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お休み前に・・。 [世界の街角から]


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お休み前に [世界の街角から]

写真: :)
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写真で伝える、34年前のオホーツク顛末記 [清水代表に関連する記事]

写真: 写真を整理していたら、懐かしいものが出てきた。
大学時代の探検部合宿時のもの。場所は、北海道のオホーツク沿岸にて。

この合宿は2年連続にておこなった『流氷上歩行横断計画』である。冬の厳冬期になれば、オホーツク沿岸に流氷が流れてくる。その氷の上を歩行にて横断(といっても、夜になれば氷は沖合に流れ出るので、日中だけの行動であるが)といったものである。

ただ、このプロジェクト(2年目)は情けないが、初日に挫折してしまうのである。この写真を撮影したのち、実際に氷の上を歩き始めるのだが、沖合100m付近にて、氷の裂け目にメンバーが落ちてしまうのである。メンバー総勢3名、日替わりにて沖合の氷上を2名が歩き、もう1名は沿岸の陸地を歩き非常時に備える、というものであった。

私は、じゃんけんの結果、初日は沿岸サポートにまわっていた。他の2名が沿岸から沖合に氷上を歩いていく後姿を見送っていた。そして、一時間も経ったであろうか、その後ろ姿が目視できなくなった頃、確認の為にトランシーバーにて往信したのであるが、返信がない・・・。何度も往信するが、それまでには返信があったのに、「ない!」・・・。

私もパニック寸前になりかけ、意を決して氷上へと歩き始めようとしたその矢先、氷上から大きな声で、「お~ち~た~!!」が聞こえてきた。私自身、初めて氷上を歩行することもあり、なおかつ、仲間が落ちた矢先でもあり、さらには、氷の状態を確認する為に持参した長いポール(2名が持っていた)もない状態であるので、一歩一歩がなかなか進まない状態だった。

そんななか、海に落ちた2名がなんとか、氷上に這い上がり、岸へ向かって歩いてくる姿が目に入った。そこで、私は彼らに駆け寄っていった。(そこは不安定な氷上であるのに・・。) そして状況を聞きながら、私の頭の中では、ずぶぬれになって気温零下以下に数分いると、生命の危機が訪れるという遠征前の予習事項が警笛を鳴らし始めた。いかんいかん、早急に体温回復の処置をしなければ・・。その横で2名の全身はガチガチと震え始めている。

まだ、初日ということもあり、最寄りの岸辺からは沿岸を走る国道が視野の中であった。そして、その視野の先に家屋らしきものが見えた。私はその家屋までの距離を確認し、2名を励ましながらその家屋へと急いだ。その家屋は、長距離トラックの運転手の休憩場であった。冬の北海道、それも風の強いオホーツク沿岸であるので、扉はもちろん2重扉。そしてその中は、半袖でもいれるくらいの、強烈な暖房がガンガン状態・・。

ここからは、現場レポートの再現のように書いてみよう。

=====

私が2重扉を開くと、オホーツクからの風雪が、半袖で寛ぐトラック野郎の頬や髪の毛を揺らす。

トラック野郎たちは、まるで西部劇の酒場に賞金稼ぎが現れた時のような、警戒心たっぷりの目線で私を睨む。(もし拳銃があったなら、私はすぐにホールドアップするくらいの、なんじゃコイツ!といった複数の目線を浴びていた)

2重扉というのを、あれほど憎くおもったことはない、と今では回想している・・。

そんなオホーツク沿岸のガンマン・トラック野郎の『ガン飛ばし』を全身に浴びながらも、私は必死になって仲間の状況、そして救援要請を訴えたのである!もちろん、日本語で(多少は関西なまりがあったかもしれないが・・)!!

私は若かった・・。冬の北海道、外気と2重扉の暖房ガンガン室内の温度差について、まったく前知識がなかった・・。というより、その時は必死のパッチであったが・・。

私の口許の口輪筋という筋肉は、外気と内気の温度差により、一気に『緩んでしまっていた』のである。本人の意思以外のところで・・・。

『す、す、すみゅましぇ~む、た、た、ひゃすけて、く、く、くくく・・・。くだひゃい~』『な、な、内地ひゃらきたもんでげす・・・、こお、こお、こおりのうえを、あ、あ、ありゅ、ある、あるいていたら・・』

今から思い出すと、確かにロシア語にも聞こえたかもしれない・・と反省している。そんなロシア語に近いイントネーションで話す私の格好は、昔の上下とも青色の重たい登山用のヤッケ・・。もちろん、目出し帽(顔は出していたが)状態。

さらに、もっと状況を悪化させたことが発生する。私より遅れてその家屋に入ってきた2名のメンバーの内、一人(その時大学一年生だが2浪していたので、すでに20歳)がなんと、顔中ひげ面であり、そいつのヤッケは、なんと共産党のシンボルカラーである、「真っ赤っか~!!」

どうひいき目に見ても、「ちょっと背の低い、ヤク―ト系のロシア人」・・。そして、2名もしゃべり始めたら、2重扉の呪詛にとりつかれた、イントネーション!!
『お、お、おちまして、スパシーボ~!』『さ、さ、さむくて、サハリン~!』『くち、くち、くちもとが、ガチガチで、何も噛むことが、カムチャッカ~!』なんてことになっていたのである。

さあ、トラック野郎たち、全身に緊張が走るのが、あきらかに、明確に、伝わってくるのである。総立ちになって、われわれ3人を遠巻きにしている。いまにも、酒場で乱闘が始まらんばかり・・・。

私は、さらに言う、「ち、ち、ちがいますねん、ぼくら、内地から来た、ぼんくら大学生ですねん。ロシアや北朝鮮からの亡命者でもなく、また、日本からかの地へ亡命しようとして失敗したわけでもないんです。単なる、お騒がせな、内地のぼんくら大学生なんです~!」

その頃には、ようやく、私の口輪筋は、なんとか、関西なまりを発音できる状態まで原状回復できていたのであった・・・。

まあ、そのあとは、ご想像にお任せする。そう、その通りである。

ストーブで身体の外面を温め、お酒で身体の内面を温めさせてきただきながら、耳元では、トラック野郎たちからの『嘲笑という温かい言葉がけ』をしばらくは拝聴するのである・・。「ナイチの若モンのすること、考えること、わかんね~」

そして我われ3名は、数時間その温かい空気に浸らせていただいたのち、私だけが荷物を背負い(2名の荷物は、冬のオホーツクのアザラシのエサとなったのである)、風雪厳しいオホーツク沿岸の国道を、バス停へととぼとぼ歩いていくのである。その時の心配事は、3名が無事京都まで帰れるだけのマネーが不足していることだった・・。

後日談ではあるが、その不足を補う為に、実は私の知人で北海道出身者の実家に、なんと押しかけ、厚かましくも、泊めていただいた上で、不足分の交通費をお借りしたのである・・・。Y君!すまんかった・・。ご両親にくれぐれもよろしく!

つくづく、若いということは、それだけで、「罪つくり」だということが、今なら十分に理解はできている。まあ、一枚の写真から、冬のオホーツクでの出来事を、数十年ぶりに回想できたことも、なにかのご縁?であろう。この恩返しは、同じような罪作りの若者が、自分の前に突然現れた際には、なんとか出来るだけのことをしてやること、それくらいかな・・・。ちゃんちゃん!!

写真で伝える、34年前のオホーツク顛末記
写真を整理していたら、懐かしいものが出てきた。
大学時代の探検部合宿時のもの。場所は、北海道のオホーツク沿岸にて。

この合宿は2年連続にておこなった『流氷上歩行横断計画』である。冬の厳冬期になれば、オホーツク沿岸に流氷が流れてくる。その氷の上を歩行にて横断(といっても、夜になれば氷は沖合に流れ出るので、日中だけの行動であるが)といったものである。

ただ、このプロジェクト(2年目)は情けないが、初日に挫折してしまうのである。この写真を撮影したのち、実際に氷の上を歩き始めるのだが、沖合100m付近にて、氷の裂け目にメンバーが落ちてしまうのである。メンバー総勢3名、日替わりにて沖合の氷上を2名が歩き、もう1名は沿岸の陸地を歩き非常時に備える、というものであった。

私は、じゃんけんの結果、初日は沿岸サポートにまわっていた。他の2名が沿岸から沖合に氷上を歩いていく後姿を見送っていた。そして、一時間も経ったであろうか、その後ろ姿が目視できなくなった頃、確認の為にトランシーバーにて往信したのであるが、返信がない・・・。何度も往信するが、それまでには返信があったのに、「ない!」・・・。

私もパニック寸前になりかけ、意を決して氷上へと歩き始めようとしたその矢先、氷上から大きな声で、「お~ち~た~!!」が聞こえてきた。私自身、初めて氷上を歩行することもあり、なおかつ、仲間が落ちた矢先でもあり、さらには、氷の状態を確認する為に持参した長いポール(2名が持っていた)もない状態であるので、一歩一歩がなかなか進まない状態だった。

そんななか、海に落ちた2名がなんとか、氷上に這い上がり、岸へ向かって歩いてくる姿が目に入った。そこで、私は彼らに駆け寄っていった。(そこは不安定な氷上であるのに・・。) そして状況を聞きながら、私の頭の中では、ずぶぬれになって気温零下以下に数分いると、生命の危機が訪れるという遠征前の予習事項が警笛を鳴らし始めた。いかんいかん、早急に体温回復の処置をしなければ・・。その横で2名の全身はガチガチと震え始めている。

まだ、初日ということもあり、最寄りの岸辺からは沿岸を走る国道が視野の中であった。そして、その視野の先に家屋らしきものが見えた。私はその家屋までの距離を確認し、2名を励ましながらその家屋へと急いだ。その家屋は、長距離トラックの運転手の休憩場であった。冬の北海道、それも風の強いオホーツク沿岸であるので、扉はもちろん2重扉。そしてその中は、半袖でもいれるくらいの、強烈な暖房がガンガン状態・・。

ここからは、現場レポートの再現のように書いてみよう。

=====

私が2重扉を開くと、オホーツクからの風雪が、半袖で寛ぐトラック野郎の頬や髪の毛を揺らす。

トラック野郎たちは、まるで西部劇の酒場に賞金稼ぎが現れた時のような、警戒心たっぷりの目線で私を睨む。(もし拳銃があったなら、私はすぐにホールドアップするくらいの、なんじゃコイツ!といった複数の目線を浴びていた)

2重扉というのを、あれほど憎くおもったことはない、と今では回想している・・。

そんなオホーツク沿岸のガンマン・トラック野郎の『ガン飛ばし』を全身に浴びながらも、私は必死になって仲間の状況、そして救援要請を訴えたのである!もちろん、日本語で(多少は関西なまりがあったかもしれないが・・)!!

私は若かった・・。冬の北海道、外気と2重扉の暖房ガンガン室内の温度差について、まったく前知識がなかった・・。というより、その時は必死のパッチであったが・・。

私の口許の口輪筋という筋肉は、外気と内気の温度差により、一気に『緩んでしまっていた』のである。本人の意思以外のところで・・・。

『す、す、すみゅましぇ~む、た、た、ひゃすけて、く、く、くくく・・・。くだひゃい~』『な、な、内地ひゃらきたもんでげす・・・、こお、こお、こおりのうえを、あ、あ、ありゅ、ある、あるいていたら・・』

今から思い出すと、確かにロシア語にも聞こえたかもしれない・・と反省している。そんなロシア語に近いイントネーションで話す私の格好は、昔の上下とも青色の重たい登山用のヤッケ・・。もちろん、目出し帽(顔は出していたが)状態。

さらに、もっと状況を悪化させたことが発生する。私より遅れてその家屋に入ってきた2名のメンバーの内、一人(その時大学一年生だが2浪していたので、すでに20歳)がなんと、顔中ひげ面であり、そいつのヤッケは、なんと共産党のシンボルカラーである、「真っ赤っか~!!」

どうひいき目に見ても、「ちょっと背の低い、ヤク―ト系のロシア人」・・。そして、2名もしゃべり始めたら、2重扉の呪詛にとりつかれた、イントネーション!!
『お、お、おちまして、スパシーボ~!』『さ、さ、さむくて、サハリン~!』『くち、くち、くちもとが、ガチガチで、何も噛むことが、カムチャッカ~!』なんてことになっていたのである。

さあ、トラック野郎たち、全身に緊張が走るのが、あきらかに、明確に、伝わってくるのである。総立ちになって、われわれ3人を遠巻きにしている。いまにも、酒場で乱闘が始まらんばかり・・・。

私は、さらに言う、「ち、ち、ちがいますねん、ぼくら、内地から来た、ぼんくら大学生ですねん。ロシアや北朝鮮からの亡命者でもなく、また、日本からかの地へ亡命しようとして失敗したわけでもないんです。単なる、お騒がせな、内地のぼんくら大学生なんです~!」

その頃には、ようやく、私の口輪筋は、なんとか、関西なまりを発音できる状態まで原状回復できていたのであった・・・。

まあ、そのあとは、ご想像にお任せする。そう、その通りである。

ストーブで身体の外面を温め、お酒で身体の内面を温めさせてきただきながら、耳元では、トラック野郎たちからの『嘲笑という温かい言葉がけ』をしばらくは拝聴するのである・・。「ナイチの若モンのすること、考えること、わかんね~」

そして我われ3名は、数時間その温かい空気に浸らせていただいたのち、私だけが荷物を背負い(2名の荷物は、冬のオホーツクのアザラシのエサとなったのである)、風雪厳しいオホーツク沿岸の国道を、バス停へととぼとぼ歩いていくのである。その時の心配事は、3名が無事京都まで帰れるだけのマネーが不足していることだった・・。

後日談ではあるが、その不足を補う為に、実は私の知人で北海道出身者の実家に、なんと押しかけ、厚かましくも、泊めていただいた上で、不足分の交通費をお借りしたのである・・・。Y君!すまんかった・・。ご両親にくれぐれもよろしく!

つくづく、若いということは、それだけで、「罪つくり」だということが、今なら十分に理解はできている。まあ、一枚の写真から、冬のオホーツクでの出来事を、数十年ぶりに回想できたことも、なにかのご縁?であろう。この恩返しは、同じような罪作りの若者が、自分の前に突然現れた際には、なんとか出来るだけのことをしてやること、それくらいかな・・・。ちゃんちゃん!!

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お休み前に・・。 [世界の街角から]

写真
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写真で伝える日本の養生場所・出雲大社 [世界の街角から]

 写真で伝える日本の養生場所・出雲大社

ここ2、3日、にわかに皇室とのご成婚にて、出雲大社の千家氏が注目を浴びている。ご存じのように、昨年は出雲大社遷宮60年、そして伊勢神宮遷宮20年が重なった年であった。知っている人は多いが、遷宮に関わる行事は、中心となる年の前後5年くらいの期間でさまざまな行事が行われる。

写真は、2008年のご神体を移される前の、ほんの僅かな期間と、限られた人だけが見ることのできる、本殿参拝に立ち会えた際のもの。幸運にも、列の最前列にいましたので、本殿の内部や屋根上部に描かれた「八雲」の図もしっかりと見ることができた。八雲に秘められた秘儀がおこなわれる「黒雲」部分も、しっかりと黙視することができたのである。

60年に一度だけ、ということは、阪神タイガーズの優勝と同じく、ひとりの人生で一度しか出会うことがない、そんなレアものの行事なのである。


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なんて素敵な写真! [世界の街角から]

知人のFBから。山口県竜王山さんろくにて


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『新疆ウイグル自治区での出来事の背景には・・。』 [気になるニュース]


私が学生時代には、中国国内の民族・宗教問題の多くはチベット問題がクローズアップされていた。確かに、19世紀までのチベットでは民衆にとっては過酷?な生活状況だったかもしれない。しかし、それは比較すべき問題でもないが、19世紀の封建制時代の諸国の多くで見受けられた話である。チベットは、世界の屋根といわれる隔絶された場所であったので、その民主化への道のりが少々遅れていたともいえる。

そういった歴史的な状況下で、どう考えてみても歴史的・文化的・大半の民衆レベルでの心情的にも関係性の低い大国が横やりを入れてきたのには、領土拡大だけでなく、潜在的可能性の大きな地下資源が喉から手が出るくらいほしかったのかもしれない。実際、チベットには金をはじめレアな地下資源が豊富に眠っていることが後世にはっきりとするのである。

さて、時代はさかのぼり、田中角栄氏が中国を訪問することで、日中関係は俄然活発化する。山岳・探検世界でも色めきたっていたのである。それまで、情報がシャットアウトされていた中国国内の辺境部(チベットや新疆ウイグル、内モンゴル自治区、雲南省などインドシナ半島に続く照葉樹林帯など)へなんとか許可をとって人より早く出掛けよう・・。といった気運が日本国内で湧き上がる。

大学時代に山岳部と探検部に所属していた私は、チベットやシルクロード、照葉樹林帯への憧憬は社会人になっても忘れることはなかった。幸いにも、勤務したエージェンシーはそのような地域へのアドベンチャラスかつアカデミックな要素を含むツーリズムの開発のパイオニア的存在であった。勤務している人間も、大学山岳部・社会人山岳会などに所属していた人たちであり、また、オフィスも、そのクラブの延長線上のような空気感が流れていた。

私も、俄然チベット方面や新疆ウイグル方面への企画・同行案内などを頻繁に実践しはじめることになる。当時は1980年代半ばから後半である。写真上は、その頃に新疆ウイグルのパミール高原へのアンソロツアー(文化人類学的探索ツーリズム)であった。

おふざけ気味の私の姿から、いろんなことが読み解けてくる。

(1)今の中国ではまったく見かけない人民帽をかぶっている。
    ↓
   当時の新疆ウイグル自治区でも、イスラム系住民男性の一部も
   人民帽をかぶっていた。

   日本の若者にとって、人民帽が土産として買うくらいの価値。
   中国の情報が1980年代半ばでは、極端に少なかった日本。


(2)ちょっと珍しいサングラスをかけている。
    ↓
   このサングラスは今でも自宅のどこかにあるはずであるが、当時
   の新疆のバザールで普通に売られていた。新疆の夏は乾燥してい
   る上に紫外線も極端にきつい。もしかすると、旋盤工が使うよう
   な作業用かもしれない。
 
   当時の中国の工業生産力など、この子供だましのサングラス程度
   のものであったのである。


(3)私は、当時から好んでタンクトップを着ている。
    ↓
   この写真のような格好で当時のカシュガルのバザールを
   歩いたら、確かに『浮いた感』はあったような気がする。
   しかし、まだまだ、このような浮いたファッションをするのは、
   ぼんくら大学生気分の抜けない、日本からの若造ツアーリーダーくら     いだったのである。

   現在のウルムチ、それも10年くらい前から沿岸部からの漢族の移
   住が顕著となり、若造だった私のような格好をしている漢族の若
   者(もしかすると、その漢族に刺激をうけたウイグル族の若者も
   いるかもしれないが・・)がウルムチの高層ビル群の下を闊歩し
   ているのである。

さて、下の写真は、数年前に私が久しぶりにシルクロードを訪れた際のものである。ウルムチから天山山脈を越えて、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠の縁を走破し、敦煌・西安までという行程であった。

おわかりであろうか、雪を抱いた天山山脈の手前にあるのは、風車である。それも、車で時速60キロ程度で走っていても、1時間ちかくは、その風車群が途切れないのである。風車群の姿が見えなくなったかと思ったら、その次には、石油の掘削機械群がこれまた1時間程度途切れない・・。

風の強いことで、昔からシルクロードの旅人を苦しめた天山山脈越えの場所は、風力発電の巨大基地と化しており、動物と骨と人骨が、マイルストーン的標識がわりとなっていたゴビ砂漠、タクラマカン砂漠では、地中深くまでボウリング機械がうなり声をあげているのである。

私は思っていた。「この変貌のスピード、スケール感は、ウイグル族やカザフ族など新疆ウイグル自治区に昔から住んでいる人たちの心の底辺に継承されてきた価値観と確実に乖離してくるはず。」だと。

そして、ドン・キホーテの物語が頭に去来していた。サラブレットの源流ともいわれる、新疆ウイグル産の汗血馬に乗った、ウイグル族の若者が、長い竿だけを手にして、この巨大な風車群へと決死行を図る・・。

ここ数年(特に本年はもっと激しい抵抗運動があると予想しているが)新疆ウイグルで発生している、悲しい出来事の背景には、ウイグル版ドン・キホーテの物語が潜んでいる。チベットは仏教国でもあり、宗教的指導者であるダライラマ14世がまだご健在である。

それに比して、新疆ウイグルは、その昔『トルキスタン帝国』への野望が展開していたイスラム圏の一部であり、中央アジアからトルコまでの各国が漢族国家である中国への反発心を燃やしてもいる。アルカイーダなどの武装勢力が密かに関与してくる可能性も懸念される。


日本の正倉院の宝物の多くは、これらの地域を、人の手やラクダの背に触れられながら、揺られながら、東へ東へ渡ってきたのである。いわば、シルクロードは宝物群の『育ての親』でもある。そんなエリアに、1980年半ば以前に流れていた、貧しくとも凛とした、そして静かで平穏な日々が還ってくることを願わずにはいられない。


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写真で伝える、懐かしく恥ずかしい?人生物語。 [清水代表に関連する記事]

写真: 写真で伝える、懐かしく恥ずかしい?人生物語。

数日前に昔の写真を整理していたら、多くの未公開?写真が出てきたので折に触れて人生の記憶を辿る旅にでようと思っている。

この写真は、24歳の時。初めてスイスアルプスへ山岳ガイド仕事で出かけた際のもの。世界の山岳辺境地域への旅コーディネート・エージェンシーに勤務し、一番最初の仕事場は、なんとパプアニューギニアだった。

ここは、山ではなく、アンソロツアーという名前の文化人類学的辺境地域探索プログラムであった。そして、そのパプアニューギニアから帰国後数日すると、「君、インドのラダックへ行ってもらうで~」。

当時のラダックはチベット仏教文化圏でも、秘境中の秘境などとも称せられていた。パプアニューギニアでの残像を整理する間もなく、乾燥した赤茶けたラダックのゴンパ群を巡った。

ラダックから帰国したのが、6月中旬ころ。帰国後私を待っていたのは、「君の登山の装備見せてみ~」との上司からのお言葉・・。「え?なんで?」と思いながらも、冬のオホーツクでロシア人に間違えられた、由緒正しき上下青色ヤッケを自慢げに見せたものだ・・。

『あかん、あかん、そんなんでは、欧州では19世紀ファッションやがな・・』と嘲笑気味に笑われ、その上司から、「しゃ~ないな~、わしのん、貸したろけ~」と言われてスイスまで持参したのが、写真のファッション。

そして、登ったこともないブライトホルン峰を、いかにも昔懐かしいな~、というようなそぶりを見せながら登頂したものだ・・。そして、まだ社会人一年目の夏は始まっていなかった・・。さらに強烈な入社4ケ月で4度目の海外ツアーリーダー仕事が、スイス帰国後すぐに待っていた。

『きみ、パスポートの有効期限はいつまで~?』『学生時代に接種した予防注射の種類はなに~?』『ん~ん、そうか、まあ、なんとか渡航手続きはまにあいそうやの~』と、本人が目の前にいるにも関わらず、本人不在の会話が繰り広げられたのである・・。

そうなのだ・・。スイスから帰国して10日くらいは空いただろうか・・。なんと、私はナイロビ行きのパキスタン航空の机上の人となっていたのである。ご明察! アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロへの登頂ガイド仕事が4度目の仕事なのであった。

飛行機は、そんな、時差に体調を順応させる暇も与えない4月以降の私の都合など関係なく、スケジュール通り真夏近いナイロビに到着する。到着翌日は、確かナイロビ郊外のサファリツアーであったと記憶している。

しかし、まず、ナイロビ到着翌日の朝、ホテルで目覚めた私は、「ここはどこ?」『私はだれ~?』状態に陥っていた。ここは、チューリッヒ?それとも、ポートモレスビー? はたまた、スリナガール? 訳わかんない・・・!! こんな朝起き状態で、早朝のサファリへ向かうのである。

動物さんらに、出逢った記憶はある・・。しかし、それが、キリン? エレファント? ライオン? それともサル?イヌ?キジ?・・・、鶴?亀? まったく記憶の片隅にも残ってない!! 見事に私の初サファリの記憶は、サッパイツアイナ~!!

まあ、こんな社会人一年目の4月~7月を過ごしたのである。24歳・・。

写真で伝える、懐かしく恥ずかしい?人生物語。

数日前に昔の写真を整理していたら、多くの未公開?写真が出てきたので折に触れて人生の記憶を辿る旅にでようと思っている。

この写真は、24歳の時。初めてスイスアルプスへ山岳ガイド仕事で出かけた際のもの。世界の山岳辺境地域への旅コーディネート・エージェンシーに勤務し、一番最初の仕事場は、なんとパプアニューギニアだった。

ここは、山ではなく、アンソロツアーという名前の文化人類学的辺境地域探索プログラムであった。そして、そのパプアニューギニアから帰国後数日すると、「君、インドのラダックへ行ってもらうで~」。

当時のラダックはチベット仏教文化圏でも、秘境中の秘境などとも称せられていた。パプアニューギニアでの残像を整理する間もなく、乾燥した赤茶けたラダックのゴンパ群を巡った。

ラダックから帰国したのが、6月中旬ころ。帰国後私を待っていたのは、「君の登山の装備見せてみ~」との上司からのお言葉・・。「え?なんで?」と思いながらも、冬のオホーツクでロシア人に間違えられた、由緒正しき上下青色ヤッケを自慢げに見せたものだ・・。

『あかん、あかん、そんなんでは、欧州では19世紀ファッションやがな・・』と嘲笑気味に笑われ、その上司から、「しゃ~ないな~、わしのん、貸したろけ~」と言われてスイスまで持参したのが、写真のファッション。

そして、登ったこともないブライトホルン峰を、いかにも昔懐かしいな~、というようなそぶりを見せながら登頂したものだ・・。そして、まだ社会人一年目の夏は始まっていなかった・・。さらに強烈な入社4ケ月で4度目の海外ツアーリーダー仕事が、スイス帰国後すぐに待っていた。

『きみ、パスポートの有効期限はいつまで~?』『学生時代に接種した予防注射の種類はなに~?』『ん~ん、そうか、まあ、なんとか渡航手続きはまにあいそうやの~』と、本人が目の前にいるにも関わらず、本人不在の会話が繰り広げられたのである・・。

そうなのだ・・。スイスから帰国して10日くらいは空いただろうか・・。なんと、私はナイロビ行きのパキスタン航空の机上の人となっていたのである。ご明察! アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロへの登頂ガイド仕事が4度目の仕事なのであった。

飛行機は、そんな、時差に体調を順応させる暇も与えない4月以降の私の都合など関係なく、スケジュール通り真夏近いナイロビに到着する。到着翌日は、確かナイロビ郊外のサファリツアーであったと記憶している。

しかし、まず、ナイロビ到着翌日の朝、ホテルで目覚めた私は、「ここはどこ?」『私はだれ~?』状態に陥っていた。ここは、チューリッヒ?それとも、ポートモレスビー? はたまた、スリナガール? 訳わかんない・・・!! こんな朝起き状態で、早朝のサファリへ向かうのである。

動物さんらに、出逢った記憶はある・・。しかし、それが、キリン? エレファント? ライオン? それともサル?イヌ?キジ?・・・、鶴?亀? まったく記憶の片隅にも残ってない!! 見事に私の初サファリの記憶は、サッパイツアイナ~!!

まあ、こんな社会人一年目の4月~7月を過ごしたのである。24歳・・。


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お休み前に・・。 [世界の街角から]

写真: Temple of Poseidon - Soúnio, Greece
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最近お気に入りのメロディ [世界の街角から]

https://soundcloud.com/rodrigocostafelix/fado-portugues

 上記のアドレスをクリックしてください。画面が変わりますが、その画面の左上あたりにある、だいだい色の矢印をクリックすると、音楽が流れてきます。


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神がかり?? [清水代表に関連する記事]

写真: 神がかり??
シリーズ・写真で伝える世界の養生場・聖地ルンビニにて。

ここ数日、過去の写真を整理する機会があり、昔の写真がいくつも出てきた。この写真は、お釈迦さまが生まれた、ネパール西南部のルンビニという街で撮影された。ルンビニ滞在の夜、法華ホテルという日本資本(当時)のホテルの中庭にて、なにか静寂で清浄な空気が流れ始めた時間帯に、同行者に撮影してもらったもの。

 

 神がかり??


シリーズ・写真で伝える世界の養生場・聖地ルンビニにて。

ここ数日、過去の写真を整理する機会があり、昔の写真がいくつも出てきた。この写真は、お釈迦さまが生まれた、ネパール西南部のルンビニという街で撮影された。ルンビニ滞在の夜、法華ホテルという日本資本(当時)のホテルの中庭にて、なにか静寂で清浄な空気が流れ始めた時間帯に、同行者に撮影してもらったもの。


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お休み前に・・。 [世界の今!]

写真: Chicago - Lake Michigan
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ヒマラヤの青いケシ [世界の今!]

写真: Dolpama
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写真で伝える日本の養生タイム [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

写真: 写真で伝える日本の養生タイム

本日夕刻、参議院にて8月11日が、山の日という祝日に制定された。施行は再来年から。そんな記念すべき本日、四国山脈は格別の爽快な天候に恵まれた。

山の日2年先取りかな?

写真で伝える日本の養生タイム

本日夕刻、参議院にて8月11日が、山の日という祝日に制定された。施行は再来年から。そんな記念すべき本日、四国山脈は格別の爽快な天候に恵まれた。

山の日2年先取りかな?


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23日のヒマラヤ [世界の今!]

写真: FROM CHUMRONG
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四国は平家平山頂稜線を歩く。 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

写真: 写真で伝える日本の養生タイム

四国は平家平山頂稜線を歩く。
まるでスイスアルプス!

四国は平家平山頂稜線を歩く。
まるでスイスアルプス!


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