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チベット最新事情 天空を駆ける列車

チベット最新事情 天空を駆ける列車
 早朝8時ラサ駅…。

 2009年8月16日早朝8時。私はチベットのラサ駅のプラットホームにいた。今回の旅の目的は、東チベット地方の視察と青蔵鉄道乗車にあった。
前夜は、チベットでは珍しく嵐の夜となった。ライトアップされていたポタラ宮殿も、その白い巨大な壁を漆黒の闇に溶かされていた。その天候のせいなのか、酸素の薄さに体が十分順応していないせいなのか、浅い眠りのまま朝を迎えていた。
ラサ時間の8時は、実質的には6時前後である。北京とラサの間には、事実上2時間程度の時差が生じている。前夜の雨が路面をしっとりと濡らし、チベットとの別れを惜しんでいてくれるようだった。

 チベット大量物流時代

 青海省・西寧とチベット自治区のラサを給ぶ、総延長1956kmの青蔵鉄道は、2006年7月1日に開通した。この鉄道の敷設は困難を極めたという。第一に、その通過する高度である。列車が通過する最高地点が、海抜5072mのタングラ(唐古拉)峠である。その近くにある、タングラ駅は世界一高い(標高5068m)鉄道駅となる。さらには総延長1956km中、1000km弱が海抜4000m以上なのである。それだけで悪条件下であるにもかかわらず、人跡未踏の野生の大地や永久凍土の不毛の荒野が広がっているのである。
列車内の構造にも、その悪条件下での工夫が多々見られる。耐圧ガラスの窓や酸素供給チューブの設置などなど…。言ってみれば、現代の技術の粋を集めた鉄道なのである。そして驚くのは、その列車の本数の多さである。
ラサを出発する便は、1日平均10本以上ある。その最終目的地もさまざま。私たちの列車は、北京西駅が最終目的地であった。それ以外にも、西寧、成都、蘭州、上海、重慶、広州などが最終目的地表示されていた。
ちなみに、ラサ・北京間は2泊3日がかりの車中旅。旅客用列車だけでなく、物資輸送の貨車の姿も多く見た。これだけ多くの都市間を結ぶ大量輸送の鉄道の影響は、ポタラ宮殿内部の見学時にその一端が垣間見られたのだ。
どこを向いても都市部から来た、漢族系中国人団体観光客の姿である。夏休みのせいか、家族連れの姿が多い。そして、漢族系ガイドのキンキン声が宮殿の中にこだましていた。ラサの中心地・ジョカン寺の周囲(パルコル)には、貴金属や骨董品を扱う大きな店が軒を連ねていた。
その多くの店の看板は、大きな漢字表記と、申し訳程度の大きさでのチベット文字表記となっていた。鉄道敷設に伴う大量の物資と人間の流入は、これまでのチベット生活圏の変化のスピードを格段に速度アップさせている。
言ってみれば、五体投地の巡拝を終えてふと後ろを振り返ってみれば、そこには見たこともない風景が広がっているようなものだろう。

 天空を駆ける列車

 そんな異邦人の心配事を、車窓の外に流れながら展開してゆく、素晴らしい風景の数々が霧散してしまったのである。ラサを出発し、最初に感嘆の声をあげたのは、雪を抱いたタンラ山脈の姿であった。そして連続して展開してきたのは大草原地帯。
しばし、無数のヤクの放牧風景に見とれてしまっていた。食堂車に移動した時には、チベット3大聖湖のひとつ、ナムツォの青い湖面が出迎えてくれた。野生保護区通過時には、中国人乗客と一緒になって、カメラのレンズでチベットガゼルの姿を追っていた。
その後も夕暮れ時の黄河源流地帯、真夜中のゴルムト駅通過、一夜明けての青海湖や黄土高原地帯などなど、天空を駆ける列車の旅は、時間の経過すら忘却の彼方へと追いやってくれていた。気がつくと、赤濁する黄河の支流が現われ、いつの間にか車窓には高層ビルが林立する都会の風景が迫っていた。甘粛省・蘭州への到着時間が近づいていた。

 人間勝手なもんだね~。

 いやなもんだ。蘭州に到着する頃には、チベット伝統文化の消滅への危惧を忘れて、大量物流を可能にした鉄道車窓の風景に心を奪われていた。
人間勝手なもんだね~。昨今のチベットのように、大量輸送時代を迎え、市場原理主義が横行し始めている中国の辺境地帯。便利さや表面上だけでの快適さの裏で、静かに潜行している、見えざる変化への観察眼を忘れたくはないものだ、と蘭州のホテルで一人反省のつぶやきを吐いていた。


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五感で磨く感覚

五感で磨く感覚
 グリーンランドで犬ぞりに乗ったときの話である。十頭もの大が引っ張るソリは、時速三十キロくらいだったろうか。極地用の防寒具の繊維の隙間からは、肌をさすような寒風が容赦なく入り込む。犬が後ろ足で舞い上げる雪煙が目に入り、伏せた顔も凍り付くようだった。
ソリの御者台には、イヌイット(エスキモー)の四十代の父親と十歳くらいの息子が乗っていた。父親は「ヒューイー ヒューイー」と声を発しながら犬たちヘムチを飛ばす。
父親の横で、息子は頬を真っ赤にしながらもムチを操るしぐさを真似ていた。横目で父親を見る目には、憧憬と尊敬が感じられた。寒風の中、少年は自らの右腕に大人の男としての感覚を覚え込ませているようだった。

 越冬前の十一月のヒマラヤ。家族がひと冬無事に過ごすため、家畜のヤクを一頭犠牲にし、解体する作業を見たことがある。その作業は大人の男たちだけで始まった。
大型の牛くらいのヤクを、数人の屈強な男たちがとり囲む。ジリジリと男たちの輪が狭まると、普段はおとなしいヤクも、後ろ足で大地を蹴り上げ、口角から粘液状の糸を垂らし始める。
足輪をかけられ、ひっくり返され、断末魔の如く四つ足と角を振り回すヤク。と、一人の若者が右手にナイフを握り締め、仰向けで暴れ回るヤクの懐に飛び込み、心臓に刺し込んだ。
体中を傷だらけにしながらも、若者は右手からナイフを難さない。家族以上に時を共有した家畜の最期。泡を噴く口へ、死に水を与える。男の子たちは、その作業が終わるまでを、コチコチになりながら凝視していた。

 過酷な自然条件下での共生は、命をかけた格闘であることを強烈に感じ取っているはずだ。レイチェル・力-ソンは、子供にとって、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要でない、と語る。
教科書などに書かれている文字の知識から、子供が生身の感覚を受け取るのは困難だ。でも自らの五感で感じ取った感覚の記憶はなかなか消えないだろう。
子供たちは、大人より研ぎ澄まされた五感で、大人たちの生きざまを見ながら、生きる感覚を磨いてゆく。であるなら大人は、若者や子供に夢やロマンがないと嘆く前に、大人自身の心の素肌を研磨しなくてはなるまい。


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紅葉の三滝寺その7

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三滝寺の境内にある茶室・・?

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撮影は11月18日です。三滝寺のもみじ祭りの初日です。

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内なる巡礼

内なる巡礼
 平均標高四千メートルを超えるチベット高原の西はずれに、カイラスと呼ばれる山がある。万年雪を抱いたこの山は、インダス河やブラマプトラ河といった、アジアの大河の源流地帯に独立峰として屹立している。
チベット仏教徒やヒンズー教徒たちにとってこの山は聖山であり、巡礼の目的地でもある。現在でも多くの巡礼者たちが、徒歩や五体投地と呼ばれる巡拝スタイルでこの山を目指している。はじめて五体投地を見たとき、信仰への強烈な力と時の概念のギャップに呆然とさせられた。

 五体投地は、まず自分の体を地面に投げだす。そして尺取り虫のように起き上がり、また体を投げだす。延々とこの動作を繰り返しながら聖地へと向かうのであるが、一回に背丈分くらいしか進まないので、一日にほんの数キロ程度しか動けない。
全身埃まみれの服は、肘や膝の部分がボロボロになっていて、額から血を流している人もいる。聖山カイラスは、チベットでも隔絶された辺境の場所にあるので、巡礼に一年以上かける人もいると聞く。
聖地への巡礼者は、所属する社会をひととき離れ、自らの精神と肉体に負荷をかける。その苦行の果てには、心の充足感という信仰上の至福の瞬間が待っている。

 日本でも巡礼が静かなブームらしい。
私の周りでも西国八十八ケ所を巡った人の声を聞く。失恋の痛手を癒すために、野宿しながら歩いてきたという二十代女性がいる。
先立たれた息子の写真を胸に、六十代の女性はゆっくりと札所を巡ったという。
気がついたらお遍路の仲間入りをしていた倒産会社の社長もいた。
リタイアした五十代後半の夫婦は、ウォーキングの延長として仲睦まじく歩いている。
旅立つ動機はさまざまだろうが、信仰無き時代にもなぜ巡礼路は人々をそこまで引き寄せるのだろうか。物の不足をあまり感じることのない日常生活。
しかし、ふとこれまでの人生を振り返った時、満たされていない心に気がつくことがある。何か人生で置き忘れたものはないだろうか。
大切な何かを失ってはいないだろうか……。目には見えない心の不足感に気がついたとき、人は巡礼路へと旅立つ。それは自分の心の辺境にある空白地への旅ではないだろうか。


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幸福と満足は相反する

下記はとある研究所のコラムからの抜粋です。

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幸福と満足は相反する

 先日、尊敬する京都大学名誉教授の新宮先生の論文を読み返していた。すると、先生のお考えでは「幸福と満足は相反する」との事であった。この考え方を自分なりに当てはめてみると面白いように自分を取り巻く多くの物事が見えてきた。
 「貴方は今の生活に満足していますか?」良く聞く質問である。筆者はこう聞かれたら間違い無くNoと答える。まだまだ生活にも知識欲にも十分に現状は充足感を与えてくれていないからである。

 しかし、「貴方は今、幸せですか?」と聞かれたとすれば、間違いなくYesと答えるであろう。今の筆者の生活は日々充実し、発見の連続だからである。まだまだやりたい事が多く、時間が足りないと思える事は幸せ以外の何者でもないと思う。
 物質的(名誉)に満足した状態は長続きせず、その当初の目標以上のもの(所有)を望む事で新たな満足を得ようと人間は行動する。それは有限の資源や自然環境の社会では破滅的な結果を招くのではないであろうか。まさに満足は幸福と正比例しないのであろう。
 結局、人間は何を持って幸福と感じるのであろうか?物質的な充足を第一目的としていた時代は、その物質的なものを得るために努力する過程やその物質を得た喜びなどの心の動きは幸せを感じるのに十分であったであろう。

 しかし、今の供給が需要を創造する時代にはこの考え方には自ずと限界があるように思える。既に充足した消費者に対して危機感や不安感をあおり、新たなニーズを生み出し、その充足によって人々が安心という心の動きをえる。
 この手法によれば一時的な幸福感を得ることができるであろうが、もうこの手法は限界ではないか。そろそろ消費拡大型の思考からの脱却が必要ではないであろうか。人間は思考する動物である。思考こそは無限で、思考にまつわる満足や気づきこそ幸福感に繋がるのではないであろうか。

 この思考による心の動きこそが幸福を感じる元になるとしたら、それこそ無限に拡大し続けるものではないであろうか。しかし、思考にはジレンマやストレスは付き物である。これを乗り越えるだけの精神力が無いと思考による幸福感は得られないであろう。
 先述の新宮先生はまた「幸福になったら幸福か?」という問いをしている。これもまた人間心理の妙で、まさに幸福な状態において日々幸福を実感するのはよほど精神性の高い人物か、もしくはよっぽど金銭的に恵まれた人である。

 GNH思想では、「幸福に至る為にいろいろ考える過程が重要で、結果を求めるものではない」と解いている。タイでも今年策定された国家経済開発の目標は「セータギット・ポーピアン(足るを知る経済)」である。物事を突き詰めないでその考える過程を大事にして、ほどほどの状態で満足しようじゃあないかという考え方である。
 筆者のような凡庸な人間はほどほどの所で満足している事が幸福に繋がるのではないか。そう思って日々の小さな発見や小さな喜びを自分の身の回りに提供し続けようと思う。そうすればスケールの小さな段階では幸福と満足は正比例するのではないか。

 自分の欲をスケールの小さい段階に制御できる、これこそが幸福になる為の第一歩であると思う。そういう意味でも新宮先生の「節制は幸福の基礎である」という考え方は大きくうなずけるのである。

文責 平山修一


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宇宙観の伝承

宇宙観の伝承
 アジアはファッションの素材の宝庫だと思う。特に辺境部に住む少数民族の女性が担う染織技法にそれを感じる。男性の民族衣装の多くは機能性重視のデザインであり、文明化が進むにつれて画一化してゆく傾向にある。
なぜ辺境部の女性は、独特の色彩と配色で質の深い衣装を保っているのか、とインドネシアのヌサテンガラ諸島を旅しながら考えていた。観光地で有名なバリ島の東に点在するロンボク、スンバ、フローレス、ティモールなどの島々である。
各島で伝統的な技法でつくられるイカットと呼ばれる絣の腰巻スカートは、独特の文様、色彩、配色があり、欧米のデザイナーも注目している。いまや絣を意味する世界共通語にさえなりつつあるイカットは、インドネシア語で「くくる」という意味がある。

 スンバ島の農村でイカットの機織りの現場を見た。朝の家事を終えた女性が、木陰に置かれた織り機に座っていた。傍らには母の手元を眺めている女の子。女性が座るゴザの横で鶏がエサをついばんでいる。
高床式の家の下から涼しい風が吹き抜ける、まことにのどかな光景である。ふと気が付いた。彼女は描かれたデザインを見ながらではなく、黙々と手元だけを見ながら織ってゆくのだ。頭の中には文様の完成図がイメージされているのだろう。
スンバ島独特の文様は、動物を多用する特色がある。ワニやニワトリ、馬、亀など、すべて精霊が宿るとされる生き物である。自分の母親の手元を見て、その文様の織り方を覚えたと彼女は言っていた。その彼女の手元を娘らしき少女が見ている。

 アジアに残る独特の染織の多くは、タイ北部やインド、中央アジアの辺境部に住む女性の手による。彼女らの多くは、独自の精霊や祖霊の存在を心に宿しながら生活している。
科学的にものごとを判断しがちな男性に比べ、女性は感性が鋭く、現実を超越する事柄にも柔軟である。言葉や図柄では表現できない、彼女たちの宇宙観が手先の動きによって伝承されてゆくのだろう。

 「イカット=くくる」という言葉からは、母と娘の心と心を紡ぐ意味も感じる。紡がれた心から生まれる文様や色彩は、心の無形文化財としていつまでも伝承されていってほしい。


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生と死を見つめた医療

下記の文章は、とある研究所のコラムからの抜粋です。

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生と死を見つめた医療

 インド・コルカタ(旧カルカッタ)空港を出発し、機体はパロ空港めがけ一路高度を上げてゆく。雲をはるか眼下に、空は益々青さを増し機体の左肩にはエベレストをはじめとする世界最高峰のヒマラヤ山脈が広がる。都会の焦燥とはおおよそ別の惑星の上を飛行しているかのような錯覚を覚える。ブータンへの空の航路を支配するブータン航空(Druk Air)ならではの機内体験である。

  以前、ブータンの北方、チベット側からネパールへ抜ける陸路、土色の大地の遙か向こうに浮かぶヒマラヤ山系を望む機会があった。土色の荒野の中に瑠璃色に光る山脈は何とも神々しく感じられ、太古の昔この不毛の大地に生きた人々が、この光景に神々を投影したであろう事を思い、ひとり想像にふけった。現在もまたヒマラヤ周辺の国々においては、我々の想像を絶するような過酷な環境の中でも村が点在しており、そこで生活を営む人々の生命力に驚かされる。何世代にも渡り悠久の大地のうえで神々を身近に感じながら、生と死を見つめる生活。そしてこのような環境の中でチベットの文化が花咲き、チベット医学もまたその中で誕生してきた。チベット医学の特徴を日本語で出版されている書籍から引用すると、

 近代西洋医学では、「生」に焦点を当てて寿命を延ばす技術を発達させましたが、チベット医学は、養生の術と生活のアドバイスをたくさん含んで、「寿命」よりも「生命」を大事にしてきました。チベット語で医学はソーワ・リクパと言います。ソーワは「治療する」「慰める」の意味があり、リクパは「智慧」の意味があります。つまり、長く生きるための技術ではなく、善く生きるための知恵なのです。チベット医学は人間が生まれ、老い、病み、死ぬと言う人生全体を考え、「生」だけでなく、死も中有(バルドゥ・死と生の中間状態)も含む大きなライフ・サイクル全体を考えているのです。

 医学の中に「死生観」が繁栄されているのが最大の特徴である。この医学大系は、海の幸と四季の産物によって育まれてきた、日本の風土の中では決して生まれることはなかったであろう。過酷な大地に生きる、人々の生への祈りからこの医学が誕生した事が伺える。
 お金次第で人生の安心が得られ、パソコンの中ではキー操作ひとつでリセットや復旧が簡単に行われる。高度に「便利さ」を追求してきた我々の社会では、仏教が説明するところの「因果応報」といった真理について感じる機会が益々少なくなっているように感じる。それは則ち、より善い「生」を考えるうえで有用な死生観が喪失していると言うことではなかろうか。チベット亡命政府、ダライラマ14世の主治医ロプサン・ワンギェル医師はこのように語る。

 生きている間にそれ(死)を学び、その構造を理解していることは、心理学的にも大きな意義があります。また、今を少しでも、より良く生きなければいけないことの重要性が認識されます。

 我々の身近な医療の中では(漢方を含め)死を考えるという事はおおよそタブーであり、その研究自体が死に対抗するための知恵であると言えるだろう。今、日本全体で若年者から高齢者という広い範囲で多くの人達が自らの命を絶つという悲しくも異常な事態を耳にする。人の命を司る現在医療の手の届かない範疇である。医療が広い範囲で「生と死」に対して積極的に目を向け、取り組んでいくこと。現在医療が社会に対し貢献していける新しい可能性ではないか。

文責 高田忠典


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紅葉の三滝寺その6

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上下は、同じ石仏ではありません・・・。撮影は11月18日、三滝寺の奥の院にて・・。

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縁側のアルバム

縁側のアルバム
 「おお、よう来たの~」「まあ、上がれや」。その声は、縁側に腰かけキセルの掃除をしていた祖父だった。畑仕事の途中だったのか、足元には泥がついていたような気がする。
秋晴れの昼下がり、ポカポカ陽気に誘われて家の縁側に座り、子供の頃を思い出していた。家の前の田はすでに刈り入れが終わり、ひこばえが静かに風に揺れている。
息をゆるやかに、そして深く吸い込んでみると、とたんに私の心は穏やかな心地よさで包み込まれた。懐かしい人の顔や幼い頃の楽しかった日々を縁側が思い出せてくれたのだろう。
また、こんなこともあった。夏の夕暮れ時、家の中を開け放って、縁側でビールを飲みほろ酔い加減になっていた。ふとそのとき、家の外の風景と内の風景が徴妙に溶け合うような感じがした。家の中にいるのか、外にいるのか分からない心地よいとまどいの時間だった。

 今はあまり見かけなくなった縁側は、通りがかりの人やご近所さんも、靴を脱ぐことなく、ほんの束の間腰を下ろすことのできる場所でもあった。そこでは、表玄関での改まった会話でもなく、勝手口での日々の生活会話でもない、ほっとするような語らいの時が流れていたように思う。
靴を履いたままで他人の家の一部に、チョット腰を下ろし、安らぎのひとときを味わう……。なにかに似てないだろうか。旅とは、異邦人という靴を履きながら、現地の風景や人々の日々の表情という縁側に、ほんのひととき腰を下ろさせてもらうことかもしれない。
いままで、数多くの辺境の土地を訪れて、さまざまな人たちと出会ってきた。現地の家庭に居候したときには、家族たちが見せる悲喜こもごもの表情があった。
酒の勢いで義兄弟の契りを交わした人もいた。独身の頃には現地の女性に淡い恋心をもったこともあった。ささいなことで、お互いの誤解が増幅してゆき、一触即発の危険な状況もあった。

 旅先での心温まる思い出、淡く切ない思い出、ほろ苦い思い出は、しっかりと私の記憶というアルバムに刻まれている。日常の生活の中で、なにげなくそのアルバムを開いて見ることがある。
その瞬間私の心の縁側では、時空を超えて辺境の風景と目の前の風景が溶け合っているのかもしれない。まさに縁側とは、人と人との縁を結ぶ空間ではないだろうか。


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GNHについて

下記は、とある研究所のコラムからの抜粋です。

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GNHについて

 Are you happy? 幸せとはなにか?人生の命題ともいえる重い言葉である。このことを真剣に考えて国の政策にしようとしている国がある。それがブータン王国である。
 個人の幸せは単純な公式で諮れないのは自明の理である。それを国家の政策にするのには無理がある。ブータン王国の政策GNH(Gross National Happiness)、日本語では国民総幸福と翻訳されることの多い公共政策は、国民が幸福を感じつつ生活が出来る事を目標としている。
 GNHを簡単に表現すると「国民が日常幸福を実感できるために国が行う環境整備のための政策」であるとKuenselの社主キンレイ・ドルジ氏は言う。つまり個人が幸福を実感できるために国は自然環境の保護や文化伝統の保護、持続可能な経済発展、公平感を享受できる行政体制、幸福を感じることのできる心の教育を提供しましょうというものである。
 個人の幸福感は個人差が大きく、決して定量化できるものではない。しかしながらその根源的なものは共通の方向性を持っているのではないか。つまり個人が幸せを感じるかどうかはその個人次第であると規定している。 p>

 基本的な動物としての欲求、つまり生命の危機を感じないこと、群れ(社会)に共通のルールがあり、それを守る限りその群れに属することができること、などがあげられる。
 また人間として社会とのかかわりや精神性を高めるなど多くの他の要素があるものの、これらは人種を超えて人間にとって共通の欲求であろう。

 第4回GNH国際会議において首相のジグミ・ティンレイはキーワードとして「信頼」をあげている。これは政府への信頼、社会への信頼、家族への信頼など多くの信頼関係、この関係性こそが幸福感の基礎であると考えているからであろう。
 「GNHなんて金持ちや一部の人間の為の言葉だ。決してブータン国民は幸せだと思っていない」町ではこのような批判の言葉も耳にすることがある。確かにこの数年の生活物資や賃貸住宅の賃料の急騰は庶民の生活を圧迫し、一部の富裕層を作り出した。
 個人レベルで幸せを感じられない事は多い。しかし、GNHは地域発展の一手法である。内的社会(精神や価値観)の共有により外的社会の安定をもたらすという方法論であり、内発的発展論である。あくまでも個人の欲求を満たすという意味合いの幸福の増大を第一目的とはしていない。この点が多くのブータン人が正確に理解していない点である。

 GNHについて多くの外国人が様々な提案をしている。しかし筆者は一般化を目指さない姿勢、つまりブータンらしさを求め、諸外国で通用する理論にする必要はないのではないかと考えている。日本でも地元学という考え方が起こりつつある。教育もそうだが個別の生きる為の地域性、この視点においてGNHには意味があると思われる。

文責 平山修一


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紅葉の三滝寺その5

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水と落ち葉の紅葉、さらには仏群とのコラボレーション

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加速する欲望・理想だけではないブータン・・。

下記の文章は、現在清水代表が訪れているブータン国にお住まいになっている、広島出身の女性の文章です。考えさせられますね・・。

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<加速する欲望>

 GNHという概念がブータンから生まれたのは、ある意味でブータンの人々が周囲のどの国に比べても、集団として「満たされていた」ということだろう。そう、かつてのブータン人は充足していた。種類は限れてはいたが食べ物は十分あり、家族はいつも一緒で、村の人はみんな知り合いで、子ども達は地域に守られていた。

店に売っているものはどこも同じで、どの家にも同じものが並んでいた。子ども達は同じインド製のサンダルを履いて学校に通い、靴でないから、靴下を履いていないからと子どもを叱るような先生もいなかった。だって、先生もサンダル履きだったから。

 ブータン人は自覚こそしていなかったが、実は幸せだった。おそらく今以上に。外からの情報を手にすることのできる人は限られ、それは楽しいおとぎ話のように村々で語られた。私の夫は都会にあるという「電気」というものの話を聞いたときのことを、今でもはっきり覚えているという。ブータンにも情報化社会が出現した今、情報は楽しいおとぎ話とはなりえない。それはただ欲望を生み、社会は不公平感を増幅していく。

 2005年11月に行われた第83回国会で、あるチミ(国会議員)はこんな質問をした。「大規模な発電所建設が西ブータンに偏っているのはなぜなのか。東では自国内に存在する発電所が作る電気を、インド経由受けなければならない地域もあり、慢性的な電気不足は解決してはいない。」

もちろん、発電所建設には適した地形が必要だということを見逃すわけにはいかないが、「海外からの資金は東や南へは届かない。」という思いは、人々の心の中に根強く潜んでいる。それは、ブータンにおける開発の歴史を見れば明らかな事実でもある。

また先ごろの憲法草案についてのモンガルでのミーティングで、ある学生はこんな質問をした。「外国籍を持つ外国人はブータン国籍を取得できるのか。その場合、元の国籍を放棄しなくてはいけないのか。外国籍を得たブータン人は、ブータン国籍を放棄しなくてはいけないのか。」

 知らなければそれで済んだのに、見なければ今まで通り、穏やかに充足して暮らせたのに。知ってしまったら比べたくなる、見てしまったから欲しくなる。隣人が持っている物は、それがどう自分の生活に役に立つかはさておき、手に入れなければならない物となる。

かつて国王陛下は「欲望は人間が受け取る情報量と比例して増大する。」と述べられた。まさに、今の首都ティンプーを想起しておられたかのような言葉だ。「我が国民の良識を信じる。」と語られ、導入となった衛星テレビ、インターネット。それらがもたらす莫大な情報量が、どういった影響を与えたか。

今ブータンに生きる人々はこの国始まって以来の、外界からの多種多様な情報にさらされている世代なのだ。そして残念なことに、ブータン人にはまだこういった情報を、取捨選択する能力が開発されていない。まさに、ここにブータンの現在の苦悩がある。

<GNH という概念によって不幸せを自覚していくブータン人>

 12月になって、ティンプー市内には親戚を訪ねてきた地方の人たちが目立つようになった。明らかに首都生活者でないことが見分けられるという現実は、何を示しているか。電気店で遠慮がちに山と詰まれた輸入電化製品を遠巻きにする彼らは、つい7年前の私の家族の姿だ。

家族がこの7年間に手に入れたもの。乗用車、フラットテレビ、マルチビデオデッキ、DVD/CDV/CD プレーヤー、冷蔵庫、新型保温炊飯器、湯沸かし器、洗濯機(この7 年で二層式から全自動へと変わった)、電気調理鍋、掃除機、夫婦一台ずつの携帯電話、子どものための自転車、そして首都郊外の猫の額ほどの土地。だけど、まだまだ足りない。まだまだ十分ではない。

 水道をひねれば水が出るのが当たり前。毎日、温水でシャンプーするのが当たり前。真実なにが美しいのかさえ、今の首都ティンプーは見失いつつある。日本が来た道、ブータンが行く道。

 GNH はわざわざ言葉にして概念化する必要もなく、昔からブータンに存在したのだとある政府高官は語った。

 さて、GNH が世に出、「世界で一番幸せな国」などという枕詞がブータン紹介に必ずつくようになり、自分が「幸せですか?」と面と向って尋ねられて初めて、ブータン人は自己の置かれた状況を振り返ることになる。そんなことを考えずに暮すことのできた時代は、すでに終わりを告げた。

 2001年7月にNHK にて放送された「地球家族」の取材の際、日本語通訳である夫はその仕事の難しさに苦りきっていた。『単純に「あなたは今幸せですか?」とその通りの言葉・単語を使って聞いて、その質問の意図を即座に理解できるブータン人は、ほとんどいない。

そういう人達は、かなり恵まれた生活・外の世界での教育を知っている人だと思う。村の人には「幸せ」という単語はそのまま通じないんだよ。

「家族は元気ですか。」とか「心配はないですか。」「よい暮らしですか。」とか「家畜は元気ですか。」と「農作物はどうですか。」とか、噛み砕いて質問しないと、ただ『Are you happy?』って聞いたって、わかってもらえないんだよ。

で、そういう状況だっていうことを取材チームの人にわかってもらうことが、また難しくてホントに大変なんだ。』


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紅葉の三滝寺その4・凛とした空気の竹林

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この竹林が最終目的の場所だったのです。ここまでは、私たち以外、だ~れも来ておりませんでした。凛とした空気が漂っておりました。

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豊かさの意味

豊かさの意味
 「今まで行った外国でどこが一番好きですか」と聞かれたとき、私はこう答える。「心の表情が豊かな土地が好きだ」と。
観光名所や風光明媚な景色の記憶よりも、さまざまな人が見せてくれた心の表情が、私の旅の財産であると思っている。
その表情は、日常のなにげない仕草やちょっとした所作の中から滲み出てきたものばかりである。そして、相手の表情のなかに、みずみずしい命の輝きや、力強く逞しい生命力、共有する安らぎの時間など心の豊かさが感じられたとき、そこは忘れられない土地になる。

 極寒の北極圏。犬ぞりを操る父を憧憬のまなざしで見ていたイヌイットの少年の幼い横顔には、青い心を研磨する強い意志が浮かんでいた。
ニューギニアのジャングル。黙ってどこまでもついてきた半裸の少年のつないだ手の温もりは、彼のつつしみ深い心の温度だった。
内戦の傷跡が生々しいアンコールワット。はにかみながら土産物を売る義足の少女の目には、明日への希望という心の灯があった。
炎天下のシルクロード。葡萄棚の下で出番を待つオアシスの踊り子たちの凛とした背中には、清涼感のある心の誇りを感じた。
玄海灘を運び屋として往復するチマチョゴリを着たオバサンたち。逞しい赤ら顔には、根太い心の芯のような深い皺が刻まれていた。
桃源郷と呼ばれるフンザの里。白壁にもたれ、たばこをくゆらす長寿の老人には、心の静寂さが漂っていた。
乾燥したチベット高原。地響きをたてながら五体投地をする巡礼者の無垢な心は、埃だらけの顔を輝かせる光沢だった。

 彼らの心の豊かさとは、着るものや食べるもの、住む家といった世俗的な物欲とは対極にある豊かさではないだろうか。生きることにシンプルな節度と誇りをもつ人々の心の泉では、豊かな表情の湧き水が絶えることがない。
しかし、コンピューターを駆使する社会に住むわれわれの心の泉は、果たして豊かな水量といえるだろうか。人間にとって、一番辛いことは心が渇いてしまうことである。
辺境への旅は、私に豊かさの意味を問い直す機会を与えてくれた。そして、称賛されるべき人とは、肩書きなど社会的アクセサリーの多い人ではなく、小さな幸せを喜ぶ心の豊かさを持つ人であることを教えてくれた。


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紅葉の三滝寺その3・厄祓い?

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なんと、この日は三滝寺奥の院で、ちょうど私たちが訪れた時間帯のみ、厄祓いの儀式が行われていたのです。参加者も、お坊さんによる、お祓いの儀式を受けました。ついてる!!

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経本のようなもので、肩や腰、太ももの裏側を、結構強くたたかれるのです。ちょっと痛かった・・・。

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半世紀という長さ(ブータンの魅力)

半世紀という長さ
 秋祭りの時期が近づくと、私の村では幟が秋風に揺れ、夜には神楽を練習する囃子の音色が流れはじめる。
祭りの夜には、親戚が集い、子供たちはお宮で神楽を朝まで毛布持参で見ている。大人たちはストーブの周りで、背中を丸めながら振る舞い酒を飲んでいる。
神楽の夜の光景を見るたびに、私はヒマラヤの仏教国ブータンを思い出す。
ブータンにも仮面の舞が残っている。舞い手の衣装の色彩は鮮やかで、ヒマラヤで神の化身といわれる鹿のお面などが使われる。特定の月の十日には、ツェチュと呼ばれる四日間も続くお祭りが各地であり、里帰りをした人たちが旧交を温めたり、着飾った若い男女が出会ったりもする。
 仮面の舞にあわせてシンバルや太鼓、ドラなどが素朴で力強い音色を響かせ、舞う側も見る側も至福の表情を見せている。

 その場にいた私は、この国のお祭りがもつ深い意味について考えていた。伝説上の生き仏たちの功績や教えが、仮面の舞の物語の中に織り込まれている。
その昔、文字を知らない人たちに仏教の教えを伝えるためにこの舞が生まれた、と現地の人から聞いた。仮面の舞は、伝えてゆく歴史の生きた教科書であり、人々に日々の生活を振り返る機会を与えている。
時代が変わっても、不変であるべき心の待ち方を仮面の舞は教えているのかもしれない。五年ほど前、このブータンから広島に来た僧侶に出会ったことがある。その僧侶は、広島に着くなり驚きの表情で私にこう語った。

 「日本人はミラクルだ」。初めて来日する前に、原爆投下直後の広島の写真を見ていたらしい。
「私の国では、五十年という歳月でこんなに風景が変わることは信じられない」
悠久の自然景観、ヒマラヤを背後に生活するブータンの人にとっては、半世紀という歳月で、物事や風景は変わらないのだろう。コンピューターが世界をますますスピーディに変化させてゆく現代。
昨日の経験が明日には役立たなくなり、常に後ろから追い立てられている気分の日々。街の景観も絶えずうつろい、先が読めない苛立ちや焦りが心のものさしをますます短くさせている。
しかし日々の小さな感謝や他者への思いやりといった心の景観は、五十年たっても不変であってほしい。


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ブータンの記事


目指せブータン!「幸福度」欲しい世界の首脳たち

2010.11.19 13:03
このニュースのトピックスアジア・オセアニア

 国民が実感している「幸福度」を、「豊かさ」を示す新たな指標として導入しようという動きが、先進諸国で広がっている。英国では最近、デービッド・キャメロン首相(44)の肝いりで、調査を定期的に実施することで政策づくりにも役立てる方針を固めた。

 日本では今年2月に初めて国民の幸福度を発表したほか、フランスのニコラ・サルコジ大統領(55)も昨年、経済発展を目指す際には幸福度も加味すべきだとしている。長引く景気低迷で金銭的、物質的な豊かさが実感できない中、新指標による幸福度アップで政権の支持率上昇を狙いたい?

「豊かさ」の新指標

 「豊かさ」を測る代表的な指標としては「国内総生産」(GDP)が知られているが、英紙ガーディアンによると、キャメロン首相は「人生にお金以上に大切なことがあるのは誰もが認めている」「GDPだけでなく国民の幸福度にも関心を払う時代だ」と強調したという。

 幸福度を測る指標として(1)生活の満足度は10段階で何番目か(2)きのうはどれくらい幸せだったか(3)職場や家庭で男性と女性は平等に扱われているかーなどの質問を想定。調査の結果は、四半期ごとに発表される方向だ。

 国民の幸福度といえば、1970年代から「国民総幸福量」(GNH)の向上を経済政策の基準としているヒマラヤの小国ブータンが有名だ。健康や教育、統治、精神的豊かさなど9つの指標から成るGNHを採用している。

 そのブータン国民の幸福度はどうかというと、人口約70万人のうち19%近くが国連が示す貧困レベルを下回っているにもかかわらず、大半は幸福を感じているという。最近の調査によると、「幸福でない」と回答した国民は4%にすぎず、残りの96%は「幸福だ」、あるいは「非常に幸福だ」と回答した。

 こうした結果をもとに、シグメ・ティンレイ首相(58)は今年の国連ミレニアム首脳会議で演説。隣国の中国とインドを名指しで「人類のすべてが彼らのように消費すれば、地球がどうなってしまうのか」と批判するとともに、「現在の経済危機は私たちが"富"と呼ぶものが、幻想にすぎないことを物語っている。この際、GNHをミレニアム開発目標に加えてはどうか」と指摘した。

 フランスのサルコジ大統領が昨年、「GDPへの固執をやめ、豊かさを測るより広範な指標を重視すべきだ」として、新たに策定した指標には、生活や環境、教育の質など主な点でブータンの指標と一致している。

日本は平均以下

 日本では、政府が昨年末にまとめた新成長戦略の基本方針で、国民の幸福度を表す新たな経済指標を開発すると明記。それに基づいて内閣府が実施した調査では、国民の幸福度は10段階評価で6.47点。比較可能な28国の平均値(6.9点)を下回っている。

 増税を含む大規模な財政再建策が発表されたばかりの英国では、キャメロン首相が提唱する新指標について政府内からも「良い結果が出るはずがない」との慎重論もある。だが首相は「社会の幸福感を改善することは、現代政治の中心課題だ」として、強い決意で臨む方針だ。

 


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紅葉の三滝寺その1

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もう、お見事!という言葉しかでてきません。撮影は昨日。昨日が「もみじ祭り」の初日にあたっていたのです。ついてる!!

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多宝塔の内部が公開されるのも、一年で昨日だけ!!


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国民総幸福量数値最大のヒマラヤ山麓の国・ブータンって?

ヒマラヤ山麓にブータンという国がある。小さな国。しかし、その国に住む国民の多くは、『幸せのありか』に『手ごたえ感』を感じながら生きているといわれている。

経済指数のGDPによって、国民の幸福感や人生の満足感を換算することの無意味さを、私たちは実感している。お隣の国・中国が日本を抜いてGDPで世界第二位となるらしい。第一位の国アメリカでは、銃による乱射事件やテロ騒ぎのニュースが後を絶たない。

そして、日本を抜いた中国では、貧富の格差が広がるばかりである。つい最近まで第二位の位置にいた日本においても、親が子を殺し、子が親の死を悼まず、その年金だけをあてにする・・。あきらかに経済指標のGDPは、人々の『幸せ感』を示す値ではない。

一方、悠久の自然時間が流れるヒマラヤ、その山麓にあるブータンはどうであろうか?ブータンの隣にあるネパールという国がある。1960年代に外国人に門戸を開放した。どちらかというと、門戸を開放しすぎたきらいもある。

その影響は、都市部にすむ若者の表情に表れている。西欧文化の波に否が応でも飲み込まれていく若者と、ゆっくりとした人生の刻みかたをしてきた年齢層との間に、亀裂が生じてもいる。そのネパールの負の部分をよくよく観察していたブータン・・。

外国からの観光客には、ちょっと高価な滞在費が請求される。その高い費用を支払ってでも訪問したい人に門戸が開放される。10数年前までは、一年間の外国人訪問者数を制限もしていた。登山でいうことろの『入山制限』をしていたのである。

 

インターネットやテレビなどの普及が進むブータン。人々の幸せ感をどのように持続させてゆこうとしているのか、21世紀の壮大な実験国家でもあるように思う。そんなブータンの映像をご紹介しよう。下記のアドレスをクリックすれば、映像(英語)が流れてくる。(代表)

http://youtu.be/rcoQjoZ6toI


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清水代表同行・自然歩き企画発表!

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清水代表が企画監修している「てくてくウォーク」の会の行事予定の発表です。

冬から来年の春先までの企画です。

詳しくは、フリーダイヤル・0120-69-2230まで


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装備のプロに教わる!

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本日、総合的アウトドアショップのパワーズさんの開店前の時間をいただき、装備について詳しくお話をいただきました。それも、パワーズさんの店員の方と、さらに、メーカーのミズノからの社員の方のお話でした。

ミズノのスタッフの方からは、「発熱素材」についての詳細な説明を受けました。また、その素材の実物に水をかけての発熱効果も実地で体感することができました。その後、紅葉の名所・三滝寺へ、参加者14名とパワーズのスタッフ、ミズノのスタッフ総勢20名強で出かけてきました。

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太田川の河川敷でのお昼ご飯・・・。ポッカポッカと暖かかった・・・。

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三滝寺の多宝塔は、一年の内、この日だけ内部が公開される日にあたりました!ご本尊や壁画など貴重なものを拝観できました。


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広島の竜宮城レポート2

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倉橋火山(竜宮城)の頂上からの北方向の展望(白い橋は、早瀬大橋)

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頂上は、まるで亀の背中(甲羅)の上に乗っているかのよう・・・。

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こちらは、下山後の桂が浜。


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やはり、偉大な人物は注目される!中村春吉氏

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中村春吉氏については、昨年一年がかりで調査をしてきた。その記事をブログ上にてもアップしている。興味のある方は、下記のアドレスをクリック下さい。

http://hotken.blog.so-net.ne.jp/2009-02-16-3(中村さんの御墓について)

http://hotken.blog.so-net.ne.jp/2009-01-13-8(晩年の住居跡)

http://hotken.blog.so-net.ne.jp/2008-12-25-7(中村さんの人物像)

http://hotken.blog.so-net.ne.jp/2008-12-26-41(中村さんの写真)

http://hotken.blog.so-net.ne.jp/2008-12-26-42(中村さんの著作)


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紅葉の毛無山3

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紅葉のピークは過ぎていましたが、まだら模様の秋気配も非常に美しいものでした。

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紅葉の津和野・写真塾1

今日、私の写真の師匠とともに、津和野へ出掛けていました。師匠から写真の教えを教授していただきました。ほんとうに、素敵な一日をすごすことができました。

ここのところ、国内を中心に、東や西へと大忙しだったので、師匠とともに津和野の秋をファインダー越しに満喫することができました。おそらく師匠もブログ上にて写真を公開されると思います。師匠の写真も後日ご紹介いたしましょう!

まずは、この写真から・・・。

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堀庭園の中です。津和野の銅山経営で財をなした人の別宅?

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小雨降りしきる、庭園の中の池を泳ぐまだら白模様の鯉・・・。(わかるっかな~・・?)


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