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アルプスでのお昼ねタイム! [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

アルプスでのお昼ねタイム!

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内山節氏講演録より「冷たいお金、温かいお金」 [ちょっと気になる素敵な文章]


 
1.なぜ「振り込み詐欺」はなくならないのか

「冷たいお金、温かいお金」という言葉を使いましたが、世の中に振り込め詐欺という
のがたくさんあります。認知症の人が引っかかっているのではと思う方も多いのですが、
現実にはそうではありません。

圧倒的に多いのは普通の人達です。高齢者はよくTVを見ていますから、そのような事件が頻発していることは情報としてはよく知っているのです。
知っていても自分のところに来ると引っかかってしまうのです。

それはなぜだろうと思うのですが、今、高齢者が見つめているお金が何かということです。そこで、「冷たいお金、温かいお金」という言葉を使うのですが、冷たいお金として、額面価値だけを見つめてい
る。毎月入ってくる年金でどう暮らすか、多少の貯金があっても、大きな病気になつたり、
認知症になったらやっていけるかどうかわからないという思いで通帳を眺めていると、そ
こにあるのは、ほんとうに厳しいお金、人間味の全くないお金です。

そこへ全く音信のなかった“息子”が「交通事故を起こした」とか「会社の金を使い込んだ」とかの理由で「お父さんお母さん)助けて」みたいな電話をしてくる。そうすると、久しぶりに“血の通
った”お金の使い方が発生するのです。「そのことによって自分の子供が助かる」。突然、
温かいお金の使い方が目の前に現れてくる。

「音信不通だった“息子”が困った時にはやっぱり自分を頼ってくれた」というのは親からすればほっとするものです。そのことが、「ここは頑張って助けなければ」ということで引っかかってしまうのです。シビアなお金に対面しながら生活していたお年寄りが、突然、ほっとするお金の使い方・人間味のあるお金の使い方に何年ぶりに出会うので、これには応えなければという思いからだろうと思うの
です。 
 
2.額面だけのお金、額面以上の価値をもたらすお金


―市場経済における貨幣― 関係のなかで使われる貨幣 


人間の血が流れているようなお金の使い方を、私は「温かいお金」と呼んでいます。 
どうも、私たちの社会で温かいお金の使い方が無くなっているようです。温かいお金は何
かというと、額面だけに支配されないお金です。「額面以上の価値がつく」お金です。たと
えば、子供の時に何か買いたいものがあって両親にねだったが、両親はくれなかった。そ
うしたらお祖母さんがそっと千円を出して、「これで買いなさい」といってくれた。

その千円は千円以上の価値がある。千円なのか1万円なのか、百万円なのか、そのような金額で
は計れないありがたいお金です。額面では価値判断ができないお金です。市場経済は額面
通りのお金しかないわけです。スーパーに行っても血の通ったお金はないわけで、300
円の物を買えば300円の価値しかありません。

ところが、人間たちがある関係の中で使う金は、額面では計れない価値が付与される場合があります。それは、お祖母さんのお金も、お祖母さんの孫の関係の中で付与されたお金です。金額じゃないよということです。


振り込め詐欺も、電話がかかってきた時点で“親子の関係”が一瞬にして回復するわけで
す。人間の一番大事な部分を詐欺に使うわけですから悪質です。 


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太古の知恵を受け継ぐ人々 [ちょっと気になる素敵な文章]

太古の知恵を受け継ぐ人々

(とあるコラムからの抜粋)

 

 オーストラリアの先住民族アボリジニの人々は、4万年以上前にアジアからオーストラリア大陸に渡ってきたと考えられています。数千ともいわれる部族がそれぞれ独自の言語で話し、文字を持たなかったため部族の掟やさまざまな知恵を壁画に記したり、物語にして語り継いできました。

 各部族がそれぞれ異なる風習や文化を持っていますが、共通しているのは、自然界と調和して生きる、ということ。自然への畏敬の念を忘れずに暮らすことこそが、本当の幸せをもたらすと考えているからです。

彼らが祖先から受け継いできた風習や文化は、「ドリーミング」と呼ばれる物語として、今も伝えられています。どの物語も自然や生き物たちを擬人化した抽象的な表現が多いのですが、すべての部族が共通して持つ『天地創造の神話』が世界の始まりだと信じられていること。

話の内容は部族によって異なるものの、空と大地の神が世界を作り、私たち人間が生まれ育った大地は家族が暮らす大きな家、という概念が根底にあるということです。


もともと住居を持たないアボリジニの人々は、狩猟を続けながらすみかを転々とし、自然の中に住まいを見つけてきました。それは、洞穴であったり、岩陰であったりするのですが、それぞれの場所は、女性たちの出産のための洞穴、男性のみが立入りできる洞穴など、部族の掟によって厳しく用途が決められていることが多かったようです。その場所がどんな用途で使われたのかは、岩肌に残された壁画によって今に伝えられています。

 現在、アボリジニの人々のほとんどは、私たちと変わらぬ普通の家屋に暮らしていますが、なかには太古の昔と変わらず、自然にできる限り近い場所で、自然の神々を敬いながら暮らしている人々もいます。

 森の中の岩陰に寝床を作り、朝夕には大自然の神に祈りを捧げながら、川に水を汲みに行き、糧となる木の実を探すなど、原始的ともいえる生活が基本。現代の便利な文明の利器や大金には見向きもせず、ひたすら先祖から受け継いだものを守る姿には、身震いするような感動を覚えます。

人にとってもっとも大切な基本理念


オーストラリアでは、アボリジニの人々の教えを学ぶツアーもあります。それに参加すると、彼らの伝統的な暮らしぶりを垣間見ることができます。例えば、トゲのついたツル状の植物を釣りに使ったり、木の根のへの字型の部分でブーメランを作って狩猟を行うなど、いかに自然が暮らしに根付いていたかがわかります。


 また、彼らの考え方や教えは、ふだん忘れかけている大切なものを思い出させてくれます。それは、どんなに大変なことがあっても、どんなに周囲の環境が変わってしまっても、どんなに悪い誘惑があっても、守るべきものは家族であり、忘れてはならない大切なものは、私達を取り巻く自然なのだということ。大地と空、宇宙、そしてこの地球上のすべてのものが調和して生きている=生かされているのだと、気づかせてくれます。

 私たちにとって「本当に大切なものは何か?」「守るべきものは何か?」ということを彼らは常に意識しながら暮らしています。そして、自分が地球上に生を受けた意味を考え、受け継いだ大切なものを後世へと伝えてほしいと願っている。彼らは、そうして何万年という年月を生きてきたと言います。


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本州最北端の町、青森県大間町の悩み [気になるニュース]

本州最北端の町、青森県大間町の悩み

(とある提言からの抜粋) 

皆さんもよくご存じの最高級ブランド「大間のマグロ」を水揚げする大間町が、下北半島の一番先にあることは意外に知られていません。下北半島というと「恐山」や「寒立馬(かんだちめ)」「北限の日本猿」などをテレビで見た方もいると思いますが、その最先端の町が大間町なんです。


 青森県庁から車でおよそ3時間もかかる離島のような町で、生活圏は青森というより津軽海峡をフェリーで1時間40分渡った函館市です。


 ところがこのフェリー路線が、船体の老朽化に加え原油価格高騰や利用客の減少で運航廃止の危機を迎えています。本州最北端の町にとって死活問題です。町はひとまず、公設民営方式による航路存続の道を選びました。しかし東日本大震災による福島第一原発の事故以来、大間で建設中の原発の工事がストップ。フェリーは当面の廃止を回避しているものの、町では原発の固定資産税を当てにしていた事情もあり、先行きが不安な状況となっています。

NHKドラマきっかけに結成、まちおこしゲリラ「あおぞら組」

 町にはこうした事情があるものの、既にあった住民主体の町おこしの動きが、明るい展開をみせています。

 2000年、大間町を舞台にしたNHK連続テレビ小説「私の青空」の放送をきっかけに、地元で何かやりたいと悶々としていた島康子さんが「今やらないでいつやるのか」と気の合う仲間を誘って、まちおこしゲリラ「あおぞら組」を結成しました。

 行政主導のまちづくりでなく“自分たちのアイディアで自分たちの力でやれることをやっていこう”と集まった9名の行動原則は


 1.おもしろいことは、待っててもこない。
 2.理屈こねる前に、まんず動け。
 3.やりたいやつが、やりたいことをやればいい。


 大間港の埠頭にいきなり現れて大漁旗を振る「旗振りウエルカム活動」のお迎えに始まり、「マグロ一筋」のロゴ入りT(てー)シャツや鯉のぼりのマグロ版「マグロのぼり」の作成販売、映画ローマの休日」を模した町巡り「オーマの休日」など、とにかく自分たちが楽しみながら大間を元気にしようと常に新しい画策をしています。この勢いは大間の漁師を始めたくさんの住民を巻き込んでいて、町に行くと「地域まるごとおもてなし」の熱さを実感できます。

  

活動から10年、あおぞら組のDNAを継ぐ高校生

 あおぞら組の結成から10年、「『若者』『バガ者』と呼ばれていたが、このごろは胸張って「若者」とは言いづらい歳になりました」と島さんは笑います。


 そうした中で「あおぞら組」のDNAを受け継ぐ高校生たちが出てきました。
 今春、大間高校を卒業した「アヤちゃん」が昨年、「地域の魅力発信アイデアコンテスト」に応募して入賞【1】した企画が、この夏、後輩の手で実現したのです。

 最大の見せ場は、フェリーが港に入ってくると埠頭に立ち「よぐ来たの~!」と大漁旗を振り、港に着くと出てくる車やお客さんに向かって最後の一人までお迎えし、帰りも「へば、まだの~!(それじゃ、またね~!)」とお見送り。とどめは港から出ていくフェリーに向かって「へば、まだのぉぉぉ!!!」と見えなくなるまで旗を振り続けるというもの。10年の活動が、着実に町の若者の琴線に触れていたことを実感する逸話です。

 平成の大合併により、かつて地域づくりの優良事例と言われた活動が姿を消しました。実はそうした優良事例のほとんどは住民主体ではなく優秀な自治体職員が担っていたのです。つまり住民自らが考え行動する地域づくりを進めてこなかったために活動停止に陥ったわけです。


 あおぞら組には公務員もいますが、業務で活動しているわけではありません。補助金などに頼らず「金がないなら勇気を出せ」を合い言葉に活動した結果、多くの住民に認知され活動への参加も増え、信頼される地域づくり団体になりました。青森県で唯一、大間町の住民が増加する現象が起きていますが、この活動がその要因のひとつではないかと思っています。


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内山節氏講演録・職人技と大量安価生産 [ちょっと気になる素敵な文章]

先端とは言われない昔の製品の生産方法は、意外と職人技が使われています。先
端製品はお金があれば中国でもインドでも簡単に作ることができます。15年ほど前、韓
国のサムスンの社長の記者会見を見ていました。

液晶テレビにサムスンが参入するという
ものです。記者団から「液晶テレビの技術は持っているのか」と質問を受けました。それ
に対し、社長は「ありません」と答えました。記者は「何の技術もなしにどうやって作る
のか」という質問がありました。

社長は「ご心配要りません、必要なものは全部日本から
買います」と答えました。まさにサムスンは必要なものを全て日本から買って作って、そ
れから徐々に自社でできるものは自社でやるというようになってきています。いまや、液
晶テレビ世界一のメーカーになっています。

韓国の現代( Hyundai )という自動車会社がアメリカに車を初めて売り込んだときです
が、コマーシャルで、車が道を走っている映像が流れ、「どこの車?」「現代です。」「現代
ってどこの会社?」「韓国です。」「韓国の車って大丈夫なの?」「ご心配要りません。エン
ジンとトランスアクスルは三菱です。」という中身でした。

トランスアクスルはエンジンと
タイヤを繋ぐ部分ですが、この2つを三菱で作っているということは、後は単なる箱を作
っているだけではないかという気がしますが、そのような形で出発したのです。それが今
やアメリカ市場でも、日本車を脅かす存在になっています。今の経済は短期間のこのよう
なことができるようになっています。

もちろん立ち上げる段階では人間がある程度必要で
す。いくら材料と装置を買って来ても、その装置を動かす人間が必要です。円滑に動くに
は人間の手による微調整が必要です。韓国がこの間急激に経済発展しましたが、日本の技
術者が相当関わっています。

特に定年技術者です。技術があるが、お払い箱になった技術
者です。その人たちがかなり高給でスカウトされ韓国で働きました。結果として技術移転
しました。材料が買え、装置が買え、人が買えれば、お金があれば当然にできます。今、
中国も液晶パネルや太陽光パネルを作っている会社では日本の定年技術者がいっぱい行っ
て働いています。

自分たちの技術を活用できるわけです。
そのことを長い目で見れば悪い事ではありません。先進国が世界市場を独占している状
態の方が、不公平かつ不平等です。いずれ正さなければならない。新興国が台頭している
状況は、長い目で見れば平等になっていく過程です。しかし、富を独占していた先進国に
とってみれば、独占を前提にした社会構造が出来上がっているわけですから、それが崩れ
るということはつらい目にあうということです。

それが今始まりました。
日本については高齢人口が増加していますから、昔のように成長することはあり得ませ
ん。私は立教大学の他に東大でも授業を持っています。3年ほど前に福井市の旧商店街出
身の学生にレポートを出してもらいましたが、福井市の商店街がいかに衰退しているかと
いうものです。

かれは気持ちとしては福井に戻りたいが何の展望もないということが延々
と書いてありました。見た目は派手ですが、東京首都圏もかなり衰退してきています。通
勤圏として千葉県、埼玉県、神奈川県を含みますが、数値的に見て経済指標が横ばいなの
は東京都だけです。周辺の千葉県、埼玉県、神奈川県は急激な落ち込みをしています。落
ち込の理由は、住んでいる人たちが高齢化したからです。

特に、高度成長期に「金の卵」
といって、日本中の若者をかき集めましたが、その人々が65歳に達しつつあります。7
5歳以上、65歳以上の人口の増え方は数の上では首都圏が他を圧倒しています。同じ現
象が大阪でも起きています。大阪も高齢人口が急激に増えています。これから介護などを
どうするのか非常に深刻な問題になってきます。

高度成長のときには、全国の若者をかき
集めて、その人が結婚し、家を建てるなど、経済でいえばある程度活性化してきたわけで
す。ところが、その人たちがまとまって高齢化してきたわけですから、いろんなものが売
れなくなってきたわけです。しかも、不安な社会はではお金を持っていてもお金を使えな
い社会です。

自分が認知症になるかもしれない、この後の医療制度も悪くなることはあっ
ても、良くなることはないだろうという不安もあります。今の世界経済は、先進国はどこ
でも強烈なインフレ政策を取っています。お金をジャブジャブ出しています。にもかかわ
らず、インフレにならないというのが今の不思議な状況です。

どこかで堤防に穴があくこ
とがあれば、巨大なインフレになる恐れがあります。他方ではデフレを心配し、もう一方
でインフレが起きたらと心配する。そんな事を考えていて誰もお金を使わない社会を作っ
てしまった。

一方においては、比較的お金を使ってくれるはずの現役世代の人口が首都圏でも急激に減っています。首都圏の中でも郊外から衰退しています。団塊の世代を大量に入居させた
多摩ニュータウンなどは、高齢者ニュータウンになっています。しかも丘陵地を開発した
ので、坂が多く高齢者には住みにくい地域になっています。

また、子供達はみんな出て行
って、地域に若者がいないので元気な高齢者がNPOを作り、元気を失った高齢者を支援
するようになっています。このやり方で10年も20年も続くはずはありません。


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帰国しても、なかなか休めない・・・。 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

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いよいよ、明日(スイス時間の29日午前中)にグリンデルワルドを離れ、鉄道を乗り継ぎ、チューリッヒ空港へと向かう。

帰国は30日(日本時間)の午後17時、広島市内の事務所には午後22時頃に到着の予定。

そして帰国翌日は、里山登山学校で広島県最高峰へ。そして、その翌日から2日間は、四国の名峰石鎚山登山・・・、さらに、その翌日には、日帰りにて中国山地の山を登る・・・。

帰国便の中での時差ボケ対策がキーとなるかな・・。でも、もともと、天然ボケも混じっているので、そんなに心配はしていはいないのだが・・。


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いよいよ帰国へ・・。 [清水代表に関連する記事]

スイスへ行かれたグループは、本日から帰国の途へとつかれます。グリンデルワルドから列車にてチューリッヒ空港へ、そして、中東のドバイを経由して関西国際空港へ・・・。到着は30日夕刻予定。


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グリンデルワルドの早朝5時 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

グリンデルワルドの早朝5時・・・。向かいの山はアイガー!

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縦割りは「なぜ」「どうして」の思考を遠ざける [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

縦割りは「なぜ」「どうして」の思考を遠ざける

(とある提言からの抜粋) 

 3.11の大厄災からまもなく一年になろうとしています。報道された映像は走馬燈のごとく過ぎ去り、遅々として復興が進まない被災地には雪が積もり、瓦礫の山を白く覆い隠しました。そして世間の関心もどこかへ移ろいでしまっています。

 子や孫が安心して楽しく暮らせる社会を創っていくために、何が一番大切か適切かを考え実行することは今をになう大人の責務ですが、組織のヒエラルキーや自己保全が優先され、問題の隠蔽や先送りが行われているという情けない実態です。

 行政には都道府県境・市町村界という見えない区域境が存在しますが、産業の視点から見たら行政界はありません。道や線路はつながり、モノや人は往来し、情報に国境ゲートはありませんから、訪問者に「そこから先は違う町だから行かないで」などと言えませんね。
 

公務員時代、もっと学校現場に食育や体験学習を広げたいと教育委員会への異動希望を出したところ、M部長に「異動しなければできないと考えるな。考えついた者がその部署でやればよい」と一言。その部署でないとできないという縦割りの呪縛にはまり、今の部署でやるにはどうしたらよいか、なぜできないかを考えず縦割り組織の中で思考停止していたのです。

CSRツーリズムで企業の新たな魅力が引き出される



山口県宇部市は、明治時代から石炭産業で発展する一方、戦後は公害世界一【1】と言われる煤塵(ばいじん)公害に苦しみました。しかしながら、いわゆる公害訴訟を経て問題を克服した他地域と違い、工場を操業する宇部興産と市民が同じテーブルにつく「煤塵対策委員会」での長い話し合いによって公害克服の道を歩みました。
 

これは後に「宇部方式」と言われ、企業と市民のどちらか一方に負担を強いるのではなく、横につながり双方がメリットを取り、課題解決していく姿勢が宇部市の風土となりました。
 この風土を共有する宇部・美祢・山陽小野田の三市が現在、「大人の社会派ツアー」と銘打ってCSRツーリズムによる産業観光を行っています。
 

このツアーは、宇部工場から美祢市伊佐工場をつなぐ全長30kmの宇部興産車両専用道路や宇部港に架かる全長1kmの興産大橋の通行、窯業や石油化学の工場群、国内最大の貯炭場(石炭の集積場)、大型タンカーが寄港する企業専用岸壁、大規模な露天掘りが行われている石灰石鉱山(伊佐鉱山)等をめぐる、工場萌えでなくても垂涎(すいぜん)のコースです。

 私も「全国まちあるき観光サミット in 宇部」で、素晴らしい工場群の夜景ツアーを堪能しましたが、何よりも感銘を受けたのは宇部興産OBである渡邉さんのご案内。「あの灯りの中で24時間休みなく働いている人がいる。それが宇部の経済を発展させ維持している」という語りでした。
 

とかく経済を語るときは人の営みなど消えてしまうものですが、グローバル企業の中核を担ったOBから、公害企業として叩かれそれを克服して行く過程で個人はどう考え、生きたかを直接拝聴しながらの夜景ツアーは、心に響いた一夜でした。

縦割りの安定志向に横串の活性剤を


 宇部興産のように複雑なコンプライアンスの存在する企業が、なぜ産業観光に協力しているかとの疑問もあるでしょう。それは単に、企業と地域住民の横連携ができる風土が醸成されているからだけではないでしょう。優れた着想と成果を出すための努力、さまざまな立場の人のネットワーク体制があってこそ、企業も積極的に新しい試みに賛同・参加できるのではないでしょうか。
 

すべての組織や考え方が縦割りの日本。短歌や俳句は縦書きがしっくりくるように、縦文化も悠久の歴史から育まれてきました。どうやら日本人は縦でモノを思考するDNAを持っているようです。縦組織だと安心な感じもしますし、それが日本における安定思考なのです。

でも、縦割り組織だけでは実行できないものでも、人を介して横串を刺せば、芋づる式に実行組織が立ち上がります。激変する社会で、新たに成長するしくみを創るには、横串が欠かせません。


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駅からも、こんな景色が展開する・・。 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

インターラーケンの駅からも、
ベルナーオーヴァーランドの峰々が・・・。

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内山節氏講演録・その1 [ちょっと気になる素敵な文章]

私は気分の中では群馬県上野村という山間地に
住んでいます。人口は1400人です。村民の所得からいえば日本最貧の村に近いと思い
ます。しかし、役場の財政状況は大変よく、地方交付税の不交付団体です。なぜ、不交付
団体かというと、最近、村の奥の地域にダムを1つOKしました。

昔の建設省のダム計画では村内に8つのダムを造る計画がありました。今回の市町村合併で強制的に合併させられる恐れがあったので、しかたなく、奥の方のダムだけをOKすることとしました。そこ
で暮らしている人たちが本当に貧しいのかといえば、そうでもありません。

山奥の村ですから、村の人たちは何でもできますし、昔に近い形での助け合いともあり、村で暮らして
いると、生活自体もそんなに貧しくは感じません。むしろ、その何倍もの所得がある東京
の人たちの方が貧しいかもしれません。


お金があるからといって幸せになるわけではありません。時には、お金はそんなにない
けれども幸せな人生というのはあります。もちろん、日々の生活が不可能なほど絶対的に
窮乏化してしまえば、そのようなことはいってられませんが。私たちの生活の上でお金は
どういう役割を果たしているかですが、不思議な存在でもあります。

今日、はっきりとした所得格差が出てきました。全国的な平均貯蓄額は1世帯当たり1000万円とかという数字があります。それを押し上げているのは定年退
職者世代で、比較的お金を持っています。2000万円くらいあります。現に働いている世代では、東
京では50歳代前半で貯蓄ゼロとなっています。

その年代は子供の教育費や住宅ローンで支払いのピークを迎えるのです。その後、子供が大学を出るころから少し貯めて、退職金を貯めるというパターンです。それより若い世代では今までのような安定的な雇用が無くなっていますし、非正規雇用で働く人が増え、退職金でまとまってお金を返せるというようには言えなくなっています。

非正規雇用は低賃金で過酷な仕事で働いているというイメージです。量の上ではそのような人が圧倒的ですが、そうではない非正規雇用の人もいます。専門の分野で、たとえば開発部門で働いているとかで、契約雇用で働いています。25年ほど前に日本の代表的な電機メーカーを見学したことがありますが、研究開発部門に何十人も働いていました。

そこでは管理職など2,3人が正規雇用で、後の人は全員契約社員でした。技術革新のスピードが早いので、正規社員を雇うと、その部署だけしか分からない人が長期に雇用されることとなるので、必要がなくなった時に無駄になってします。

必要な技術を持っている人を契約で雇う方が都合がよいとの説明を受けました。非正規雇用の技術者たちは1000万円くらいの年俸で働いていました。けして、貧しい非正規雇用というものではありませんでした。働いている人は割り切っていて、10年間ほどでお金を貯めて、その後は全く違うスキルでやりたいという感じでした。

東京を中心に、そのような人を含め、私たちがイメージする、年功序列で退職金をもらうという形態とは切り離された人たちが大量に存在します。今年の春大学を卒業した人たちの50%は非正規雇用ですが、その人たちは1000万円とかいう年俸ではなく、低賃金の非正規雇用です。

そのような人たちが半分を占める時代になっており、これまでのような、退職金で負債を消せ
るような人生設計はできません。これは、言いたくないことですが、一面ではやむを得な
いことです。かつて、日本を含め先進国は全て高度成長でした。ドイツもフランスもそう
でした。

なぜ先進国が高度成長できたかといえば、先進国数カ国で世界経済を牛耳ってい
たからです。本来的には不当な形です。先進数カ国の談合によって世界市場が全て押さえ
られていたのです。結果として、先進国に大きい富をもたらし、人々はその分配に預かっていたのです。

ほんの20年前まで、自動車を大量生産できた国は10カ国もありません
でした。日本、アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデンや旧ソ連、旧東ドイツなどで
した。大量生産で市場を牛耳っていたのは10カ国に満たない国でした。そこで、富の独
占ができたわけです。ところがそこに風穴が空いた。新興国の台頭です。

中国製製品」として連想するのは「100円ショップ」と「毒ギョウザ事件」です。信用できないイメー
ジですが、実際には中国は先進的な製品をどんどん作り始めています。太陽光発電パネル
は中国が生産量世界一です。どうしてそのように短期間にできるかですが、先端製品を作
ろうとすると、作るための工作機械や材料をどこで手に入れるかです。半導体を作るため
の半導体の基板になるシリコンウェハーというものがあります。

シリコンウェハーの上に線を引っ張って、酸化還元を繰り返しながら錆びをいっぱい作って、錆びの部分がトランジスターの役割を果たし、非常に複雑な半導体が出来上がります。シリコンウェハーを作る会社は世界に6社くらいだと思います。

一番大きなシェアを持っているのは信越化学という会社です。インテルが半導体を作る場合には信越化学などから買う必要があります。そのシリコンウェハーの上に線を引くには、ステッパーという機械を使います。1mm幅に200本のような線を引くことができます。光学技術で光をコントロールして、レーザー光線で線を引いて行きます。

ステッパーを作っているのは、日本のニコン、キャノンそしてドイツのシーメンスの3社しかありません。3社で独占しています。逆にシリコンウェハーを作る会社もステッパーを作る会社も、買ってくれるところがあれば何処へでも売ってしまいます。酸化還元を繰り返する炉を作る会社も日本には何社もありますが、そのように、必要なものを買い集めて生産をしていく。それが、先端といわれる製品の生産方法です。


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グリンデルワルドに滞在 [清水代表に関連する記事]

今回のスイスへ行かれたグループは、現在グリンデルワルドに滞在されています。明日には、帰国へのスケジュールが始まります。


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遊覧的汽船からの景色です [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

湖を渡る遊覧的汽船からの景色です。

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自然はローカル世界のなかにある(内山節)その2 [ちょっと気になる素敵な文章]

こんな書き出しになったのは、「木を植える」ことを今日どう考えるのかは、
案外簡単なことではないからである。もちろん草木がなくなったような所はあ
らゆる手段を使って自然を回復させなければならない。ところが現在の日本を
みると、そのようなところはほんの例外的にしかなく、ほとんどの所では木を
切らなくなった弊害の方が大きくなってしまっているのである。

たとえば動物
や植物のなかには草原を好む生き物がいる。ところが木を切らないから、山の
なかに草原ができなくなってしまった。かつては山を歩けば野兎がいくらでも
いたけれど、現在では天然記念物に指定したくなるほどに少なくなっている。
草原に暮らす野ネズミも減った。

そしてそのことが野兎や野ねずみを餌にする、
たとえばキツネなどの生存を圧迫している。そのなかでも私が気の毒に思って
いるもののひとつにクマタカがいる。クマタカは草原で餌をとる鳥である。鳥
は羽を痛めれば致命傷だから、鷹は森の中では狩りをしない。クマタカは羽を
広げれば2メートル近くにもなるのである。

だから草原で滑空をしながら餌を
とる。ところが森ばかりになって餌場を失ってしまった。仕方なく森の切れ目
に垂直に飛び降りたりしているのだけれど、これではなかなか餌をえることは
できない。

山は多様性があるのが一番いいのである。深い森も重要だ。しかしそれだけ
ではなく
若木が茂る森も必要だし、草原もいる。樹種もさまざまであった方がいい。山
はこんな状態のとき、生態系も豊かな、しかも人間にもさまざまな恵みをもた
らす山になる。

太古の時代なら山火事が自然に草原をつくりだしていたが、い
までは山火事を人間が消してしまう以上、人が木を切らないと草原ができなく
なってしまったのである。森に対して人間たちがどんなことをするのがよいの
かは、その場所で考えなければいけない。

ハゲ山がつづいているような場所で
は木を植えた方がいいだろう。逆に見渡すかぎり森に覆われているような場所
では木を切る必要があるだろう。生育途上の森なら間伐をした方がいい。それ
らはすべて現場で考えるべきことである。


森のことは森に聞く、それが一番よい方法なのであって森には一般論は通用
しない。ある場所では木を植えることが善になっても、他の場所ではそうはな
らないこともある。自然にとってもそうだし、自然とともに生きてきた人間た
ちにとってもそうなのである。

たとえば森は保水力をもっているという考え方がある。ところがこれもまた
その場所の条件によって一様ではない。保水力、つまり水をためる力をもって
いるのは土壌であって森ではない。土壌の性格が一番大きな役割を果たすので
ある。ところがその土壌に雨がしみ込まなければどんなに水をためやすい土壌
があっても水はたまらない。

とすると何が水をしみ込ませるのか。地面に生え
ている草や堆積した落ち葉が、である。これらが雨水が流れ落ちるのを防ぎ、
いったん水をとどめる。そのことによって土壌にしみ込みやすくなる。そのと
き山が森に覆われすぎていると、木の下は光がささないから下草が十分には生
えない。その結果案外水がしみ込まないのである。

しかも少ししか雨が降らな
いときには、その雨は木の葉などに受けられで地面まで到達しなくなる。さら
に木は蒸散作用もするから、逆に地下水をくみ上げてしまうという面もある。
もちろん私は、だから森はいらないなどといっているわけではない。

このこ
ともまた現場で考え、その場所にとってどうするのがよいのかを考える課題だ
と述べているのである。現場で森の様子や下草の状態、さらに土壌の質をも考
慮に入れながら、地元の人に川の水量の変化などを教えてもらう。そうやって
考えていくのが一番いい。


自然を守ろうという意識が都市の人たちにも広がってきたとき、この問題で
地元の人たちが困った。地元の人たちはこの場所の森はどうあったらよいのかを考えていたのだけれど、都市の人たちは森一般を考え、すべての森に共通の
方策があるという錯覚をもっていた。

いまでは都市の人たちも森の複雑さに気
づきはじめているが、以前は木を切ることがすべて悪と考える人たちもいた。
自然はさまざまであり、森もさまざまなのである。自然条件がさまざまであ
るばかりでなく、その地域の自然と人間の関係史もまたさまざまである。その
多様性をのなかで自然や森について語ろうとするなら、その場所で考えるほか
ない。


かつて日本のボランティアが失敗したことがある。それは中国の砂漠化した
地域に一生懸命木を植えたことだった。この場所は昔の植生から判断すれば、
草原を回復させるべき場所であった。

ところが木を植えることがいいことだと
いう一般的な思い込みから植林してしまったのである。その結果どうなったの
かといえば、植えた木がわずかしかない地下水をくみ上げ、逆に砂漠を拡大し
てしまった。


自然を守ろうとすることは、もちろん私も大賛成である。だが一般論で語る
ことにはあやうさがつきまとう。そのことをたえず自覚していないと、ときに
私たちは誤りを犯すことになる。


だが、それだからこそ自然と結ばれるのは楽しいのである。プロバンスの近
くの村で村長は風の変化を感じとり、私はそれに気づけない。それでいいのだ。
自然はそこに住んでいる人にしかわからない一面をもっている。あの日の私は、
村長の満ち足りた表情のなかに、自然と人間の関係する世界を感じていた


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マッターホルン・夜明け前 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

夜明け前のツエルマットの路地裏から・・。
当地午前5時。
さて、このあとどんな朝焼けになったやら・・。

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去年はこんな感じの旅だった・・・。 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

‎2012年夏のスイスの旅も後半に差し掛かっている。
ここで、去年の思い出を紐解いてみよう。

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こんなふうに見えるのです。 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

暮れなずむツエルマットの町と
その背後に聳え立つ、マッターホルン。
今日は、グリンデルワルドへと移動。

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スイス・花の谷を歩く。 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

スイスにて花の谷を歩く。
さまざまな色の花が咲き誇る、人があまり
歩かない谷なのです。

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過疎の村をゆるがす事件 [気になるニュース]

過疎の村をゆるがす事件


 浜田市・太田市とあわせて石見三田と呼ばれる島根県益田市は、県内で最も広い面積を有する西部の中心都市です。「万葉集」の代表的歌人・柿本人麿の生誕終焉の地、水墨画家で禅僧の雪舟終焉の地といわれ、2つの柿本神社や雪舟の墓所、雪舟の手がけた庭園があります。

 平成16年に益田市へ編入合併した匹見町は、JR益田駅から40分ほど車で移動した山間地にあります。さまざまな滝やシャクナゲの群生、珍しい渓流魚や鳥が見られる西中国山地国定公園の「匹見峡」が有名です。


() 過疎化は進んでいたものの、匹見町は昔から特産品開発の得意な町で、わさび漬けからメロン、ヤマメ、栃餅、ゆべし、自然薯、せんべい、餅など50品目の特産品を全国に宅配していました。
 ところが小泉内閣時代に、住民にとっては事件ともいうべき郵政民営化が行われ、地元産品を手がけてきた「ゆうパック商品」を、匹見郵便局で扱ってもらえなくなったのです。

さらにチラシの印刷や遠方へのカタログ無料配布ができなくなったのに加え、審査や手続きが煩雑になりました。
 物量でコストを下げる大企業と違い、山間地の少量物流にとっては経費がかさみ、小さな集落やグループにはかなりの負担となりました。

限界集落が全員加入の生涯現役会社へ

 現在、匹見町の中心部からさらに奥に入ったところにある萩原集落は、19世帯20人(平成23年2月現在)が暮らす、高齢化率57%の限界集落です。
 高齢化が進み農地の荒廃がみられだした平成10年3月、「集落から灯りの消える家を出さないために何かできないか?何かをやろう!」と何回も話し合いを重ねて、集落民全員加入で全員が主役という、集落任意組織『萩の会』を結成しました。


 最初に手をつけたのは、集落に一軒だけあった空き家でした。平均年齢70歳以上の女性6人(現在7人)が、そこを借りて農家民宿「雪舟山荘」を開業。男性陣は遊休田を耕し、食器をつくり、山菜収穫やイノシシ捕獲などで自給食材の確保をするなど裏方のサポートをしました。そしていつしか、自分たちの都合でお客さんを泊める「わがままばあちゃんの宿」と呼ばれる名物宿になりました。


 平成13年には町から遊休地のブルーベリー園を引き受け、年間6千本の注文が入る人気のジャムも誕生。そして、平成17年頃には経営が安定し、利益分配や税金の問題が出てきたため、仲間からソォねえさんと慕われる齋藤ソノさん(現在87歳)を代表取締役に「株式会社 萩の会」を設立してしまったのです。
 まあとにかく、集落の女性たちが元気なんですね。

 ところが平成18年、「雪舟山荘」の家主がUターンしてくることに。定住者の増加を目標にしてきた活動なので、歓迎しても困るとは言えません。やむなく民宿は閉鎖することにしました。
 しかし女性たちの落ち込みを見た男性陣が「活動がここで途絶えてはいけない」と、ほぼ手づくりで新たな拠点「萩の舎(やど)」をがんばって作ったのです。

 こうした取り組みが認められ「萩の会」は、男女共同参画社会づくり内閣官房長官表彰や地域づくり国土交通大臣表彰ほか、数々の栄誉を手にしています。
 活動の原動力は、集落の良さを子どもたちに語り継ぎたい、良い形で次の世代に引き継ぎたいという思いですが、全員で話し合いをして合意していくまとまりの良さに加え、ボランティアでなくキチンとビジネスとして成立させ、就労の場を確保するという考え方が徹底しているのです。
 過疎地域でも高齢者ばかりでも、すごいことができるという見本です。


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まさに、エアーウォーク! [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

まさに、エアーウォーク
クライネマッターホルンへのゴンドラ。
こゴンドラからは、マッターホルンが眼前に
迫ります。

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マッターホルンの朝焼け [清水代表に関連する記事]

本日、代表はスイスのツエルマットから列車と船(湖を渡る遊覧船)を乗り継いで、緑の谷間と呼ばれる、グリンデルワルドへと移動されています。


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自然はローカル世界のなかにある(内山節)その1 [ちょっと気になる素敵な文章]


・・・「自然はローカル世界のなかにある」・・・
                                                          内山  節
 
 
  20年くらい前のことのような気がするのだけれど、初めて「木を植えた男」
をみたとき違和感を覚えた記憶がある。メッセージ性の強い作品をつくること
の難しさが、そんな感覚を抱かせたのかもしれない。

  主張をはっきり打ちだすのは悪いことではない。しかし主張を押し出すため
に、事実であるかのごとく架空の世界をつくりだしたら作品は現実性を失う。
フランスプロバンス地方は木の生育に適した自然条件をもっているとはい
いがたいが、木を切り尽くしたからといって砂漠になるような地方ではない。

イタリアとは違うのである。木がなくなって草原になっていたというのなら
わかるが、この地域で草木がなくなるとしたら、たとえば銅鉱山があって銅の
精錬がおこなわれ、そのとき出た亜硫酸ガスが山肌を舐めていくというような
ときだけだろう。日本でも足尾銅山でこのような現実が生まれている。ただし
この場合でも何日も歩くほどの広さで草木がなくなることはない。亜硫酸ガス
の流れる谷の一画が破壊されてしまうのだから、である。

鉱山による破壊の跡地に木を植えた男がいた、という設定の映画の方が、た
とえ架空の創作物語であったとしても、現実性があっただろう。ところが村の
人たちがエゴイストで競争に明け暮れ、森を切り尽くしてしまったと映画は語
っている。おそらく現代の人間たちへの批判が、「エゴイスティックで競争に明
け暮れる人間たちが自然を破壊してしまった」という設定を生んだのだろうけ
れど、その設定を20世紀初頭のフランスの村にもってくるのは無理である。

この時代のフランスの農山村は小農経営を軸にしてつくられた共同体がまだ力
をもっていた時代で、今日からみれば古き良き共同体があった。それにフラン
スの林学はドイツ林学との対抗意識を持ちながら19世紀に成立している。

ドイツ林学は森から安定的な収入を得ることを目的にし、その結果計画的な木材
生産林づくりがすすめられたけれど、フランス林学は森の意義を治山、治水に
おいている。つまりいかに山を安定させ川を安定させるのかという考え方を根
底において、それに適した森づくりを考えたのがフランスの林学なのである。


それが雑木林の維持を基本におく森林管理を推進させた。この歴史とも映画は
合わない。 そんな見方をしていくと、どうしても違和感が出てきてしまうのである。し
かしそれは、はじめに述べたように、メッセージ性の強い作品をつくろうとす
る意識があるとき現れてくるひとつの困難性だと思った方がいい。


私自身はプロバンスに近い山村に暫く滞在していたことがある。ある日村の
村長がホテルに私を訪ねてきて、「どうしても君に教えたいことがあるからつい
てきてくれ」と言う。私は村長の車に乗り、村長は丘の上で車を止めると私に
丘の上に立ってごらん、と言った。

そうして私に語りかけた。「ほら、感じるだ
ろう。いまアフリカからの風が届いたんだ。待ちに待った風だ。この風がくれ
ばもう大丈夫だ。春が来る。山は草や若葉で覆われる。何にも心配しなくても
いい一年が今日はじまったんだ。君にどうしてもそのことを教えたかった。ほ
ら、わかるだろう、昨日とは違う風の香が」。

残念ながら私はその風を確認する
ことはできなかったけれど、いまでもそのときの村長の嬉しそうな、開放感に
満ちた表情は忘れられない。


村の人たちはそんなふうに自然とともに生きてきたのである。とするとそう
いう世界のなかに生きてきた人たちが、たとえそんなに広くはなくても森が破
壊されたのをみて、共同体の力で木を植えていったという設定の方が、やはり
現実性も説得力もある。



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内山節氏の言葉学・仕事と稼ぎ [ちょっと気になる素敵な文章]

「山の畑の耕作をはじめた頃、私は村の人々の使うある言葉のなかに面白い使い分けのあることに気づいた。それは「稼ぎ」と「仕事」の使い分けだった。

“稼ぎに行ってくる”村人がそう言うとき、それは賃労働に出かける、あるいはお金のために労働することを意味していた。日本の山村は農村よりもはるか昔から商品経済の社会になっている。食料を十分に自給することができず、自給自足的な生活を不可能にしてきた山村の社会では、昔から交換が生活のなかに浸透していたのである。

その結果貨幣を求めて賃労働に従事することは、農村よりも早い段階から村人の生活の一形態になっていた。

しかし「稼ぎ」は決して人間的な仕事を意味してはいなかった。それは村人にとってあくまでお金のためにする仕事であり、もししないですむならその方がいい仕事なのである。

ところが村人に「仕事」と表現されているものはそうではない。それは人間的な営みである。そしてその多くは直接自然と関係している。山の木を育てる仕事、山の作業道を修理する仕事、畑の作物を育てる仕事、自分の手で家や橋を修理する仕事、そして寄合いに行ったり祭りの準備に行く仕事、即ち山村に暮す以上おこなわなければ自然や村や暮しが壊れてしまうような諸々の行為を、村人は「仕事」と表現していた。

もちろんこの「仕事」は収入に寄与する場合もある。理想的にいえば、村人は「仕事」をして、その結果生活もうまくいくことを望んでいる。しかし現実にはそうはいかない。賃労働に出て貨幣を得なければ山村の生活はなりたたないのである。そこから生まれたたくみな使い分け、それが「稼ぎ」と「仕事」であった。(中略)

ある表現をとるなら、村人は使用価値をつくりだす、あるいはそのことが直接みえる労働を「仕事」と表現し、貨幣を得る労働を「稼ぎ」と表現していたのである。

だから村の子供たちが都市に出て、すでに何十年も会社勤めをしているときでも、村人は“子供が東京に稼ぎに出ている”と表現した。サラリーマンになることは村人にはどうしても「仕事」とは映らなかったのである。

同じように、たとえば山の木の下枝を伐りに行くときでも、そこに自分の主体性が発揮できるとき、労働を自分の手で工夫できるときには村人は「仕事」に行くと表現した。誰に命令されるわけでもなく、労働の結果がいつの日かお金になるかどうかもわからない。しかし下枝を伐り、木を育て、自然と人間の交流を培っていく行為がそこにはある。


ところが全く同じ労働をするときでも、たとえば営林署の下請仕事のようなかたちで下枝を伐りに行くときには、それは村人にとっては「仕事」ではなく「稼ぎ」だった。なぜならそれは営林署の計画にしたがって作業をするだけであって、労働の主体性が村人の手にはなくなってしまっているからである。ここでは村人は木を育てているのではなく、お金と引き換えに作業をしているだけなのである。


この「稼ぎ」と「仕事」の使い分けは、時に“他人仕事”と“自分仕事”と表現されることもある。“他人仕事”とは他人のために汗を流すことではなく、他人の下で働くこと、即ち賃労働を意味している。それに対して“自分仕事”とは自分が労働の精神的力能をもっている仕事である。“他人仕事はお金にはなっても疲れるばかりでつまらんもんだ”というような言い方になって、それはあらわれる。

「仕事」と「稼ぎ」の境界がはっきりしない都市に暮している私には、山村の人々のこの使い分けが快かった。とともに、ここにはいくつかの重要な問題が含まれているようにも思われた。そのひとつは村人の労働感覚が、使用価値をつくる労働が仕事であり、貨幣のためにする労働は稼ぎであるというところから成り立っていることである。だから「仕事」の世界は広い。人間が生きていくうえでおこなわなければならない諸々の行為、それがすべて「仕事」のなかに含まれる。


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上々の一日になりそうだ・・。 [ヘルスツーリズム実践報告・山や旅の報告レポート集]

早朝5時、ツエルマットの中心部にある教会前広場。
さて、今日はクライネマッターホルンへと向かう。
どうやら、天気も上々のようである。
写真: 早朝5時、ツエルマットの中心部にある教会前広場。
さて、今日はクライネマッターホルンへと向かう。
どうやら、天気も上々のようである。

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