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遠野での養生プログラム。

 オシラサマという民間信仰の神様です。伝承によると、村の美しい乙女が、家の馬に恋をしてしまうが、モチロン叶わぬ恋路となり悲恋の物語となります。

南部藩の曲がり屋の家屋構造では、馬屋が家屋内にあり、家族同然の扱いだったからこそ、この物語が生まれているのでしょうね。
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これからのネパールへ。その59

清水 正弘さんの写真

Photo from beautiful place in Nepal
これからのネパールへ。その59
この星にある、『麗しい場所』の継承へ。シリーズvol17
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生き神様がいる国・ネパール。
ヒマラヤなどの大自然が注目を浴びるが、その麓に暮らす人々の営み風景にも、現代のお伽話のような世界がまだ現存しているのである。まさに、『 神話と伝説に彩られた国  』である。

生き神様・クマリの選ばれ方(ウイキペディアより)
※明日は、クマリの役割について紹介しよう。

クマリは初潮前の幼い少女から選ばれ、その中から多くの条件が課される。これはチベット仏教の活仏であるダライ・ラマやカルマパらが選定されるプロセスに似ている。 家柄は重要であり、ネワール族の仏教徒の僧侶・金細工師カーストのサキャ(Shakya)の生まれでなければならない。

以下は32もある条件の一部である。

健康である
すべての歯が欠けていない
菩提樹のような身体
牛のような睫毛
獅子のような胸
鹿のような脚
アヒルのように柔らかく透き通った声
黒い髪と目

また、身体的には怪我の跡や不自由な箇所がないことも条件である。 動物の頭部が並べられた暗い部屋に閉じ込められて耐えることも必要とされる。 国や国王との占星術における相性が良く、これらすべての条件をクリアした少女がクマリとなる。


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遠野での養生プログラム。

遠野での養生プログラム。まずは、遠野物語の土壌を創った江戸時代以前の面影巡りから。

遠野最古の建築物、多賀神社。鍋山城址、城址からの遠野遠望。

 


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遠野での養生プログラム。

清水 正弘さんの写真

遠野での養生プログラム。まずは、遠野物語の土壌を創った江戸時代以前の面影巡りから。

遠野最古の建築物、多賀神社。鍋山城址、城址からの遠野遠望。


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東北・遠野でのプログラム・レポート

清水 正弘さんの写真

遠野にての養生プログラム。いよいよ明日は、朝から遠野の郷を、自転車にての物語巡り。

遠野の郷は、丁度二輪での移動が一番似合う土地ではないだろうか。

物語に出てくる場所とともに、来年予定している花の名山・早池峰山にも挨拶をして来たいという希望が出た。

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さて、明日の遠野は爽やかな天気になりそうだ。西日本の人達には申し訳ないが、気ままな二輪の旅を楽しみたいものだ。

清水 正弘さんの写真


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東北被災地を巡るレポート

清水 正弘さんの写真

三陸鉄道 吉浜湾。夕暮れ時のリアス式海岸鑑賞の為、速度を落としての列車走行となる。


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これからのネパールへ。その54.

 これからのネパールへ。その54.
この星にある、『麗しい場所』の継承へ。シリーズvol12
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日本の梅雨とヒマラヤ山脈とは、深い縁で結ばれている。稲作文化には必須である降雨季節=梅雨は、ヒマラヤ山脈が生みの親とも言えるのである。それは、8000メートル級の山々が連なるヒマラヤ山脈は、ジェット気流(上空の強い西風)の流れに影響を与える。イラスト図のように、そのジェット気流が基となり、梅雨前線が形成されるのである。

世界最高峰エベレスト(8848m)の世界では、8000m以上は『デスゾ―ン』と呼ばれている。あらゆる生命体が存在し得ない環境下にあるからである。もちろん、氷点下数十度の気温、そして平地の半分以下という酸素濃度もその背景にはある。しかし、それ以上に風速数十メートルを超すジェット気流という爆風が吹き荒れる。

そのジェット気流が、日本の四季変化の生みの親のひとつであることは、知っておいた方がいいだろう。4月25日に発生したネパール大地震は、その生みの親であるヒマラヤ山脈が胎動したのであるから。


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東北被災地を巡るレポート

清水 正弘さんの写真

三陸鉄道 吉浜湾。夕暮れ時のリアス式海岸鑑賞の為、速度を落としての列車走行となる。


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東北被災地を巡るレポート

清水 正弘さんの写真

三陸鉄道


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東北被災地を巡るレポート

気仙沼から大船渡までのルートは、一部鉄路を舗装した道を電気バスの運行である。その途上に、奇跡の一本松がある。バスのルート上に名前の記載がある。


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これからのネパールへ。その55 .

清水 正弘さんの写真

これからのネパールへ。その55 .
この星にある、『麗しい場所』の継承へ。シリーズvol12
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多くの人がすでに知っていることではあるが、世界の屋根と呼ばれるヒマラヤ山脈のある場所は、その昔、『 海 』だったのである。それを、証明してくれるのが、ヒマラヤ山中から多量に出土してくる、アンモナイトの化石群である。

アンモナイトは、古生代シルル紀末期から中生代白亜紀末までのおよそ3億5,000万年前後の間を、海洋に広く分布し繁栄した、頭足類の分類群の一つ、とされている。といっても、3億5千万年前など、人間の創造範囲を超えている。

そんな地球創生記の物語を、遥か昔には海の底に生きていた巻貝の化石が、現在では世界の屋根と呼ばれるヒマラヤ山中にて、『無言の証言者』として、億万年を超す沈黙の時空を旅しているのである。

このアンモナイトの存在だけでも、ヒマラヤのあるネパールという国が、地球史上もっとも麗しい場所のひとつであることに疑問の余地はないであろう。


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東北被災地を巡るレポート

陸前港駅〜歌津駅間には、鉄路がそのまま代行バスの走行路として舗装されている区間がある。

鉄路復活の可能性は、潰えているのだろうか


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東北・被災地巡りレポート

清水 正弘さんの写真

陸前港駅〜歌津駅間には、鉄路がそのまま代行バスの走行路として舗装されている区間がある。

鉄路復活の可能性は、潰えているのだろうか


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東北・被災地巡りレポート

清水 正弘さんの写真

石巻から気仙沼へは、この柳津駅から代替バスの運行である。まだ、沿岸部の鉄路は通じていない。気仙沼までバスにて2時間半。

今日は、気仙沼から大船渡、そして三陸鉄道を経由し、釜石から遠野入りの予定である。


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東北・被災地巡りレポート

清水 正弘さんの写真

石巻から気仙沼へは、この柳津駅から代替バスの運行である。まだ、沿岸部の鉄路は通じていない。気仙沼までバスにて2時間半。

今日は、気仙沼から大船渡、そして三陸鉄道を経由し、釜石から遠野入りの予定である。


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遠野での養生プログラム。

栁田国男の書斎を再現。


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東北・被災地でのプログラム・レポート

清水 正弘さんの写真

東北の被災地を巡り思う。

昨日一日をかけて、仙台、石巻、女川、気仙沼、大船渡、釜石を巡った。

どこも海岸線では、高い土盛りが海面への視界を遮る。見えるものの多くは、首を振る重機や、土煙りを上げて走るダンプなど。

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山手の麓には、明らかに昭和に建てられた家屋が残る。ただ、海に近い場所には、築4年未満の新築家屋が並ぶ。

風景にラインを引かれたように、境界が生まれている。住民の方のみならず、訪問者もやり切れない気持になる。

昨年夏に起きた、広島市内での土砂災害時でも、ある道路を境に、風景が別のものとなった。

阪神淡路震災では、発生後4年くらいになると、風景の中に、震災被害を感じるものが少なくなっていった。

東北震災は、被災場所が広範囲に渡り、近接に大都市圏がないのも阪神淡路とは異なるだろう。しかし、東北は、まだまだ新しい風景が完成するまでには時を要するだろう。

今回の再確認は、それだけではなかった。意外にも、震災の土地を巡る人の中に、中高年男性の姿を多く見た。それも全て単独の旅。

ボランティアではなく、風景を確認するかのような、ひとり歩きである。こんな所にいたんだ、と何か小さな感動があった。

国内外の山岳地域や、観光地などは、年齢を問わず女性パワーが席巻している。男性、それも、中高年男性の姿を、どこで探したらいいのか疑問であった。

単独でもいい、いや、むしろ一人旅のほうがいい。平日の被災地をカメラ片手に、何日かを歩き巡りながら、経済的な還元効果をもたらしている。

同時に、撮影した風景をSNSなどにて発信し、帰宅後は家人や隣人に現状を伝えていくことは、マスメディアには出来ない、アリの目線からのメッセージである。

『 忘れない 』 ということが、被災地にとって一番大事な復興への側面サポートであることは、20年の歳月が経過した、阪神淡路震災をはじめ、発生からの経過年数すら忘れてしまっている国内外で発生した被災地のことを思うたびに感じることである。

清水 正弘さんの写真


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これからのネパールへ。その57

清水 正弘さんの写真

 これからのネパールへ。その57
この星にある、『麗しい場所』の継承へ。シリーズvol15
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なんでもない山村の土間である。しかし、この一枚の写真から多くのことを読み取れるかもしれない。ここは、標高2000m前後のヒマラヤ山麓の小さな集落。

たまたま、食事の準備時間に、『隣の昼ご飯!』訪問をした際の撮影である。まず、土間の中心部に簡潔な穴があり、そこで裏山から取ってきた薪や小枝を燃料とする簡易竈がしつらえてある。

食事の準備をしているのは、まだ10代半ばの少女であるが、手慣れた動作で火の周りを処理していく。食材は、すべてこの家の周囲にある畑などの土から収穫したものであった。

土間への明かりは、竈の火と漆喰の壁にある窓からである。もちろん、家屋もこの家の住人もしくは、先代たちによる、まさにホームメイドである。

ということは、この少女は家族の昼食を、市場で買ってきた鍋、ヤカンを除いて、すべて家の周囲にあるものでお膳立てしているのである。もちろん、水は山からの天然水である。

この集落も4月25日の大地震で大きな被災を受けているはずである。ただ、この家では震災による被災からの立ち直りは、やはり『家の周囲のもの』からその原材料を得ているはずだろう。

電気やガス、水道などのいわゆる『便利なもの』で囲まれた社会での被災は、その復興途上で『自分たちだけの努力』ではいかんともしがたい分野がある。

しかし、日常生活を『自分の家のまわり』からの収穫物で賄い、公共サービスに頼らず、家族や地域の見えないセーフティネット網の中で暮らす生活ではどうであろうか・・。

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マタギ-森と狩人の記録

清水 正弘さんの写真

ブナ林に関しての考察。

一昨日、広島県庄原市の里山をガイディングした。神話の里山を歩こう、というタイトルのものであった。イザナミの命の墳墓という説のある、比婆山御陵への参詣道であったルートである。その帰路に、県内有数のブナ林を通過した。その際、幸運なことに、小雨模様となった。霧がかかるブナ林というのは、なんともいえない神秘的な空間を演出してくれるのである。

そのブナ林は、生態系の宝庫ともいえる。食物連鎖の最終ランドにいるツキノワグマもその恩恵を享受している。そして、東北の地では、その白神山地などのブナ林で、マタギとオヤジ(熊)の格闘が繰り広げられた歴史がある。

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マタギの教え、というのに惹かれて、阿仁集落を訪れたことがある。現代人にとっての『森と人』『自然と人間』の折り合いの付け方を考える際に、これら森の中で生きてきた山人(マタギ、修験者、忍びのもの、サンカ、杣人、タタラ集団、木地屋など)たちの智慧から学ぶものは多いと思っている。

柳田国男氏の『遠野物語』に出てくる物の怪(常民=農民からみての)のような集団は、おそらくや「土地に根づかない、森を移動する山人」なのであろう。遠野物語の冒頭部分には、『 国内の山村にして、遠野よりさらに物深き所には、また無数の山神山人の伝説あるべし。願わくばこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。』とある。

遠野よりさらに物深き所・・・、そこには『ブナ林』が広大に広がっている森がある。広島県の神話の里にも、有数のブナ林が展開しているのである。ブナ林とは、そんな『 平地人を戦慄せしめる 』くらいの慄然とした世界があり、現代の悩める時代の処方箋ともなるヒントの多くが、『物語』や『伝記』、『昔話』として残っている世界なのである。

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「伝説のシカリ・鈴木松治」

穴にこもったクマを撃たせたら、この人の右に出る者はいない。彼が仕留めた多くのクマは、一発で頭を撃ち抜かれていたので「頭撃ちの松」と呼ばれた伝説のシカリである。昭和62 年、田村高広主演の映画「イタズ-熊-」では、マタギの演技指導を行った。また、第20回マタギサミットin阿仁の表紙を飾ったのも、故鈴木松治さん(阿仁打当)であった。

故鈴木松治さんの言葉・・・「山っていうものは教わるっていうよりも一緒に歩ぐうちに一人でに覚えてぐものな・・・とにかく、山歩いて体で覚えるしかねぇんだ。経験積むこどが一番大事だべ。それと、自分で考えねぇとだめだ。」

マタギの里・北秋田市の木は、もちろん「ブナ」・・・この森なくしてマタギ文化もあり得ない。言い換えれば、「ブナの森に生かされた文化」(ブナ帯文化)と言える。

(「マタギ-森と狩人の記録」田口洋美著、慶友社)より。


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これからのネパールへ。その53.

清水 正弘さんの写真

 これからのネパールへ。その53.
この星にある、『麗しい場所』の継承へ。シリーズvol11
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ネパールには、私たちの住む星・地球にある『麗しい場所』の多くが存在している。そして、この地上で最も美のエネルギーが凝縮している場所であるともいえる。そんな『 地上における、もっとも麗しい場所 』の記録は、何世代にもわたって継承していくべきなのかもしれない。このシリーズでは、しばらくは、その麗しい場所の記録を紹介していくつもりである。...

この写真は、とあるロッジの食堂からのショットである。ヒマラヤの街道筋を歩くトレッキングでは、昨今このようなロッジに宿泊するようになっている。30年前に初めてヒマラヤを訪れた頃には、ほとんどの宿泊はテントにてであった。

テントでの宿泊は、居住性という点からは問題はあるが、薄い布地一枚を隔てて外界と接する臨場感が味わえる。また、夜中もテント入口のジッパーを開けるだけで満天の星空世界へと顔をのぞかせることもできた。

ただ、写真のようなロッジは、場所によっては水洗のトイレを備えている所もあり女性には人気となっている。そして食堂の窓を開くと、テーブルに置かれたお花越しに、このようなパノラマを満喫することもできるようになった。

ヒマラヤにあたる朝陽を、この階上のオープンテラスで眺めた後、一日の始まりの食事をこのような空間でとることができる幸せ・・・。これもヒマラヤ山麓トレッキングで味わう、『麗しい場所、そして時間』のひとつである。


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