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内山節氏講演録より「冷たいお金、温かいお金」


 
1.なぜ「振り込み詐欺」はなくならないのか

「冷たいお金、温かいお金」という言葉を使いましたが、世の中に振り込め詐欺という
のがたくさんあります。認知症の人が引っかかっているのではと思う方も多いのですが、
現実にはそうではありません。

圧倒的に多いのは普通の人達です。高齢者はよくTVを見ていますから、そのような事件が頻発していることは情報としてはよく知っているのです。
知っていても自分のところに来ると引っかかってしまうのです。

それはなぜだろうと思うのですが、今、高齢者が見つめているお金が何かということです。そこで、「冷たいお金、温かいお金」という言葉を使うのですが、冷たいお金として、額面価値だけを見つめてい
る。毎月入ってくる年金でどう暮らすか、多少の貯金があっても、大きな病気になつたり、
認知症になったらやっていけるかどうかわからないという思いで通帳を眺めていると、そ
こにあるのは、ほんとうに厳しいお金、人間味の全くないお金です。

そこへ全く音信のなかった“息子”が「交通事故を起こした」とか「会社の金を使い込んだ」とかの理由で「お父さん(お母さん)助けて」みたいな電話をしてくる。そうすると、久しぶりに“血の通
った”お金の使い方が発生するのです。「そのことによって自分の子供が助かる」。突然、
温かいお金の使い方が目の前に現れてくる。

「音信不通だった“息子”が困った時にはやっぱり自分を頼ってくれた」というのは親からすればほっとするものです。そのことが、「ここは頑張って助けなければ」ということで引っかかってしまうのです。シビアなお金に対面しながら生活していたお年寄りが、突然、ほっとするお金の使い方・人間味のあるお金の使い方に何年ぶりに出会うので、これには応えなければという思いからだろうと思うの
です。 
 
2.額面だけのお金、額面以上の価値をもたらすお金


―市場経済における貨幣― 関係のなかで使われる貨幣 


人間の血が流れているようなお金の使い方を、私は「温かいお金」と呼んでいます。 
どうも、私たちの社会で温かいお金の使い方が無くなっているようです。温かいお金は何
かというと、額面だけに支配されないお金です。「額面以上の価値がつく」お金です。たと
えば、子供の時に何か買いたいものがあって両親にねだったが、両親はくれなかった。そ
うしたらお祖母さんがそっと千円を出して、「これで買いなさい」といってくれた。

その千円は千円以上の価値がある。千円なのか1万円なのか、百万円なのか、そのような金額で
は計れないありがたいお金です。額面では価値判断ができないお金です。市場経済は額面
通りのお金しかないわけです。スーパーに行っても血の通ったお金はないわけで、300
円の物を買えば300円の価値しかありません。

ところが、人間たちがある関係の中で使う金は、額面では計れない価値が付与される場合があります。それは、お祖母さんのお金も、お祖母さんの孫の関係の中で付与されたお金です。金額じゃないよということです。


振り込め詐欺も、電話がかかってきた時点で“親子の関係”が一瞬にして回復するわけで
す。人間の一番大事な部分を詐欺に使うわけですから悪質です。 


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太古の知恵を受け継ぐ人々

太古の知恵を受け継ぐ人々

(とあるコラムからの抜粋)

 

 オーストラリアの先住民族アボリジニの人々は、4万年以上前にアジアからオーストラリア大陸に渡ってきたと考えられています。数千ともいわれる部族がそれぞれ独自の言語で話し、文字を持たなかったため部族の掟やさまざまな知恵を壁画に記したり、物語にして語り継いできました。

 各部族がそれぞれ異なる風習や文化を持っていますが、共通しているのは、自然界と調和して生きる、ということ。自然への畏敬の念を忘れずに暮らすことこそが、本当の幸せをもたらすと考えているからです。

彼らが祖先から受け継いできた風習や文化は、「ドリーミング」と呼ばれる物語として、今も伝えられています。どの物語も自然や生き物たちを擬人化した抽象的な表現が多いのですが、すべての部族が共通して持つ『天地創造の神話』が世界の始まりだと信じられていること。

話の内容は部族によって異なるものの、空と大地の神が世界を作り、私たち人間が生まれ育った大地は家族が暮らす大きな家、という概念が根底にあるということです。


もともと住居を持たないアボリジニの人々は、狩猟を続けながらすみかを転々とし、自然の中に住まいを見つけてきました。それは、洞穴であったり、岩陰であったりするのですが、それぞれの場所は、女性たちの出産のための洞穴、男性のみが立入りできる洞穴など、部族の掟によって厳しく用途が決められていることが多かったようです。その場所がどんな用途で使われたのかは、岩肌に残された壁画によって今に伝えられています。

 現在、アボリジニの人々のほとんどは、私たちと変わらぬ普通の家屋に暮らしていますが、なかには太古の昔と変わらず、自然にできる限り近い場所で、自然の神々を敬いながら暮らしている人々もいます。

 森の中の岩陰に寝床を作り、朝夕には大自然の神に祈りを捧げながら、川に水を汲みに行き、糧となる木の実を探すなど、原始的ともいえる生活が基本。現代の便利な文明の利器や大金には見向きもせず、ひたすら先祖から受け継いだものを守る姿には、身震いするような感動を覚えます。

人にとってもっとも大切な基本理念


オーストラリアでは、アボリジニの人々の教えを学ぶツアーもあります。それに参加すると、彼らの伝統的な暮らしぶりを垣間見ることができます。例えば、トゲのついたツル状の植物を釣りに使ったり、木の根のへの字型の部分でブーメランを作って狩猟を行うなど、いかに自然が暮らしに根付いていたかがわかります。


 また、彼らの考え方や教えは、ふだん忘れかけている大切なものを思い出させてくれます。それは、どんなに大変なことがあっても、どんなに周囲の環境が変わってしまっても、どんなに悪い誘惑があっても、守るべきものは家族であり、忘れてはならない大切なものは、私達を取り巻く自然なのだということ。大地と空、宇宙、そしてこの地球上のすべてのものが調和して生きている=生かされているのだと、気づかせてくれます。

 私たちにとって「本当に大切なものは何か?」「守るべきものは何か?」ということを彼らは常に意識しながら暮らしています。そして、自分が地球上に生を受けた意味を考え、受け継いだ大切なものを後世へと伝えてほしいと願っている。彼らは、そうして何万年という年月を生きてきたと言います。


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内山節氏講演録・職人技と大量安価生産

先端とは言われない昔の製品の生産方法は、意外と職人技が使われています。先
端製品はお金があれば中国でもインドでも簡単に作ることができます。15年ほど前、韓
国のサムスンの社長の記者会見を見ていました。

液晶テレビにサムスンが参入するという
ものです。記者団から「液晶テレビの技術は持っているのか」と質問を受けました。それ
に対し、社長は「ありません」と答えました。記者は「何の技術もなしにどうやって作る
のか」という質問がありました。

社長は「ご心配要りません、必要なものは全部日本から
買います」と答えました。まさにサムスンは必要なものを全て日本から買って作って、そ
れから徐々に自社でできるものは自社でやるというようになってきています。いまや、液
晶テレビ世界一のメーカーになっています。

韓国の現代( Hyundai )という自動車会社がアメリカに車を初めて売り込んだときです
が、コマーシャルで、車が道を走っている映像が流れ、「どこの車?」「現代です。」「現代
ってどこの会社?」「韓国です。」「韓国の車って大丈夫なの?」「ご心配要りません。エン
ジンとトランスアクスルは三菱です。」という中身でした。

トランスアクスルはエンジンと
タイヤを繋ぐ部分ですが、この2つを三菱で作っているということは、後は単なる箱を作
っているだけではないかという気がしますが、そのような形で出発したのです。それが今
やアメリカ市場でも、日本車を脅かす存在になっています。今の経済は短期間のこのよう
なことができるようになっています。

もちろん立ち上げる段階では人間がある程度必要で
す。いくら材料と装置を買って来ても、その装置を動かす人間が必要です。円滑に動くに
は人間の手による微調整が必要です。韓国がこの間急激に経済発展しましたが、日本の技
術者が相当関わっています。

特に定年技術者です。技術があるが、お払い箱になった技術
者です。その人たちがかなり高給でスカウトされ韓国で働きました。結果として技術移転
しました。材料が買え、装置が買え、人が買えれば、お金があれば当然にできます。今、
中国も液晶パネルや太陽光パネルを作っている会社では日本の定年技術者がいっぱい行っ
て働いています。

自分たちの技術を活用できるわけです。
そのことを長い目で見れば悪い事ではありません。先進国が世界市場を独占している状
態の方が、不公平かつ不平等です。いずれ正さなければならない。新興国が台頭している
状況は、長い目で見れば平等になっていく過程です。しかし、富を独占していた先進国に
とってみれば、独占を前提にした社会構造が出来上がっているわけですから、それが崩れ
るということはつらい目にあうということです。

それが今始まりました。
日本については高齢人口が増加していますから、昔のように成長することはあり得ませ
ん。私は立教大学の他に東大でも授業を持っています。3年ほど前に福井市の旧商店街出
身の学生にレポートを出してもらいましたが、福井市の商店街がいかに衰退しているかと
いうものです。

かれは気持ちとしては福井に戻りたいが何の展望もないということが延々
と書いてありました。見た目は派手ですが、東京首都圏もかなり衰退してきています。通
勤圏として千葉県、埼玉県、神奈川県を含みますが、数値的に見て経済指標が横ばいなの
は東京都だけです。周辺の千葉県、埼玉県、神奈川県は急激な落ち込みをしています。落
ち込の理由は、住んでいる人たちが高齢化したからです。

特に、高度成長期に「金の卵」
といって、日本中の若者をかき集めましたが、その人々が65歳に達しつつあります。7
5歳以上、65歳以上の人口の増え方は数の上では首都圏が他を圧倒しています。同じ現
象が大阪でも起きています。大阪も高齢人口が急激に増えています。これから介護などを
どうするのか非常に深刻な問題になってきます。

高度成長のときには、全国の若者をかき
集めて、その人が結婚し、家を建てるなど、経済でいえばある程度活性化してきたわけで
す。ところが、その人たちがまとまって高齢化してきたわけですから、いろんなものが売
れなくなってきたわけです。しかも、不安な社会はではお金を持っていてもお金を使えな
い社会です。

自分が認知症になるかもしれない、この後の医療制度も悪くなることはあっ
ても、良くなることはないだろうという不安もあります。今の世界経済は、先進国はどこ
でも強烈なインフレ政策を取っています。お金をジャブジャブ出しています。にもかかわ
らず、インフレにならないというのが今の不思議な状況です。

どこかで堤防に穴があくこ
とがあれば、巨大なインフレになる恐れがあります。他方ではデフレを心配し、もう一方
でインフレが起きたらと心配する。そんな事を考えていて誰もお金を使わない社会を作っ
てしまった。

一方においては、比較的お金を使ってくれるはずの現役世代の人口が首都圏でも急激に減っています。首都圏の中でも郊外から衰退しています。団塊の世代を大量に入居させた
多摩ニュータウンなどは、高齢者ニュータウンになっています。しかも丘陵地を開発した
ので、坂が多く高齢者には住みにくい地域になっています。

また、子供達はみんな出て行
って、地域に若者がいないので元気な高齢者がNPOを作り、元気を失った高齢者を支援
するようになっています。このやり方で10年も20年も続くはずはありません。


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縦割りは「なぜ」「どうして」の思考を遠ざける

縦割りは「なぜ」「どうして」の思考を遠ざける

(とある提言からの抜粋) 

 3.11の大厄災からまもなく一年になろうとしています。報道された映像は走馬燈のごとく過ぎ去り、遅々として復興が進まない被災地には雪が積もり、瓦礫の山を白く覆い隠しました。そして世間の関心もどこかへ移ろいでしまっています。

 子や孫が安心して楽しく暮らせる社会を創っていくために、何が一番大切か適切かを考え実行することは今をになう大人の責務ですが、組織のヒエラルキーや自己保全が優先され、問題の隠蔽や先送りが行われているという情けない実態です。

 行政には都道府県境・市町村界という見えない区域境が存在しますが、産業の視点から見たら行政界はありません。道や線路はつながり、モノや人は往来し、情報に国境ゲートはありませんから、訪問者に「そこから先は違う町だから行かないで」などと言えませんね。
 

公務員時代、もっと学校現場に食育や体験学習を広げたいと教育委員会への異動希望を出したところ、M部長に「異動しなければできないと考えるな。考えついた者がその部署でやればよい」と一言。その部署でないとできないという縦割りの呪縛にはまり、今の部署でやるにはどうしたらよいか、なぜできないかを考えず縦割り組織の中で思考停止していたのです。

CSRツーリズムで企業の新たな魅力が引き出される



山口県宇部市は、明治時代から石炭産業で発展する一方、戦後は公害世界一【1】と言われる煤塵(ばいじん)公害に苦しみました。しかしながら、いわゆる公害訴訟を経て問題を克服した他地域と違い、工場を操業する宇部興産と市民が同じテーブルにつく「煤塵対策委員会」での長い話し合いによって公害克服の道を歩みました。
 

これは後に「宇部方式」と言われ、企業と市民のどちらか一方に負担を強いるのではなく、横につながり双方がメリットを取り、課題解決していく姿勢が宇部市の風土となりました。
 この風土を共有する宇部・美祢・山陽小野田の三市が現在、「大人の社会派ツアー」と銘打ってCSRツーリズムによる産業観光を行っています。
 

このツアーは、宇部工場から美祢市伊佐工場をつなぐ全長30kmの宇部興産車両専用道路や宇部港に架かる全長1kmの興産大橋の通行、窯業や石油化学の工場群、国内最大の貯炭場(石炭の集積場)、大型タンカーが寄港する企業専用岸壁、大規模な露天掘りが行われている石灰石鉱山(伊佐鉱山)等をめぐる、工場萌えでなくても垂涎(すいぜん)のコースです。

 私も「全国まちあるき観光サミット in 宇部」で、素晴らしい工場群の夜景ツアーを堪能しましたが、何よりも感銘を受けたのは宇部興産OBである渡邉さんのご案内。「あの灯りの中で24時間休みなく働いている人がいる。それが宇部の経済を発展させ維持している」という語りでした。
 

とかく経済を語るときは人の営みなど消えてしまうものですが、グローバル企業の中核を担ったOBから、公害企業として叩かれそれを克服して行く過程で個人はどう考え、生きたかを直接拝聴しながらの夜景ツアーは、心に響いた一夜でした。

縦割りの安定志向に横串の活性剤を


 宇部興産のように複雑なコンプライアンスの存在する企業が、なぜ産業観光に協力しているかとの疑問もあるでしょう。それは単に、企業と地域住民の横連携ができる風土が醸成されているからだけではないでしょう。優れた着想と成果を出すための努力、さまざまな立場の人のネットワーク体制があってこそ、企業も積極的に新しい試みに賛同・参加できるのではないでしょうか。
 

すべての組織や考え方が縦割りの日本。短歌や俳句は縦書きがしっくりくるように、縦文化も悠久の歴史から育まれてきました。どうやら日本人は縦でモノを思考するDNAを持っているようです。縦組織だと安心な感じもしますし、それが日本における安定思考なのです。

でも、縦割り組織だけでは実行できないものでも、人を介して横串を刺せば、芋づる式に実行組織が立ち上がります。激変する社会で、新たに成長するしくみを創るには、横串が欠かせません。


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内山節氏講演録・その1

私は気分の中では群馬県上野村という山間地に
住んでいます。人口は1400人です。村民の所得からいえば日本最貧の村に近いと思い
ます。しかし、役場の財政状況は大変よく、地方交付税の不交付団体です。なぜ、不交付
団体かというと、最近、村の奥の地域にダムを1つOKしました。

昔の建設省のダム計画では村内に8つのダムを造る計画がありました。今回の市町村合併で強制的に合併させられる恐れがあったので、しかたなく、奥の方のダムだけをOKすることとしました。そこ
で暮らしている人たちが本当に貧しいのかといえば、そうでもありません。

山奥の村ですから、村の人たちは何でもできますし、昔に近い形での助け合いともあり、村で暮らして
いると、生活自体もそんなに貧しくは感じません。むしろ、その何倍もの所得がある東京
の人たちの方が貧しいかもしれません。


お金があるからといって幸せになるわけではありません。時には、お金はそんなにない
けれども幸せな人生というのはあります。もちろん、日々の生活が不可能なほど絶対的に
窮乏化してしまえば、そのようなことはいってられませんが。私たちの生活の上でお金は
どういう役割を果たしているかですが、不思議な存在でもあります。

今日、はっきりとした所得格差が出てきました。全国的な平均貯蓄額は1世帯当たり1000万円とかという数字があります。それを押し上げているのは定年退
職者世代で、比較的お金を持っています。2000万円くらいあります。現に働いている世代では、東
京では50歳代前半で貯蓄ゼロとなっています。

その年代は子供の教育費や住宅ローンで支払いのピークを迎えるのです。その後、子供が大学を出るころから少し貯めて、退職金を貯めるというパターンです。それより若い世代では今までのような安定的な雇用が無くなっていますし、非正規雇用で働く人が増え、退職金でまとまってお金を返せるというようには言えなくなっています。

非正規雇用は低賃金で過酷な仕事で働いているというイメージです。量の上ではそのような人が圧倒的ですが、そうではない非正規雇用の人もいます。専門の分野で、たとえば開発部門で働いているとかで、契約雇用で働いています。25年ほど前に日本の代表的な電機メーカーを見学したことがありますが、研究開発部門に何十人も働いていました。

そこでは管理職など2,3人が正規雇用で、後の人は全員契約社員でした。技術革新のスピードが早いので、正規社員を雇うと、その部署だけしか分からない人が長期に雇用されることとなるので、必要がなくなった時に無駄になってします。

必要な技術を持っている人を契約で雇う方が都合がよいとの説明を受けました。非正規雇用の技術者たちは1000万円くらいの年俸で働いていました。けして、貧しい非正規雇用というものではありませんでした。働いている人は割り切っていて、10年間ほどでお金を貯めて、その後は全く違うスキルでやりたいという感じでした。

東京を中心に、そのような人を含め、私たちがイメージする、年功序列で退職金をもらうという形態とは切り離された人たちが大量に存在します。今年の春大学を卒業した人たちの50%は非正規雇用ですが、その人たちは1000万円とかいう年俸ではなく、低賃金の非正規雇用です。

そのような人たちが半分を占める時代になっており、これまでのような、退職金で負債を消せ
るような人生設計はできません。これは、言いたくないことですが、一面ではやむを得な
いことです。かつて、日本を含め先進国は全て高度成長でした。ドイツもフランスもそう
でした。

なぜ先進国が高度成長できたかといえば、先進国数カ国で世界経済を牛耳ってい
たからです。本来的には不当な形です。先進数カ国の談合によって世界市場が全て押さえ
られていたのです。結果として、先進国に大きい富をもたらし、人々はその分配に預かっていたのです。

ほんの20年前まで、自動車を大量生産できた国は10カ国もありません
でした。日本、アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデンや旧ソ連、旧東ドイツなどで
した。大量生産で市場を牛耳っていたのは10カ国に満たない国でした。そこで、富の独
占ができたわけです。ところがそこに風穴が空いた。新興国の台頭です。

「中国製製品」として連想するのは「100円ショップ」と「毒ギョウザ事件」です。信用できないイメー
ジですが、実際には中国は先進的な製品をどんどん作り始めています。太陽光発電パネル
は中国が生産量世界一です。どうしてそのように短期間にできるかですが、先端製品を作
ろうとすると、作るための工作機械や材料をどこで手に入れるかです。半導体を作るため
の半導体の基板になるシリコンウェハーというものがあります。

シリコンウェハーの上に線を引っ張って、酸化還元を繰り返しながら錆びをいっぱい作って、錆びの部分がトランジスターの役割を果たし、非常に複雑な半導体が出来上がります。シリコンウェハーを作る会社は世界に6社くらいだと思います。

一番大きなシェアを持っているのは信越化学という会社です。インテルが半導体を作る場合には信越化学などから買う必要があります。そのシリコンウェハーの上に線を引くには、ステッパーという機械を使います。1mm幅に200本のような線を引くことができます。光学技術で光をコントロールして、レーザー光線で線を引いて行きます。

ステッパーを作っているのは、日本のニコン、キャノンそしてドイツのシーメンスの3社しかありません。3社で独占しています。逆にシリコンウェハーを作る会社もステッパーを作る会社も、買ってくれるところがあれば何処へでも売ってしまいます。酸化還元を繰り返する炉を作る会社も日本には何社もありますが、そのように、必要なものを買い集めて生産をしていく。それが、先端といわれる製品の生産方法です。


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自然はローカル世界のなかにある(内山節)その2

こんな書き出しになったのは、「木を植える」ことを今日どう考えるのかは、
案外簡単なことではないからである。もちろん草木がなくなったような所はあ
らゆる手段を使って自然を回復させなければならない。ところが現在の日本を
みると、そのようなところはほんの例外的にしかなく、ほとんどの所では木を
切らなくなった弊害の方が大きくなってしまっているのである。

たとえば動物
や植物のなかには草原を好む生き物がいる。ところが木を切らないから、山の
なかに草原ができなくなってしまった。かつては山を歩けば野兎がいくらでも
いたけれど、現在では天然記念物に指定したくなるほどに少なくなっている。
草原に暮らす野ネズミも減った。

そしてそのことが野兎や野ねずみを餌にする、
たとえばキツネなどの生存を圧迫している。そのなかでも私が気の毒に思って
いるもののひとつにクマタカがいる。クマタカは草原で餌をとる鳥である。鳥
は羽を痛めれば致命傷だから、鷹は森の中では狩りをしない。クマタカは羽を
広げれば2メートル近くにもなるのである。

だから草原で滑空をしながら餌を
とる。ところが森ばかりになって餌場を失ってしまった。仕方なく森の切れ目
に垂直に飛び降りたりしているのだけれど、これではなかなか餌をえることは
できない。

山は多様性があるのが一番いいのである。深い森も重要だ。しかしそれだけ
ではなく
若木が茂る森も必要だし、草原もいる。樹種もさまざまであった方がいい。山
はこんな状態のとき、生態系も豊かな、しかも人間にもさまざまな恵みをもた
らす山になる。

太古の時代なら山火事が自然に草原をつくりだしていたが、い
までは山火事を人間が消してしまう以上、人が木を切らないと草原ができなく
なってしまったのである。森に対して人間たちがどんなことをするのがよいの
かは、その場所で考えなければいけない。

ハゲ山がつづいているような場所で
は木を植えた方がいいだろう。逆に見渡すかぎり森に覆われているような場所
では木を切る必要があるだろう。生育途上の森なら間伐をした方がいい。それ
らはすべて現場で考えるべきことである。


森のことは森に聞く、それが一番よい方法なのであって森には一般論は通用
しない。ある場所では木を植えることが善になっても、他の場所ではそうはな
らないこともある。自然にとってもそうだし、自然とともに生きてきた人間た
ちにとってもそうなのである。

たとえば森は保水力をもっているという考え方がある。ところがこれもまた
その場所の条件によって一様ではない。保水力、つまり水をためる力をもって
いるのは土壌であって森ではない。土壌の性格が一番大きな役割を果たすので
ある。ところがその土壌に雨がしみ込まなければどんなに水をためやすい土壌
があっても水はたまらない。

とすると何が水をしみ込ませるのか。地面に生え
ている草や堆積した落ち葉が、である。これらが雨水が流れ落ちるのを防ぎ、
いったん水をとどめる。そのことによって土壌にしみ込みやすくなる。そのと
き山が森に覆われすぎていると、木の下は光がささないから下草が十分には生
えない。その結果案外水がしみ込まないのである。

しかも少ししか雨が降らな
いときには、その雨は木の葉などに受けられで地面まで到達しなくなる。さら
に木は蒸散作用もするから、逆に地下水をくみ上げてしまうという面もある。
もちろん私は、だから森はいらないなどといっているわけではない。

このこ
ともまた現場で考え、その場所にとってどうするのがよいのかを考える課題だ
と述べているのである。現場で森の様子や下草の状態、さらに土壌の質をも考
慮に入れながら、地元の人に川の水量の変化などを教えてもらう。そうやって
考えていくのが一番いい。


自然を守ろうという意識が都市の人たちにも広がってきたとき、この問題で
地元の人たちが困った。地元の人たちはこの場所の森はどうあったらよいのかを考えていたのだけれど、都市の人たちは森一般を考え、すべての森に共通の
方策があるという錯覚をもっていた。

いまでは都市の人たちも森の複雑さに気
づきはじめているが、以前は木を切ることがすべて悪と考える人たちもいた。
自然はさまざまであり、森もさまざまなのである。自然条件がさまざまであ
るばかりでなく、その地域の自然と人間の関係史もまたさまざまである。その
多様性をのなかで自然や森について語ろうとするなら、その場所で考えるほか
ない。


かつて日本のボランティアが失敗したことがある。それは中国の砂漠化した
地域に一生懸命木を植えたことだった。この場所は昔の植生から判断すれば、
草原を回復させるべき場所であった。

ところが木を植えることがいいことだと
いう一般的な思い込みから植林してしまったのである。その結果どうなったの
かといえば、植えた木がわずかしかない地下水をくみ上げ、逆に砂漠を拡大し
てしまった。


自然を守ろうとすることは、もちろん私も大賛成である。だが一般論で語る
ことにはあやうさがつきまとう。そのことをたえず自覚していないと、ときに
私たちは誤りを犯すことになる。


だが、それだからこそ自然と結ばれるのは楽しいのである。プロバンスの近
くの村で村長は風の変化を感じとり、私はそれに気づけない。それでいいのだ。
自然はそこに住んでいる人にしかわからない一面をもっている。あの日の私は、
村長の満ち足りた表情のなかに、自然と人間の関係する世界を感じていた


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過疎の村をゆるがす事件

過疎の村をゆるがす事件


 浜田市・太田市とあわせて石見三田と呼ばれる島根県益田市は、県内で最も広い面積を有する西部の中心都市です。「万葉集」の代表的歌人・柿本人麿の生誕終焉の地、水墨画家で禅僧の雪舟終焉の地といわれ、2つの柿本神社や雪舟の墓所、雪舟の手がけた庭園があります。

 平成16年に益田市へ編入合併した匹見町は、JR益田駅から40分ほど車で移動した山間地にあります。さまざまな滝やシャクナゲの群生、珍しい渓流魚や鳥が見られる西中国山地国定公園の「匹見峡」が有名です。


() 過疎化は進んでいたものの、匹見町は昔から特産品開発の得意な町で、わさび漬けからメロン、ヤマメ、栃餅、ゆべし、自然薯、せんべい、餅など50品目の特産品を全国に宅配していました。
 ところが小泉内閣時代に、住民にとっては事件ともいうべき郵政民営化が行われ、地元産品を手がけてきた「ゆうパック商品」を、匹見郵便局で扱ってもらえなくなったのです。

さらにチラシの印刷や遠方へのカタログ無料配布ができなくなったのに加え、審査や手続きが煩雑になりました。
 物量でコストを下げる大企業と違い、山間地の少量物流にとっては経費がかさみ、小さな集落やグループにはかなりの負担となりました。

限界集落が全員加入の生涯現役会社へ

 現在、匹見町の中心部からさらに奥に入ったところにある萩原集落は、19世帯20人(平成23年2月現在)が暮らす、高齢化率57%の限界集落です。
 高齢化が進み農地の荒廃がみられだした平成10年3月、「集落から灯りの消える家を出さないために何かできないか?何かをやろう!」と何回も話し合いを重ねて、集落民全員加入で全員が主役という、集落任意組織『萩の会』を結成しました。


 最初に手をつけたのは、集落に一軒だけあった空き家でした。平均年齢70歳以上の女性6人(現在7人)が、そこを借りて農家民宿「雪舟山荘」を開業。男性陣は遊休田を耕し、食器をつくり、山菜収穫やイノシシ捕獲などで自給食材の確保をするなど裏方のサポートをしました。そしていつしか、自分たちの都合でお客さんを泊める「わがままばあちゃんの宿」と呼ばれる名物宿になりました。


 平成13年には町から遊休地のブルーベリー園を引き受け、年間6千本の注文が入る人気のジャムも誕生。そして、平成17年頃には経営が安定し、利益分配や税金の問題が出てきたため、仲間からソォねえさんと慕われる齋藤ソノさん(現在87歳)を代表取締役に「株式会社 萩の会」を設立してしまったのです。
 まあとにかく、集落の女性たちが元気なんですね。

 ところが平成18年、「雪舟山荘」の家主がUターンしてくることに。定住者の増加を目標にしてきた活動なので、歓迎しても困るとは言えません。やむなく民宿は閉鎖することにしました。
 しかし女性たちの落ち込みを見た男性陣が「活動がここで途絶えてはいけない」と、ほぼ手づくりで新たな拠点「萩の舎(やど)」をがんばって作ったのです。

 こうした取り組みが認められ「萩の会」は、男女共同参画社会づくり内閣官房長官表彰や地域づくり国土交通大臣表彰ほか、数々の栄誉を手にしています。
 活動の原動力は、集落の良さを子どもたちに語り継ぎたい、良い形で次の世代に引き継ぎたいという思いですが、全員で話し合いをして合意していくまとまりの良さに加え、ボランティアでなくキチンとビジネスとして成立させ、就労の場を確保するという考え方が徹底しているのです。
 過疎地域でも高齢者ばかりでも、すごいことができるという見本です。


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内山節氏の言葉学・仕事と稼ぎ

「山の畑の耕作をはじめた頃、私は村の人々の使うある言葉のなかに面白い使い分けのあることに気づいた。それは「稼ぎ」と「仕事」の使い分けだった。

“稼ぎに行ってくる”村人がそう言うとき、それは賃労働に出かける、あるいはお金のために労働することを意味していた。日本の山村は農村よりもはるか昔から商品経済の社会になっている。食料を十分に自給することができず、自給自足的な生活を不可能にしてきた山村の社会では、昔から交換が生活のなかに浸透していたのである。

その結果貨幣を求めて賃労働に従事することは、農村よりも早い段階から村人の生活の一形態になっていた。

しかし「稼ぎ」は決して人間的な仕事を意味してはいなかった。それは村人にとってあくまでお金のためにする仕事であり、もししないですむならその方がいい仕事なのである。

ところが村人に「仕事」と表現されているものはそうではない。それは人間的な営みである。そしてその多くは直接自然と関係している。山の木を育てる仕事、山の作業道を修理する仕事、畑の作物を育てる仕事、自分の手で家や橋を修理する仕事、そして寄合いに行ったり祭りの準備に行く仕事、即ち山村に暮す以上おこなわなければ自然や村や暮しが壊れてしまうような諸々の行為を、村人は「仕事」と表現していた。

もちろんこの「仕事」は収入に寄与する場合もある。理想的にいえば、村人は「仕事」をして、その結果生活もうまくいくことを望んでいる。しかし現実にはそうはいかない。賃労働に出て貨幣を得なければ山村の生活はなりたたないのである。そこから生まれたたくみな使い分け、それが「稼ぎ」と「仕事」であった。(中略)

ある表現をとるなら、村人は使用価値をつくりだす、あるいはそのことが直接みえる労働を「仕事」と表現し、貨幣を得る労働を「稼ぎ」と表現していたのである。

だから村の子供たちが都市に出て、すでに何十年も会社勤めをしているときでも、村人は“子供が東京に稼ぎに出ている”と表現した。サラリーマンになることは村人にはどうしても「仕事」とは映らなかったのである。

同じように、たとえば山の木の下枝を伐りに行くときでも、そこに自分の主体性が発揮できるとき、労働を自分の手で工夫できるときには村人は「仕事」に行くと表現した。誰に命令されるわけでもなく、労働の結果がいつの日かお金になるかどうかもわからない。しかし下枝を伐り、木を育て、自然と人間の交流を培っていく行為がそこにはある。


ところが全く同じ労働をするときでも、たとえば営林署の下請仕事のようなかたちで下枝を伐りに行くときには、それは村人にとっては「仕事」ではなく「稼ぎ」だった。なぜならそれは営林署の計画にしたがって作業をするだけであって、労働の主体性が村人の手にはなくなってしまっているからである。ここでは村人は木を育てているのではなく、お金と引き換えに作業をしているだけなのである。


この「稼ぎ」と「仕事」の使い分けは、時に“他人仕事”と“自分仕事”と表現されることもある。“他人仕事”とは他人のために汗を流すことではなく、他人の下で働くこと、即ち賃労働を意味している。それに対して“自分仕事”とは自分が労働の精神的力能をもっている仕事である。“他人仕事はお金にはなっても疲れるばかりでつまらんもんだ”というような言い方になって、それはあらわれる。

「仕事」と「稼ぎ」の境界がはっきりしない都市に暮している私には、山村の人々のこの使い分けが快かった。とともに、ここにはいくつかの重要な問題が含まれているようにも思われた。そのひとつは村人の労働感覚が、使用価値をつくる労働が仕事であり、貨幣のためにする労働は稼ぎであるというところから成り立っていることである。だから「仕事」の世界は広い。人間が生きていくうえでおこなわなければならない諸々の行為、それがすべて「仕事」のなかに含まれる。


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アーユルヴェーダを近代化、“融合医療”の柱に

アーユルヴェーダを近代化、“融合医療”の柱に

健康産業新聞より抜粋 

 アーユルヴェーダ医療融合協会(事務局:東京都千代田区、電話03-3239-6611)は先月29日、「ヘルスケアとアーユルヴェーダ」と題したセミナーを開催し、医療従事者やアーユルヴェーダ、ヨーガ関係者など約100人の参加者を集めた。

 理事長を務める廣瀬輝夫氏(元ニューヨーク医科大学教授)は「代替医療や相補医療という呼び方が一般的だが、本来、東洋医学と西洋医学は同等であるべき」と指摘。また「“統合医療”は玉石混合となり、良い療法もそうではない療法も全て含まれてしまう。

優れた療法だけを融合する“融合医療”が、いま求められている」との考え方を示した。その上で、アーユルヴェーダが果たす役割について言及。「3500年以上の歴史を持つアーユルヴェーダには、優れた治療法やハーブが多いが、考え方に大きな進歩がないのも事実。アーユルヴェーダを日本の環境に合った形に近代化することが当協会の目的」とした。

 セミナーには、アーユルヴェーダの最前線で活躍する有識者が登壇。アーユルヴェーダ研究所理事でアーユルヴェーダ医師・カウンセラーの安藤るみ子氏は、消化と代謝で毒素を出すオイルを使った浄化療法など、インドで伝統的に利用されている療法を具体的に紹介。

「人間の肉体、五感、精神、魂を奇麗していくことで、精神的な問題でも肉体的アプローチである程度、健康に持っていこうというのがアーユルヴェーダ的方法である」とし、健康と美容の両面からもアーユルヴェーダ療法が万能であることを強調した。

 日本人にあった「和ゆるヴェーダ」を提唱する同協会理事でアーユルヴェーダ&ヨーガコンサルタントの西川眞知子氏は、自然法則にしたがって生きる方法などアーユルヴェーダの理念を中心に解説。「アーユルヴェーダにおける健康の定義」について事例やエピソードを交えながら紹介した。

また、日本アーユルヴェーダ協会理事長でアーユルヴェーダ医療融合協会の副理事長も務める上馬塲和夫氏は、医療費の増加や十分に機能性していなメタボ対策などを例に挙げ、治療以上に予防が必要。未病を治すヘルスケアシステムとしてのアーユルヴェーダやヨーガが注目されているとした。

 同協会では、日本国内外でアーユルヴェーダやヨーガを体験できる環境の整備を目的に、今後もセミナーなどを通じて普及活動を実施。同時に他の医療や代替療法などとの融合も模索していく。また、来年にはインドのアーユルヴェーダを体験するメディカルツーリズムも計画している。


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内山節さんの言葉学その8

●「日本のコミュニティの伝統智とは3」 講師:内山節


【講義概要】

7. 世界観


(1) 何を精神的な拠り所をしてきたか?(祭り、修験道、山の神など)
(2) 共同体における死とは?

【講義内容】


○日本的世界観


 世界観とは「世界がどのような構造になっていて我々がどうそれに関わるか」、と考える。こういうことは必要だが、日本の伝統的な世界観とはちょっと違う。かつての人たちは自然との「つながりの中で」考えていた。

○「おのずから」


 自然というのは明治になってできた言葉で、それまでは「じねん」と読んでいた。じねんの意味は「おのずから」で、「しぜん」とよむと「突然」という意味を指していた(自然も突然のできごとも、原因が分からないことから)。

○日本文化と道教


 道教は古くから日本に入ってきていた。端午の節句は本来道教の儀式で、江戸時代に変化するまで、もともとは男女年齢を問わない行事だった。冬を通して芽生えて強い草をからだに入れることで、からだをキレイにする儀式だ。七五三も道教の儀式だ。

 老子は国家が表にでてくるが、荘子は国家はあまり関係ない(無為自然)。自分の思いのまま生きる、おのずからのままに生きることを理想とする。日本には早くから受け入れられた。

○仏教とキリスト教の違い


 カトリックの場合はバチカンが全てを統括しているが、仏教は特に統括者がいない。土着のものと融合して変化するのが特徴(日本仏教、チベット仏教、中国仏教など)で、管理のしかたも非常にゆるい。教義を厳密に守るキリスト教に対し、仏教は地方ごとに変容する。

教典自体が地場の色彩を強くもち、訳す人によって内容に特徴が出てくる。儒教系の人が教典を翻訳すると儒教のにおいが強くなる。儒教は国家の安定がすべてとする思想体系だ。臨済宗は儒教的なにおいが強いが今はだいぶ土着に近くなっている。道教系の翻訳者もいた(曹洞宗、真言宗(空海))。

○西洋と日本の考え方のちがい


 人間もおのずから生きることが理想だが、人間は自分というものがある。この結果としておのずから生きることができない。日本の思想、仏教では「私」を持っているためにろくに生きることができないと考え、自分を排する方向に向かう。

悟りを開くとは、いわば自然に戻ることである。西洋文化は逆で、自分があるからこそ文化ができる、と考え、どちらかというと自分を持つことがよいこととされる。日本の思想は確信をいおうとすると文学的になるが、西洋は理論的になる。

○「おのずから」の具現としての神仏、回帰としての死

 「私」を持っているためにろくに生きることができないと考える。悲しき存在としての人間があり、悲しくないものは自然である。日本の人たちが見出した真理が「おのずから」だった。真理は見ることができない。

見えない真理が我々の前に姿として現れるのが権現思想であり、神仏だ。そこに山岳信仰が生まれる。「おのずから」が姿を表したものが山なのだ。真理を教えようとするのが大日如来で、それでも分からない人にたいして不動明王が現れる。

人は死ぬとおのずからの生き方と成り、自然と一体化し、里を守り続ける。おのずからに生きられない人間たちが近くの山に帰っていき、私という垢(あか)をとる=自然と一体化する。「死」もまた1つではない。子供の死により大人が生まれると考える。

あるツナガリの中で別れ=死があり、出会い=再生がある――日本人はこういう世界観を持ってきた。

 民衆が信仰してきたのは、現象としては多様だけど究極的には一神だ。たくさんの神仏があるが、すべて「おのずから」の化身(一即多)。日本は多神教なのではなく、たくさんの神様が出てくるのは現れ方がちがうだけで、究極的には“一神”を指している。

ただし、キリスト教の一神教とは違う(この世界を作った神
←→「おのずから」の化身)。また天皇家は多神教を唱える。天皇家の多神を根底においたから、わからなくなった。「日本は多神教」という言い方には気をつける必要がある。

○日本人と精霊信仰


 もともと日本で発生した人間はいない。台湾にいた人たちが船を使ってポリネシアへのりだし、再度台湾に戻ってきて、インドネシアの文明にも影響を与えつつ、日本の方にも移住し、縄文のさきがけとなった。ポリネシアではマナ信仰(すべてに神が宿っている精霊信仰)もっていた。

それに対するカミ信仰を、天皇一族をふくめて持ってきたのは中国朝鮮からやってきた人たちだった。天地創造の神(日本神話の天皇家側のカミ)を作ったのはカミ文明側のひとたちで、もともとの日本人にはマナ文明的な精霊信仰があった。


○修験道と国家


 奈良時代には山林修行というのが出てきた。これが修験道のはじまりではないかといわれているが、修行を通して伝えていく宗教なので書物が残されていない。修験道成立は600年代中頃、開祖は役小角(役行者)とされている。

修験道では死=それまでの自己と別れる=再生であり、死と再生の宗教だ。密教とも重複する。山を歩き、滝に打たれる。この後の修験道体験では「さんげ、さんげ、六根清浄」と唱えるが、さんげとは懺悔のことで、人間であることをごめんなさいと懺悔する。

人間の意識は六根から成り、これがきれいになると人間がきれいになるとされている。六根とは、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識のこと。脳の下請けではなくて、人間の認識だととらえる。

 明治5年に修験道禁止令が出て、新憲法が発布されるまで禁止されていた。修行のみで伝えるものが数十年禁止されたためにわからなくなってしまった。富国強兵の政府の方針に対し、おのずからという自然信仰は、最も相反するものだったためだ。当時、専門の修験者だけで17万人も失職したという(当時の人口3000万)。現在でも宗教専門職が23万人いるという。


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人間は森で生まれた!

人間は森で生まれた!

12月6日点灯を待つばかりのルミナリエ界隈の旧居留地は今、秋まっ盛り。色鮮やかなケヤキ並木の紅葉が、一段と美しさを演出しています。

皆様の町の街路樹って、いったい何本ぐらいあるかご存知でしょうか。

神戸市内の街路樹、平成15年の調べによりますとその数なんと668万本。つまり、市民1人当り4本以上の街路樹が植えられているという計算になります。自然から遠ざかっているように思える都会の風景ですが、案外、たくさんの緑に恵まれているのですね。

「人間は森で生まれた」から、森の気を浴びる快適さは「人間本来の姿」に近づくのだというお話をご紹介します。

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家の前からバス通りへ出る狭い道をぼんやりと歩いていると、後ろからきた車が一瞬徐行してこちらを追い抜きざま、一気にアクセルを踏み込んで走り去ります。

運転者のいらだちが伝わってきます。よくあることです。

車にとって、速やかな走行を妨げるものは不正義です。いかなる時も速やかにスマートに快適に行く自分たちこそ正義である―――

それが、近代文明の中心的な道具として発達した自動車の立場でしょう。だから歩行者は車に道を譲る。車は人間をけ散らかして平然としている。そういう社会を人間自身が作ってきた。

それにしても―――と、排ガスをまき散らかして去る車の背を見ながら思います。この、肉体にとって本来暴力的なものが正義であり続けてきたことの因果を。

便利さと引きかえに大気や人体は害され、快適さの代償に人の体は切り刻まれてきた。「ほどほど」をこえた過剰な車の横行は、それだけで人間全体のストレスになっているはずです。

都市という人工空間で、新しくできる人工物を喜びつつ人は暮らしています。伸びやかに生きているようで、その実、強いストレスの原因ばかり作っているのではないか。車に快適な道路も、きらびやかな高層建築も。

若い人々の車への関心が薄れてきたという報道がありました。経済の側からすれば憂うべき事態でしょうが、人類としてのバランス感覚が働いた健全な状況だ、と思いたい気もします。

今年8月、フィンランドで開かれた国際森林研究機関連合の会議で、注目を集めた日本からの発表がありました。人間の体がいかに「森」によって培われ、森の環境に適するようにできているかを、生理的実験の積み重ねで明らかにした研究です。

自然への生理的反応によって人間を知る。千葉大学教授の宮崎良文さんが独立行政法人森林総合研究所時代から手がけた手法です。その成果は国内では知られていましたが、海外の研究者には初めての知見だったのです。

例えば一定数の被験者にスギチップの香りをかがせ、脳活動、血圧、脈拍、瞳孔などの変化を調べます。あるいは森林浴をさせ、木に触れさせ、茶葉やコーヒー豆をかがせ、多様な自然素材によるデータを集めます。

その結果、脳活動は鎮静化し、血圧や脈拍は下がり、瞳孔の収縮が見られるなど、生体のリラックス状況が現れることが分かってきました。面白いのは、木の香りを不快と感じる人でも、生体の反応は「ストレス」ではなく「リラックス」を示すことです。

「つまり個々の好き嫌いをこえて、人間の体は自然対応用にできているのです」と宮崎さんは言います。自然の前で体が正直に反応してしまうわけです。

考えてみれば、500万年の進化を続けた人類が川のほとりに都市文明を築き始めてまだ5、6千年です。ほとんど森の中だった。つい先刻まで。

すなわち「太古の野性の森や草原に生きた脳を持って、私たちは今日、都市生活を営んでいる」。宮崎さんが副会長を務める日本生理人類学会の基礎を作った佐藤方彦さんはそう言っています。

高度の人工環境下、現代人は自分も気づかぬ緊張を強いられ交感神経活動の高い状態にあります。無理をしているのです。

森の気を浴びる快適さは誰でも知っていますが、宮崎さんによればそれは「人間本来の姿」に近づくからです。だからストレスは緩和され、免疫機能も高まる。都市は無限でも人体は有限です。身を慈しむほかありません。

この研究は、健康の増進と森の再生を目指して始動した国の「森林セラピー」事業の根拠にもなっています。医療費削減への道としても期待は大きいのです。・・・・・以下、略。
11月24日読売新聞 編集委員芥川喜好「時の余白に」より

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京都市では9月、全国で最も厳しいとされる「景観条例」が施行され、建物の高さ制限は31m、屋上看板は禁止、家屋の屋根の形や庇の長さも規制されることになって、繰り返されてきた「景観論争」の解決策の一つとして評価されている一方で、かつてない強制力に不満の声も多いと、11月26日(月)放送のNHKクローズアップ現代「京都発“景観づくり”が始まった」で報じていました。

旧居留地は、神戸港の1868年開港と共に外国人のための住居や通商の場として造成され、イギリス人土木技師ジョン・ウイリアム・ハートが設計を行い、道路が整然と東西南北に走り、街路樹・公園・街灯や下水道などが計画的に整備され、当時の英字新聞“The Far East”には「東洋一の美しい居留地」と評価されたように、その景観の美しさは神戸の誇りになっています。

自然環境や町並みが後世にそのように評価されるには、"景観の保全"という「公共の利益」のもとに"建築の自由"という「個人の権利」や「経済的効率」を制約することが必要なのではないでしょうか。

森で生まれた人間にとって、その恩恵は計り知れないものがあるからです。


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共存の知恵

共存の知恵

(山陰中央新報より抜粋) 

 最近、島根県内でクマの目撃が相次いだ。出雲市では山から離れた住宅地でも出没。市中心部近くに出てくるとは驚きだが、若いクマが開けた場所に出て混乱したとの見方もある。山に帰ろうと必死だったのかもしれない

▼島根半島西部ではシカに悩まされる。弥山山地や湖北山地で駆除が行われているものの、弥山山地東側の湖北山地では推計生息頭数(2011年末)が増加。夜間、車を運転中に山から出てきたシカに遭遇し、身近な場所での生息を実感したことがある

▼県内の山間部ではイノシシやサルが農作物を荒らす。育てた野菜をサルに持って行かれ、「誰のために作ったのやら」と、ため息交じりの声も聞く

▼クマ、シカ、イノシシ、サル。いずれも出雲国風土記に登場する付き合いの長い動物だ。荒神谷博物館長の藤岡大拙さんは「出雲神話の生きものたち」をテーマにした講演で、「風土記には薬になるような動物が挙がっていると思われる」と説明。人間とのかかわりが深く、その存在を強く意識していた動物が記されたのだろう

▼風土記の時代にも動物の害はあったはずだ。それでも共存してきた。従来のエリアを越えたクマの出没は、里山の荒廃、植林による広葉樹の減少などが要因と指摘される。人間の活動や生活の変化は、想像以上に自然を介して動物に影響を与えている

▼「餌を探しながら暮らしているだけなのに」。クマの身になればそうだろう。付き合いはこれからも続く。共存の知恵は人間側が絞らないといけない。


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内山節さんの言葉学その7

●「日本のコミュニティの伝統智とは2」 講師:内山節

【講義概要】


4. 経済


(1) 経済的弱者をどのように支えてきたか?
(2) 格差を作らない仕組みは?


5. 食と健康
(1) 自分たちの健康をどう守ってきたか?

6. 環境
(1) 自然から何を学び暮らしの中でどう活かしてきたか?

【講義内容】


○経済的弱者をどう支えてきたか


 日本の伝統的共同体は、社会が不平等を生み出すことについては承認している。社会の不平等は、本人の能力を超えて、いろんなものの結果として生まれているからだ。全員を同じにしないので、格差が生じるのは避けられないが、その代わりに再配分システムがあった。

 金持ちは金を出すのが当たり前で、寺の建て替えや祭りの御輿の修理など、何かの時にお金を出していた。共同体の中で貧乏な子供の教育費や治療費をもってあげたりもしていた。「お祭りは平等」の精神があった。

 山形・坂田に本間家という大・大金持ちがいた。「本間さんにはなれないけど殿様くらいにはなれるかも」と言われるほどの大物で、最上川の全域から米が入ってきていたらしい。町で独立する者が本間さんのもとに挨拶に行くと、500万円とかいうお金を差し出してくれたりしたそうだ。

しかしその本間家が30年前につぶれ、町は大混乱。市の職員すら「市営住宅は本間さんの寄贈」だからと大慌てだったという。町の人は「本間さんの世話になっていない人はいない」という。
 岡野義三という山村共同体研究者によると、山村の金持ちは3代くらいしか続かないという。1代目が倹約しても2代目がそのお金を出し始め、3代目が使いきってしまうのだそうだ。

 お寺も重要な役割を果たしていた。例えば漢方薬がお寺の奥さんの仕事だった。具合の悪い者に薬を仕入れ値で売り、貧乏な人にはただで追加であげていたという。またお寺が孤児を引き取って育てていた。このようにお寺は共同体にとって重要な存在であるから、何かあったらみんながかけつけてくれた。

○排他性の理由


 日本は山が多く農地が限られているので、農村社会で暮らせる定員が決まっており、排他的にならざるを得なかった。「この農地には30家族」といった制限が自ずと生じた。田分けしてはいけない、つまり1件が養える農地を2件に分けてはいけないといわれていた。だから「たわけもの」(田分け者)と罵られた。


 農地は家単位で1ヘクタールぐらいがちょうどいい。1ヘクタールくらいで肥料を賄うには自然限界だ。肥料は牛・馬・鶏・人の糞や藁、青草などを用いた。
 川の上流から用水路を造ったが、取水口が安定せず、農業用水が足りない。この「足りない・限られている」ことが農村共同体の性格を作った。

つまり田分け水分け、また燃料の薪分けもしたくないので、地域参入者を好まないという訳だ。それに対して、漁村・山村は生産力が高いので参入者に対して開放的だ。むしろ新しい技術を持ち込んでくることを歓迎する。

○食と健康観、自然観


 地産地消は根本にある。日本の食事作法は、生命をいただく・食べるということから『「み」(魂・霊)を食べる』と表現した。「み」が抜けたものは「から」という。自分は何かしらの生命をいただき、自分がそこの生命世界にお返しをしているので、〈生命循環をそこなってはいけない〉という認識があった。

生命世界を生きているから、近場のものを買う。おいしいから 新鮮だからというのもないわけではないが、個体的健康感を求めているのではない(個体はいつか滅ぶから)。つながりの中に生命があるという健康感だ。しかし戦後、「みを食べる」から「栄養を食べる」に変化し、健康感が個体に還元されて考えられている。

かつての人々は「つながる世界が健康である」と考えていた。だから食事も大事にするし、そのつながりの出発点は自然だ。そこに自然観がある。

 500年代に日本に仏教が入り、教典・仏像が取り入れられた。これが公式仏教だが、その以前に、人の移動とともに入ってきた民衆仏教があった。国を守る仏教は、儒教と仏教が混じりあい、「法は民の安定である 法は国家の安定が必要である」。

貴族たちは法華経を好んだ。それに対して民衆たちは仏教はつながる世界の表現・象徴としてとらえた。つながる世界の化身が第一如来であり、これをつきつめたのは空海だった。つながる世界=曼陀羅と考えた。


 人間は生きている過程で生命を殺しすぎたり、失敗もあるが、かつての人々が失敗を直そうとするときの問いは「我々はつながる世界を壊してはいないか?」ということだった。つながっている世界を信仰するから、たえずこのことを再確認していた。

○共同体の崩壊


 今は水がダムからくる仕組みになっていて、用水路とともにあった農村のあり方がくずれている。一方、水問題はかなり解消されているし、燃料もとりあえず手に入るようになった。

 古い共同体は自分たちの共同体を維持していく必要がある。現在、地域参入をいやがるのは壊れた共同体ではないだろうか。共同体ではなくなったときに、個人の権利を侵害されるのがいやだという理由で、排他性がでてきた。

昔は共同体のルールを教えさえすればよかった。地域には必ず、昔の共同体の大事さを理解している人がいる。挨拶ができる人は良いというのはよく言われることだ。香典なども集落によって出し方が全部違う。

ルールに従わないと助け合いが壊れてしまう。継続性、脱落者を出すことは恥(助け合い)ということが根底にあった。陰で噂話をする、というのも共同体が壊れているからだろう。 

 明治以降の歴史は共同体を壊してきた歴史だった。役人が村長に任命された。学校が村人の精神改革を起こした。仏教と神道を分け、地域の神様の信仰から、すべて国家神道につなげる大改革を行い、皇室崇拝の構図をつくった。

国家意識の醸成は、特に日清日ロ戦争のあとに成功した。しだいにソメイヨシノをが日本の花になっていった。もともと山桜は山の中に祖先の霊がぽつっぽつっと現れているのだといわれていた。
 共同体は日本の一地域にしかすぎない。

国家に飲み込まれていったけれどもなんとかその形状を維持していたが、最終的に壊れていくのは1960年代、高度成長期だった


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行動する哲学者 内山 節さん「木と森と文化」を語る

行動する哲学者 内山 節さん「木と森と文化」を語る

8月17日の読売新聞夕刊の「悠久の時間 大切に」と大書された、内山 節さんの「木と森と文化を語る」を紹介します。ご一読下さい。

群馬県上野村と東京に年間3分の1ずつ住み、あとは講演などが70~80回あるのでいろんなところへ。上野村は1970年代、好きな川釣りで初めて行き、自然と人間の暮らしが一体で、景色が本当にきれいだったことに感動しました。なぜなのかを調べたいと思い、ここに住むのもいいなあと。

65年ころから、全国の川が極端に汚れてきた。なぜ悪くなったのか。周囲の森の状況も影響する。だから、木や森への関心を持つようになりましたね。

そんな中、木造文化財の補修用材が不足していると知った。国宝級建物では、何百年もたった木でないと使えない。これらの文化遺産を未来に伝えるための木をどう確保するか。2002年に有識者会議を作り、検討しています。奈良・法隆寺や京都仏教会なども協力してくれています。

不足の原因には林業の不振がある。安い外国産材が入って国産材は買いたたかれ、採算が合わないから後継者が減ってきました。

解決策の一つは相続税制を変えること。今は相続ごとに税がかかり、そのために木を切り、山を売る。木を売った時に何代かの税金をまとめて払うようにすれば、長期間かけて高く売れる木を育てられるんです。

材質問題もあります。補修用材として必要な250年の木を育てただけでは、必ずしも使えない。いい材質が必要なんですね。

だから有識者会議は、長い間、伐採しない山の一部を補修用材に提供する森として維持、育成することを登録してもらう制度「『文化材』創造プロジェクト」を昨年から始めました。

大切なのは、森とともに暮らしていく文化、社会づくりで、森との精神的なつながりを持つこと。求められているのは、長い時間とともに生きる暮らしを取り戻すことで、自然のような、変化しないか、ゆっくりしか変化しないものを大事にしないといけない。

農林業や漁業といった一次産業の盛んな所は、地域文化や伝統文化が豊富で、それをどう維持するかも課題です。一定の保護や手当てが必要で、ヨーロッパで行われている農家への直接補償は、環境維持や地域、伝統文化を守るという役割もあって見習うべきです。

日本の神社仏閣は、背後に森があることを見せた神仏習合の世界。しかし、明治の神仏分離令で神様領域の森が取り上げられ、後ろに自然の神々がいるという世界を壊した。本来の木の文化は、そういった自然信仰に裏付けられている。もう一度、神仏習合の世界を取り戻し、森の世界が見えるようにすべきでしょう。

もう一つは、地域の小さなお堂を大切にすること。自然に神仏と結ばれる原点です。お堂や辻の仏様が消えてしまうと、大きな寺に行っても単なるテーマパークになりかねません。

木の文化を守るのはなぜか。それは過去を持つことがなぜ必要なのかにつながりますが、人間がいろんなことを考えるための装置になるからです。例えば、「現代は何か間違っていないか」と思ったとする。過去があれば、戻って比較して考えられる。それがいっぱいあれば、思考の幅を広げることができるんです。

行政は林業をもっと支援すべきです。金具でがんじがらめに締め付けることを求める建築基準法も、立地条件に合わせて柔軟に対応できるよう変えてほしい。そうすれば、木の家を建てる機会も増える。林業を盛んにし、木造文化財を未来に伝える活動をもっと広めていきたいですね。 聞き手 柳林修

1950年生れ。都立新宿高校卒。元・立教大学大学院教授。出身地・東京と群馬上野村に住み、スローライフを楽しむ。学界を離れた自由な立場で、生きている人間の視点から、労働を思考軸に据えた実践的な哲学理論を展開し、幅広く活動する。NPO法人「森づくりフォーラム」代表理事、「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」共同代表。著書に「森にかよう道」「怯えの時代」「戦争という仕事」など。


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広島の森づくり県民税 もっと参加の仕掛けを

広島の森づくり県民税 もっと参加の仕掛けを

(中国新聞社説より)

 5年間の約束で広島県が2007年度に始めた「ひろしまの森づくり県民税」。県議会の議決を経て延長され、2期目に入っている。

 森林の多い中山間地域は過疎や高齢化が深刻だ。山が荒れ、水がめの枯渇や土砂流出へとつながれば下流の都市部を直撃しかねない。酸素の供給地でもある。公益性の強い森にてこ入れする税の継続は、多くがうなずけるところだろう。

 県民1人当たり500円、法人は千~4万円の負担で第1期は累計で40億円近くを集めた。手入れのままならなかった人工林の間伐を軸に、住民や企業参加の森づくり活動にも助成金が充てられている。

 ただ残念ながら、県民全体の認知度はいっこうに高まりを見せていない。

 昨年の県政世論調査では、森づくり県民税について「知らない」と答えた人が70%にも上る。導入翌年の調査時から3年たってもその比率が減るどころか、逆に少し増えている。

 さらに深刻なのは、「使い道まで知っている」と答えた人が全体の約9%にすぎないことだ。何のために使うかを決めて導入したはずの目的税にもかかわらず、である。

 この税は、県民税の均等割に加算する形で集める方式にしている。徴税コストが少なくて済む半面、納税者意識を呼び起こしにくい。「ついでに取られている感じ」といった受け止めが大方の実感だろう。

 課税延長に第三者機関としてゴーサインを出した県の事業評価委員会は、メディアの活用などで周知を促すように報告書で触れている。だが具体的な数値目標は示しておらず、物足りなさが否めない。

 県は向こう5年間で「知らない」を70%から50%くらいに減らすのを最優先課題とし、改革案を練っているようだ。

 上っ面の知名度アップだけでなく、使い道について意見をくんで反映させるなどもう一歩踏み込むべきではなかろうか。

 というのもこの税が目指すところは、広島の森を守る自発的な県民活動を引き出すことでもあるからだ。

 「森は海の恋人」とうたい、源流域に木を植える運動で知られる宮城県のカキ養殖業者畠山重篤さんは、もう一つの「植樹」を大事にしているという。

 流域に住む人々の心に、森林を守るという苗木を植えることである。その視線の先には、行動に結実させたいという思いがあるに違いない。

 鍵を握るのは、山から遠い都市住民の意識だ。県民税の制度でも上流部だけでなく、発想を変えて都市部での森づくりに資金を振り向けてはどうだろう。

 例えば、鎮守の森である。阪神大震災では寺社や公園の木々が防火帯として役立った報告がある。東日本大震災でも身近な避難所として再認識された。

 東北の被災地は「森の防波堤」として、防潮林づくりや鎮守の森の整備に動きだしている。提唱した高梁市出身の植物生態学者宮脇昭さんは「鎮守の森は、その土地の生物多様性を守る上でも大切」と高く買う。

 第1期で県民が直接かかわれた場は5年に1度のパブリックコメントくらい。長い目で制度を育てるなら、県はもっと参加の仕掛けを増やすべきだ。


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グレート・スピリッツについて

私たちは、法律というものを持たなかった人間です。しかし、私たち、

万物を創造し、そこに秩序をあたえている「グレート・スピリット(大いなる霊)」と、

じつに好い関係を保ち続けてきたのです。

あなた方白人は、

ちを野蛮人だと言います。あなた方は、私たちの祈りの意味を理解してこ

なかったし、また理解しようともしてこなかった。

 

そこで、私たちが太陽や月や風を、讃めたたえる歌を歌っているとき、

あなた方はやれインディアンは偶像を崇拝している、

などとわめきたてたものです。

 

私たちのことを理解しようとはしないで、私たちの宗教があなた方のものと

違っているというだけの理由で、私たちの魂が堕落していると、非難してきました。

 

私たちはほとんどすべてのものの中に、つまりは太陽や月や樹々や風や山々 

の中に、「グレート・スピリット」の手の働きを、見てきたのです。

 

そしてときには、 こうした自然の動きのすべてを通じて、

その手の働きのほうに、近づいていくこともありました。

それが悪いことだった、というのですか。

私たちが、誠実に「至上の存在」を信じてきたことは間違いがない、と思います。

その信仰は、私たちのことを異教徒扱いした白人たちの、

善なるものへの信仰よりも、はるかに深く、強いものなのです。

 

自然と自然の世界に秩序を与えているものの近くで生きてきたインディアンは、

けっして蒙昧の闇を生きているのではありません。あなた方は、樹々が語るのを、

聞いたことがありますか。

じっさい、樹は話をするのです。樹々はお互いに会話をして、

もしもあなたがたがそれに耳を傾けさえするならば、

あなた方にだって、樹は話しかけてくることでしょう。

 

ところが、困ったことに、あなた方白人は、樹々の声などに、

耳を傾けようともしなかった。

いたい、白人はインディアンの言うことにさえ、

耳を貸そうとはしなかった人たちなのですから、

自然の声などに心を開こうはずもありませんでした。

 

けれども、樹々は私に、たくさんのことを教えてくれました。

ある時は天候について、ある時は動物たちのことについて、

そしてある時は「グレート・スピリット」について、教えてくれたのです。


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それは本当に地域の活性化ですか

それは本当に地域の活性化ですか

(とある提言からの抜粋です) 

世界遺産や世界ジオパークの登録認定をきっかけに、地域をブランド化し観光誘致しようという動きがたくさんあります。現在、世界遺産登録を目指して活動しているのは富士山や鎌倉、そして南アルプスなどがあります。世界ジオパークには、北海道の有珠山や糸魚川、雲仙普賢岳のある島原が認定されています。

 直近では、東洋のガラパゴス「小笠原諸島」の自然遺産と「奥州平泉」の文化遺産登録がありました。これで地域は元気になると地元では大喜びです。
 

けれども、前回登録された石見銀山は、認定されると一気に観光客が増加しましたが、その反面で排気ガスや交通の負荷、ゴミ問題など環境悪化のマイナス面も噴出。さらに2年後には観光客が激減して祭りの後の様相となりました。
 

過去に認定となった各地でも同様の傾向がみられます。もちろんすべてがそうなるとは限りませんが、保護すべきであるはずのものが資源を切り売りする観光経済に翻弄された結果、さまざまな環境負荷や保護活動に支障をきたす状況にあるのです。


地域には受け入れのキャパがある

 日本のチロルと言われる長野県飯田市上村の「下栗の里」。2010年に行われた信州デスティネーション・キャンペーン「信州の未知」で、1位に選ばれた山岳の集落です。
 スタジオジブリ作品「チューずもう」や「千と千尋の神隠し」のイメージにもなっている下栗の里は、南アルプスが目前に拡がる標高1100mにあり、最大斜度38度の傾斜地に60数世帯、150人ほどが自然と共生しています。


 過酷な急傾斜地の中に点在する家々は、谷側に石垣を積み山側にへばりつく構造で奥行きがない横長の建築で、屋根は板葺きに石ころを置き、裏手は泥水を避ける為に"ネコビサシ"と呼ばれる庇(ひさし)を付けています。天に向かって耕す畑では、蕎麦やトウモロコシ、原産地アンデスのDNAを保持した二度芋というメイクイーン系のジャガイモが栽培されています。

 ある時、観光で大型バスが進入してしまい、途中で立ち往生する事態が起きました。写真の通りの場所ですから、常識で考えれば大型バスを乗り付けるなど問題外なのですが、旅行エージェントは現地の確認をせずにツアーを仕立て、住民の交通や生活に迷惑をかけたのです。

 生活環境を脅かす観光振興は、決して地域住民の利益にはなりません。日本人の旅行スタイルは、かつての大型観光地詣でから無名の田舎旅にシフトしていますが、地域には地域の、受入できる限界があります。やみくもに人気観光地にしよう、道路も拡げよう、観光施設を作ろうとすれば、折角の優良資源を破壊しかねません。次世代に良質な日本を継承するために、地域のあり方を地域で再度問い直すことが大切ではないでしょうか。


持続する地域とは


 行政や商工会議所が主体で短絡的に考えがちなのが大型の祭りイベント。派手なことをやれば客がいっぱい来てくれるのでは、というわけですね。ところが結果として、住民の暮らし環境を阻害することが多々あるのです。イベントは麻薬と同じで、始めると止めることが恐怖となります。「止めれば客が来なくなる、もうあの地域は駄目だと言われたくない」という妄想が頭によぎるのです。


 たしかに地域を元気にする手段のひとつであり、すべてを否定しませんが、安易な考えが多く持続可能な地域づくりとしての戦略目標が欠如していることが多いのが特徴です。江戸時代に各地で始まった祭りは、移封(国替え)された大名が赴任先の人心を纏(まと)めるために奨励した祭りで、時の為政者には効果絶大でした。現代の客寄せのための祭りイベントは、本当に住民の幸せに繋がっているかを検証しなければいけませんね。

 地域を元気にすることは、住民が健康で楽しく暮らす社会づくりであり、住み続けたい地域、子どもや孫が暮らし続けられる良い環境を整えることだと思います。


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内山節さんの言葉学その6

○日本の「個」の確立


 「日本人は個の作り方が弱い」とよく言われるがそうではなく、日本と欧米では個の作り方が違う。水平的な他者に対し自己の違いを主張するのが欧米型の個の作り方。日本人は個を作ろうとすると「自分を極める」というところへいく。

悟りを得ようとしたり、職人が技を磨くように、自分を垂直に深く掘っていくので、他人はどうでもよくなっていく。自分だけの自分を深め、つくりあげていく。私達は個の作り方が欧米の作り方だと思っているが、日本とは中身が違う。

 日本の共同体は「自分を極める、深める個人」の集まりだった。技として極め、自分達の自治社会としてつくっていった。そのため日本では「私とあなたは違う」と強調すると、嫌われる。個の確立と共同体のあり方は矛盾しているものではなかった。


 幕末は日本の識字率は8割、フランスは1割だった。当時、日本人は世界一文字が読めた。共同体で暮らしているなかでは書付、文章を読む必要なかったが、日本の共同体は外とのつながりがあったので、文字を使った。

 教育は、寺子屋教育、我が家教育、地域教育、若者教育で、文字・非文字教育の2種類があった。非文字系の教育は親が子へ家庭内でするものはあまり上手くいかず、おじいさん・おばあさん、地域による子供の教育(寺子屋とか)が上手くいく。

先輩が若者組の後輩に、祭りや礼儀作法を教えたりしていた。会津の雨祭りというのがあって、雨が降ったら農業をやめ、太鼓たたいて一斉に連絡をし祭りにした。その雨祭りの決定権は若者組にあって、祭りを通して責任感を養っていた。

 伝統的なコミュニティでの決定は「寄り合い」で行われていた。全員参加型で、決定は満場一致以外にない。なによりも継続性を重視していく。しこりを残すと継続性に影響がでるので、敗北者をださない仕組みになっている。

人望のある人を間に入れたり、爺さんをたてたりしながら、およそ3日間くらいで大体の話が決着がつくらしいが、長時間に及ぶとおにぎりの差し入れなどもあった(民俗学者の宮本常一が記録を残している)。

ここでは正しいかどうかではなくて、追い込んだ奴の方が間違い。個の自由を認めるが、皆が大事にしている個の自由は「自分を深める」ということで、しこりは残さないようにする。どうしても折り合いがつけられない、満場一致はできない場合、「以降一切 意志決定をしない」という結論を出すこともあった。


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呼吸する森「ワイズユース」を考える

呼吸する森「ワイズユース」を考える

大台ケ原は、年間降雨量5000ミリという世界有数の雨水量を誇り、湿潤な気象条件は屋久島と並んで日本を代表する原生林を形成しています。

鬱蒼としたブナの大原生林、苔むした幻想的な世界。けれど、昭和30年代の伊勢湾台風やドライブウェイの開通、シカの食害などで徐々に森林が衰退していき、今は“白骨樹林”と呼ばれるようになってしまった。開発によって変化した河川や海岸を元に戻そうとするのが再生事業ですが、大台ケ原では失われた原生林を取り戻そうとしています。

そこで昨年12月、わが国最初の入山者数をコントロールする利用調整地区がこの大台ケ原に出来ました。あるエリア(西大台地区の一部地域)を区切って、1日に入ることができる人数を制限しようというのです。これは、自然公園法という法律に基づいて決められました。

これまでも、尾瀬や知床など過剰利用を避けるために、利用調整地区を考えていましたがなかなか実現には至らなかった。日本の山は、誰でも入ることができます。それをやめて入山制限をするというのは、それぞれの利害関係もありなかなか難しいことなんですね。これも大きな自然再生への第一歩なんです。現在、運営方法を調整中で実際の運営は今年の9月からの予定です。

大台ケ原の利用者は年間25万人。東大台は周回道路があり、利用者がたくさん山に入ってきています。だから、今でも原生林の多く残る西大台を利用調整地区にしました。春や秋の繁忙期で1日に100人。 入る人はあらかじめ認定してもらい、入山料を払う。そして、許可書をもらって必ずレクチャーも受けなければなりません。これは環境省が運営するのではなく地元の指定認定機関が運営していきます。

植林とシカ、人間の問題をそれぞれ考えながら行う自然再生のカタチ。持続的に資源を維持しながら、うまく利用していかなければなりません。それは21世紀に生きる私たちへの大きな課題です。今、私たちにできること、それはまさに、「ワイズユース(賢明な利用)」なんですね。完全に利用を排除するのではなくて、利用をうまくコントロールしながらなんとか自然との共生を図る壮大な実験だともいえます。

20世紀は建設の時代でした。しかしそれは、ある意味で破壊の時代でもあったのです。だから、この21世紀は建設の代わりに保全をし、破壊の代わりに再生をしていこうという動きが、少しずつですが生まれてきています。それは新たな共生だといえます。

自然と人間との関係を昔のようにはなかなか戻せません。だからといって、あきらめるのでなく、自然と人間の新たな関係を構築していく。時計を過去には戻せません。時計が回っている中で、できることを考えていかなければなりません。

20世紀は自然の尺度で貴重なもの、生態学的に完璧なものにしか価値を置きませんでした。だから、里山などは簡単に宅地化、都市開発されていった。水辺も埋め立てられて護岸ができていった。ところが、今は人間とかかわってきた風景をどう守ろうかということに変わってきています。

干潟、里山、湿原、ため池、棚田など、20世紀に失ったものに今、光が当たりだしています。ふと、これまでを振り返って新たな価値付けをしようとして、いい方向に人は動こうとしています。

「自然史の風景」から「人類史の風景」にも目が向けられ始めました。大台ケ原など原生林を保全する自然史の風景、里山など人との関わりの中、生まれてきた人類史の風景。そのどちらも、私たちが守るべき風景なのです。

4月23日読売新聞、取材協力・奈良県立大学地域創造学部教授西田正憲氏


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こんな、素敵な一日を誰に感謝しようか・・?

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台風一過とは、よく言ったものだ・・。
本日、蒜山高原の三平山をガイディングしてきた。
風雨で浄化された、森や山の木々の緑が
目に眩しいくらいであった。
今日ほど、このような仕事をしていることの
アドバンテージを感じた日はないと思った。

背中の張りと鼻づまりが完全に抜けた・・・。感謝感謝!


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アメリカインディアンの教え

アメリカインディアンの教え

 

批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします

敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います

ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります

ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります 

心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります

はげましを受けて育った子は自信を持ちます

ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります

公明正大な中で育った子は正義心を持ちます

思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます

人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします

仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます


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内山節さんの言葉学その5

○伝統智の教え―日本建築の例

 過去をもつことで未来へのヒントになり、自分の思考の幅を広げることになる。
 例えば日本建築においても、歴史の厚みがヒントをくれる。このセミナーハウス(会場)では床板に杉を使っているが、日本建築では床に杉は使わない。

杉は柔らかいので傷がつくため塗装の力で傷を防いでいる。伝統建築は劣化しにくい松を使い、塗装はしないで拭き掃除をする。日本建築の床は広葉樹系、ケヤキ、トチ、ナラ系の木を使う。このセミナーハウスでは梁は集成材を使っているがもって50年ぐらいだろう。

集成材の接着剤は高分子系のものを使っているので当分劣化しないが、ある日突然劣化し始める。それに対して天然の木は年数が経つほど強くなる。奈良の高円寺は建ててから1310年ぐらいで、1500年ぐらいはもつ。日本の木造住宅は100年経ったら100年もつ。乾燥状態、内外の温度差が同じで風通しが良いと耐久性がいい。法隆寺も同じ条件だ。


 戦後、60年代頃から鉄筋偏重主義になり、国は今も在来工法を認めておらず、木造大型建築は建設しにくい。しかし組み木で組んでいる在来工法にくらべ、金具はまわりの木を劣化させる。在来工法は住構造で地震を吸収する(揺れて吸収→壁が壊れる→家がずれる)が、現代建築はボルトなので地震を吸収しない。

また改築による欠陥住宅も多い。母屋は柔構造なのに、中は剛構造(鉄筋)にすると地震がくると倒れる。どちらかに統一しないと地震に弱い。柔構造で地震の力を吸収するが、木造の家に住むと改修することが多く、大工は今の現代技術で対応するので、工法を統一できない。

生きている木にあわせて直さないと少しでも狂うと欠陥住宅になる。在来工法は建ててからもメンテナンスをしながらつくっていくが、欠陥ではなく、「壁が生きている」のである。

○伝統の危うさ、何を持って伝統とよぶのか?

 伝統野菜とは、明治より前の昔からつくっている野菜のこと。大根、ごぼう等がそうで、下仁田ネギとかその土地ならではの品種改良がある。白菜、キャベツなどは明治期に外から入ってきたもので、日本の歴史的なものではない。

 伝統という言葉を使うときに、いつごろから、何を指すのか。近代以降のものは伝統とは言いがたい。「日本」という国家も、国境線をもって人為的に作られた歴史で、伝統とはいいがたい。日本列島に暮らした人たちはいて、共通の認識はあったが、伝統国家は存在しなかった。

共通認識の範囲は、東北、沖縄も、台湾をも含むことになる。(北海道にアイヌが来たのは1400年頃)
 国家によって人為的につくられた伝統もある。例えばお墓をつくるとき先祖代々の名前を彫るのは明治以降。昔の墓は1人1壕だった。イエ制度が明治に天皇制を支えるものとして作られ、そこで墓の作り方も変わってイエの墓になり、位牌をおいて祖先を祭るようになる。仏壇は江戸中期から置かれるようになった。戸籍管理は江戸幕府から寺を通してなされていた。

○日本の共同体の特徴


 共同体、コミュニテイの見方も注意が必要だ。古代にも、その時代ごとに多数の共同体はあったが、江戸以前は資料が不足しているためさかのぼりにくい。天皇系の支配地域を外れているとまた違い、その中身も様々だ。

 鎌倉の武士の共同体からは、はっきりと形ができていったことが伺える。棟梁は普段は鍬をもって農村に暮らし、有事のときに武装した農村共同体の人々が鎌倉に駆けつけた。その後、武士と農民が分離し、江戸期に農民共同体ができたが、時代によって共同体も変貌してきている。

江戸期は資料がたくさんあるので研究しやすく、現代とつながっているので、到達しやすい過去として「伝統」が江戸期の形態を指すことが多い。とりあえず伝統というと、日常生活レベルで参考にしうるものは江戸時代のものだろう。


 「共同体」という言葉も明治以降の言語だ。何を訳したのかわからないが、英語のコミュニテイか、ドイツ語のゲマインシャフト、フランス語のコミュノテが語源かと思われる。日本では集落、部落などと呼んでいた。

 日本の共同体は、自然、死者(地域のご先祖)も共同体の構成メンバーに入っている。欧州は人間だけなので、自治をしようとすると、生きている人間だけでやればいいので原理は単純だが、日本では自然、死者を含めた自治なので、自然、死者の論理をとりこむために、年中祭りや行事がある。

お盆、お彼岸にはご先祖が帰ってくるが、これは死者を自分達の家に呼びこむ行事だ。伝統的な日本のご先祖は幕府以降の人物が多いが、ご先祖様とは江戸までは「このムラを作った人たち(地域のご先祖)」が優先で、ちゃんと手を合わせていた。

明治以降は地域でなく「我が家の(イエの)」ご先祖様に変わった。このように個々のイエが天皇制を支えるという構造が作られた。

 日本の農村には支配階級の建物がないが、欧州には領主の家がある。西洋では領主が直接支配していたのに対し、日本の場合は庄屋が年貢をとる間接統治だった。江戸期の租税率は50%程と高いが、農民は絶えずごまかそうとし、実際には納税していないものも多かった。

「雨が降ったら調整に使う」などと言ってごまかした“隠し田”など台帳に入っていないものもあり、また裏作・畑作は租税対象にならなかった。これらを鑑みると江戸期の納税率は実質10~20%だった。農民達は自分達の実社会をつくっていて、その内実も山と海、地域ごとで異なっていた。

農村では冬場に別の場所へ働きに行っていた。それも小手先のものではなく、ちゃんと専門者として働いていた。

 百姓一揆は武士が了承しないので、連帯一揆、全藩一揆(藩内の全百姓が一揆を起こす)へと繋がっていった。一揆のネットワークがひろまると幕府すらたちうちできなかったため、一揆が起きた時点ですべて百姓の勝利だった。

一揆の首謀者は名乗り出て打ち首になったが、後にその人が神様となりムラで神社ができたりもした。武士は恨まれ続けることになるので打ち首にはあまり乗り気でなかった。一揆の首謀者が「天狗」や80歳以上の高齢者などありえないような人物にされるときもあった。

80歳以上の高齢者は打ち首が執行できないため、「罪人であるから見張っておけ」と息子に払い下げられた。武士は天狗を探すために3、4日「山狩り」をして、「天狗はいなかった」という報告までしていた。


 幕末になると、打ち壊しなど、商人を襲うという別の状況が生まれる。村人みんなで「村を捨てる」というような一揆もあった。 

 日本の農村の共同体は自分達の自治組織としてつくっていて、武士とはにらみ合いの関係にあった。人々は自然、地域をつくった先輩(ご先祖)とともに共同体をつくっていった。


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農山村地域の生産活動には、どのような困難さがあるか

農山村地域の生産活動には、どのような困難さがあるか

 

都市は人間が造った装置です。それに対して農山村は、自然の舞台の上にあり、

自然から生産活動をつくり出す場です。わが国の農村には、

1000年以上にわたって営々と水田を耕作してきたところが、数え切れないほどあります。

複雑な地形を克服し、米づくりをしてきました。その単位面積あたりの収量は、

世界的に見ればきわめて多く、味の点でもほぼ完成の域に達しています。
 

 しかし、実際の農作業は、複雑な土地条件を踏まえ、気象状況を見ながら、

きめ細かに行われなければなりません。農地となっている空間がもつ価値を活かし、

そこから経済的な成果を生み出すワザは画一的なものではないのです。

野菜にしても畑ごとに味が違います。それは時間をかけて育まれたワザで、

どこの農村にも名人と呼ばれる人がいるのです。

  しかも、長い間、米の生産を主体としてきたわが国の農業は、

多数の兼業農家が、水田中心の小規模農業を行っているため、

規模を拡大した中核的な農家が安定した経営を確立するには、多くの困難があります。

確かに今はどこの町村にも、水田の大規模経営、花卉栽培、

酪農・畜産等において相当の収入を得ている農家がいくつかはありますが、

これらはすぐれた資質・意欲に加えて多くの好条件が重なって成立しているものです。

誰がどこで試みてもできるというものではありません。


  もっと大規模化を進め、アメリカのような農業経営をやればよいのにと

考える人もいるはずです。しかしそれは、限りなく広い大地に大量の農薬と

化学肥料を投入して行われている利益のための農業で、身近な人の健康を

守る農業とはいえないのではないでしょうか。

  また、食料を単に輸入に頼ればよいという考えの人々には、飢えている国々の

多くの人々に食料が行き届いていないがゆえに、国際食糧市場が今の形で

成り立っているのだ、ということを想起してほしいと思います。身近で安心できる

食糧が得られることの価値を決して軽んじてはならないのです。

最近、ようやく農山村の多面的機能が理解されるようになってきましたが、

このような困難な状況のなかで、かろうじて、それらの機能と美しい農村風景が

保たれているというべきです。

  林業は、植林してから50年後にようやく出荷することができるという、

超長期的な産業です。そもそも外国からの輸入材が安いのは、

誰も手をかけていない天然の木を切って出荷しているだけだからです。

世界でわが国のように営々と木を育ててきた国は少ないのです。

まさに「木の国・日本」といえます。


  奈良県の吉野林業地の一部に樹齢200~300年の人工林がありますが、

これはもう神々しい存在で、空間を持続的に利用してきたすばらしい例ともいえます。

しかしながら現在の林業地域の人工林は、基本的な手入れが出来ず、

崩壊の危機に瀕しています。

このまま放置すれば、地すべりや水害の多発が懸念されます。

酸素の供給やCO2の吸収効果の高い、この林業が関わる空間利用を

どのようなシステムのもとで持続できるかは、国民全体の課題ではないでしょうか。

 


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