまに落下する可能性があるので、ここは無難に巻き道を進みたい。
         
文殊堂まで上がれば、「濡れ縁」と呼ばれ建物を一周しながら、展望を楽しむこともできるが、柵も何もなく、少々角度が下に傾いているので、ここでも落ちれば命の保証はないので慎重さが要求される。

文殊堂からは、特に危険というほどでもないが、馬の背、牛の背を呼ばれる岩の上を歩く場所を通過する。やがて前方左手が開けてきて大きな岩がオーバーハングしている場所に出る。

その大岩の下には、納経堂と観音堂がある。ここまで来れば投入堂までは至近距離になっている。観音堂の裏手を回り込む道(胎内くぐりと称せられる)を進むと、小さな祠の元結堂の前を通過することになる。そして、岩を時計周りに回り込むと、前方の絶壁に国宝に指定されている、投入堂が見えてくる。

いつ訪れてもこの建物の持つ存在感に圧倒される。入り口からの標高差は200m、そしてコースの全長は700mと数字上だけで判断すると安易そうに見えるが、その内容は非常に困難な場面が多い道である。


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著作で伝える日本の養生プログラム。 [推薦本コーナー]

著作で伝える日本の養生プログラム。
2010年の10月に、写真のような表紙の本を上梓した。現在、この第二弾の出版に向けて準備中である。今週からは、本格的な執筆活動に入っていく。しばらくは、丹念にフェイスブックをチェック、アップすることができなくなっていく。今回は、中四国を中心に80を超えるコースを記載する予定。これまで私が実践してきた各地でのプログラムの様子などを写真にて紹介するスタイルである。

第一弾の内容と同じく、単純な登山・自然案内ガイド本に終わることなく、里地・里山の魅力再発見へのリード本として活用してもらえるような構成である。

著作で伝える日本の養生プログラム。
2010年の10月に、写真のような表紙の本を上梓した。現在、この第二弾の出版に向けて準備中である。今週からは、本格的な執筆活動に入っていく。 

今回は、中四国を中心に80を超えるコースを記載する予定。これまで私が実践してきた各地でのプログラムの様子などを写真にて紹介するスタイルである。

第一弾の内容と同じく、単純な登山・自然案内ガイド本に終わることなく、里地・里山の魅力再発見へのリード本として活用してもらえるような構成である。


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書物で伝える日本の養生指針 [推薦本コーナー]

写真: 書物で伝える日本の養生指針
哲学者・内山節さんの著作集告知板

ようやく、と言うべきなのだろうか、それとも、「え?こんなに早く? まだ60歳代前半なのに・・・」と言うべきなのかは、別問題としても拍手喝采的出来事である。今までの著作に加えて、講演録や学会提出論文なども収録されているという。

書物で伝える日本の養生指針
哲学者・内山節さんの著作集告知板

ようやく、と言うべきなのだろうか、それとも、「え?こんなに早く? まだ60歳代前半なのに・・・」と言うべきなのかは、別問題としても拍手喝采的出来事である。今までの著作に加えて、講演録や学会提出論文なども収録されているという。


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写真家であり、極北の魂の探求者・星野道夫氏著作 [推薦本コーナー]

写真: シリーズ・研究所の書棚から
写真家であり、極北の魂の探求者・星野道夫氏著作

シリーズ・研究所の書棚から
写真家であり、極北の魂の探求者・星野道夫氏著作


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シリーズ・研究所の書棚から [推薦本コーナー]

写真: シリーズ・研究所の書棚から
哲学者・内山節氏の最新刊本であるが、正直これまでの氏の著作本に比すると、今一インパクトに欠ける。

 シリーズ・研究所の書棚から
哲学者・内山節氏の最新刊本であるが、正直これまでの氏の著作本に比すると、今一インパクトに欠ける。


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シリーズ・研究所の書棚から [推薦本コーナー]

写真

 シリーズ・研究所の書棚から


癒しの日本文化誌の著者・藤原成一氏による、日本家屋の構造とその民俗的背景論。森林に関わる事業経営・運営者、林業関係者のみならず、中山間地域活性化に関わる人たちにとっては、必読本ではないだろうか。それでなく、日本文化の基軸となる機構としての「家屋」の新たな捉え方への視座を養うことができる。


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小川洋子さんの本です。小川さんは、岡山県在住の作家です。「博士の愛した数式」などは、映画化もされていますね。 [推薦本コーナー]

写真: シリーズ・研究所の書棚から

小川洋子さんの本です。小川さんは、岡山県在住の作家です。「博士の愛した数式」などは、映画化もされていますね。

本屋でたまたま、そのタイトルにひかれて購入したのですが、一気に読み下しました。ここ10数年来、とみに思うのは、「物語ーものがたり」ということです。人生にも、対人関係にも、なんにでも「物語」が存在します。人間である限り、自分で考え、悩み、そして、自分のオリジナルの言葉で自分を表現したりしていると、必ずそこには「考える過程-プロセス」の蓄積がおこなわれます。

その「物事を考えたプロセスの蓄積」が、自分自身オリジナルの「ドラマ」を生むのではないかと思うのです。もっと、簡単にいうと、「自分の身体や思考」を通した「生の体験」の蓄積が「自分自身のオリジナルの人生物語」である、ということでしょうか・・。

現代の私たちの周りを見ていますと、「自らの体験や思考」を放棄できる環境がいくらでも存在しています。インターネットでは、バーチャルな世界がすぐに目の前に展開します。

50年くらい前までは、「家業」という言葉がありましたが、現在では、「誰でもができる仕事」があまりにも多くなりすぎています。コンビニエンスな社会とは、体験や思考までコンビニエンスやファーストフード化してはいないかと疑問に感じます。

自分自身の生の体験から紡いできた「言葉」や「表現」は、他者に対して、重く深く響きます。それは、紡ぐ過程において、悩み、苦しみ、右往左往して自分自身を絶えずシャッフルしているからなのでしょうね。

この「シャッフル作業」をせずに、「他人の言葉や表現」を借りて、その場しのぎだけのコミュニケーション手段として利用する人に、いとも簡単に騙される人があまりにも多いのはなぜなのでしょうか?

その場しのぎの、いわば、風見鶏的な、いつも人真似だけの人生は、あまりにも寂しいものがあります。というのも、その人の人生には、「物語」が感じられないからなのです。

「物語」を持たない人からの、上澄み液のような薄い内容のない言葉に、いとも簡単に騙されてしまうのは、やはり現代社会に「実をもった物語」があまりにも少なくなっており、その真実性を見極める眼力が社会から失われていることにも原因があるのでしょう。いかがわしい宗教性をもった勧誘などもそのひとつでしょう。

手仕事が多かった時代、世界のどこの国でも、その生の体験から生み出された「物語」がありました。その代表格が、伝説になったり、昔物語になって継承されたりしたのです。「百姓」という言葉は、「百の仕事をする人」という解釈もできます。百姓とは、自分の身の回りのことは、なんでも自分で考え、自分で解決してきた人のことでした。

私たちは、もっと日常生活の中に、「自分自身の物語」を「復活」させる必要があるのではないかと思うのです。人工物の中に囲まれた生活環境では、その物語の復活は困難さを伴います。なぜかというと、そこには、「計算された合理性」は存在しますが、「予測されない、ハプニング」は存在しないからなのです。

予測されないハプニングに対して、どれだけ自分自身のこれまでのシャッフル体験で、そのハプニングにアドリブで対応できるか・・、それが、「物語」の奥深さではないでしょうか。 と考えると、予測不可能な自然環境の中に身を浸す行為というのは、自分自身の物語再構築への序章なのかもしれません。(代表)

 小川洋子さんの本です。小川さんは、岡山県在住の作家です。「博士の愛した数式」などは、映画化もされていますね。

本屋でたまたま、そのタイトルにひかれて購入したのですが、一気に読み下しました。ここ10数年来、とみに思うのは、「物語ーものがたり」ということです。人生にも、対人関係にも、なんにでも「物語」が存在します。人間である限り、自分で考え、悩み、そして、自分のオリジナルの言葉で自分を表現したりしていると、必ずそこには「考える過程-プロセス」の蓄積がおこなわれます。

その「物事を考えたプロセスの蓄積」が、自分自身オリジナルの「ドラマ」を生むのではないかと思うのです。もっと、簡単にいうと、「自分の身体や思考」を通した「生の体験」の蓄積が「自分自身のオリジナルの人生物語」である、ということでしょうか・・。

現代の私たちの周りを見ていますと、「自らの体験や思考」を放棄できる環境がいくらでも存在しています。インターネットでは、バーチャルな世界がすぐに目の前に展開します。

50年くらい前までは、「家業」という言葉がありましたが、現在では、「誰でもができる仕事」があまりにも多くなりすぎています。コンビニエンスな社会とは、体験や思考までコンビニエンスやファーストフード化してはいないかと疑問に感じます。

自分自身の生の体験から紡いできた「言葉」や「表現」は、他者に対して、重く深く響きます。それは、紡ぐ過程において、悩み、苦しみ、右往左往して自分自身を絶えずシャッフルしているからなのでしょうね。

この「シャッフル作業」をせずに、「他人の言葉や表現」を借りて、その場しのぎだけのコミュニケーション手段として利用する人に、いとも簡単に騙される人があまりにも多いのはなぜなのでしょうか?

その場しのぎの、いわば、風見鶏的な、いつも人真似だけの人生は、あまりにも寂しいものがあります。というのも、その人の人生には、「物語」が感じられないからなのです。

「物語」を持たない人からの、上澄み液のような薄い内容のない言葉に、いとも簡単に騙されてしまうのは、やはり現代社会に「実をもった物語」があまりにも少なくなっており、その真実性を見極める眼力が社会から失われていることにも原因があるのでしょう。いかがわしい宗教性をもった勧誘などもそのひとつでしょう。

手仕事が多かった時代、世界のどこの国でも、その生の体験から生み出された「物語」がありました。その代表格が、伝説になったり、昔物語になって継承されたりしたのです。「百姓」という言葉は、「百の仕事をする人」という解釈もできます。百姓とは、自分の身の回りのことは、なんでも自分で考え、自分で解決してきた人のことでした。

私たちは、もっと日常生活の中に、「自分自身の物語」を「復活」させる必要があるのではないかと思うのです。人工物の中に囲まれた生活環境では、その物語の復活は困難さを伴います。なぜかというと、そこには、「計算された合理性」は存在しますが、「予測されない、ハプニング」は存在しないからなのです。

予測されないハプニングに対して、どれだけ自分自身のこれまでのシャッフル体験で、そのハプニングにアドリブで対応できるか・・、それが、「物語」の奥深さではないでしょうか。 と考えると、予測不可能な自然環境の中に身を浸す行為というのは、自分自身の物語再構築への序章なのかもしれません。


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