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今年最後の蔵出し写真(ニューギニアのアントニオ猪木!)

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2009年を締めくくる蔵出し写真として適切かどうか、一瞬だけ迷ったのですが、「エイヤ!」とばかり、気合の入った写真で締めくくることとしましょう。タイトルは、 「ニューギニアのアントニオ猪木!」、 「いち、に、さん、ダ~!!」といった瞬間の撮影だったのでしょうか・・?正直いって、この瞬間は全然覚えていないのです。

場所は、ニューギニア。それも、ニューギニアの東半分にある、パプア・ニューギニアです。ハイランドを呼ばれるニューギニア高地を車で走っていたら、ちょうど、現地のお祭りに出くわしました。現地で「シンシン・ダンス」と呼ばれる戦士たちの勇壮な踊りは、そのメイキングにも現われています。どちらが誘ったか、それとも、自主的に立候補したのかは、未だに記憶にありませんが、気が付いたら、私は、このような、密林戦士のボディ・メイキングを施され、なんと踊りの輪の先頭に立っていたのです。

そこからの記憶はまったくありません。密林の呪縛に取り付かれていたのでしょうか・・・? それとも、シャーマンのかけた呪術にトランス状態になっていたのでしょうか・・? いずれにしても、にわか戦士として人の命を奪うことはなく、奪っていたのは人から笑いだけでした・・。かすかな記憶では、私の後ろで踊っていた戦士たちが、笑いすぎて、踊りが腰砕けになっていた姿が脳裏に浮かんでくるのです・・。そんなに可笑しかったのかな~・・・?

このとき、若干24歳。怖さをしらない年代です。腹も出ていません・・・。おなかだけは、この当時に還りたいのですが、怖さ知らずと厚顔無恥は、すでに卒業?しているかな・・・? え? あれれ・・? 今でも、人前で緊張する時(た~まにあるのですよ、これでも)、この写真を思い出し、心の中で、 「いち、に、さん、ダ~!!」と叫んで自らを鼓舞しているのです。さすがに、おなかは出てきていますので、少々くたびれた心のつぶやきになっていますが・・。

それでは、みなさま、よいお年を、「いち! に! さん! し! しんねん、あけまして おめでとうございます!」  いやいや、 ちょっと早かったですね・・。 気合が入りすぎて、ちょっと勇み足でした・・・。 あしからず・・。(代表)

 


豊かさの意味

豊かさの意味
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 「今まで行った外国でどこが一番好きですか」と聞かれたとき、私はこう答える。「心の表情が豊かな土地が好きだ」と。観光名所や風光明媚な景色の記憶よりも、さまざまな人が見せてくれた心の表情が、私の旅の財産であると思っている。その表情は、日常のなにげない仕草やちょっとした所作の中から滲み出てきたものばかりである。そして、相手の表情のなかに、みずみずしい命の輝きや、力強く逞しい生命力、共有する安らぎの時間など心の豊かさが感じられたとき、そこは忘れられない土地になる。
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 極寒の北極圏。犬ぞりを操る父を憧憬のまなざしで見ていたイヌイットの少年の幼い横顔には、青い心を研磨する強い意志が浮かんでいた。ニューギニアのジャングル。黙ってどこまでもついてきた半裸の少年のつないだ手の温もりは、彼のつつしみ深い心の温度だった。内戦の傷跡が生々しいアンコールワット。はにかみながら土産物を売る義足の少女の目には、明日への希望という心の灯があった。
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炎天下のシルクロード。葡萄棚の下で出番を待つオアシスの踊り子たちの凛とした背中には、清涼感のある心の誇りを感じた。玄海灘を運び屋として往復するチマチョゴリを着たオバサンたち。逞しい赤ら顔には、根太い心の芯のような深い皺が刻まれていた。桃源郷と呼ばれるフンザの里。白壁にもたれ、たばこをくゆらす長寿の老人には、心の静寂さが漂っていた。乾燥したチベット高原。地響きをたてながら五体投地をする巡礼者の無垢な心は、埃だらけの顔を輝かせる光沢だった。

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 彼らの心の豊かさとは、着るものや食べるもの、住む家といった世俗的な物欲とは対極にある豊かさではないだろうか。生きることにシンプルな節度と誇りをもつ人々の心の泉では、豊かな表情の湧き水が絶えることがない。しかし、コンピューターを駆使する社会に住むわれわれの心の泉は、果たして豊かな水量といえるだろうか。

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人間にとって、一番辛いことは心が渇いてしまうことである。辺境への旅は、私に豊かさの意味を問い直す機会を与えてくれた。そして、称賛されるべき人とは、肩書きなど社会的アクセサリーの多い人ではなく、小さな幸せを喜ぶ心の豊かさを持つ人であることを教えてくれた。


安定した風景

安定した風景
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 「とても安定した風景ね……」と彼女はつぶやいた。

 われわれは、今にも暮れようとする南国の島にいた。パンクの修理に時間がかかったバスは、目的地の町へと砂埃をあげながら走っていた。窓の外にはインドネシアではどこでも見られる田園風景が広がり流れてゆく。南の島は、暮れゆくと同時に風の温度が急降下し、一気に寂寥感が押し寄せてくる。われわれの目には、スラウェシ島の農家が映っている。農家の屋根からは、夕餉の煙が立ち上る。田のあぜでは、農作業を終えた主人らしき男が、鍬を水で洗っている。一日の労役を終えた水牛の背中でシルエット像になる、子供たちの姿。家のかたわらで、たばこを吸っているおじいさん。かすかに聞こえる女たちの声と食器の触れる音。

 毎日繰り返される農村の夕暮れ時の風景である。インドネシアの田園地帯だけではなく、ヒマラヤの山村で、ニューギュア高地のダニ族の集落で、カンボジアやバンコック近郊での農村など、この夕暮れ時に似た風景を見た。「安定した風景」と言った旅の同行者は、都市計画にも見識をもつメディア界のキャリアウーマンのはしりのような人である。世界の都市から僻地まで旅を続ける彼女の言葉は、なぜか今でも私の心に響いている。
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 思い出してみると、私の子供時代には、このような夕暮れ時があった。高度経済成長期の日本の田舎には、まだ一幅の絵のような夕暮れ時の風景が残っていた。なぜかしら寂寥感が漂うが、同時に一日の充足感も感じられる時間と空間。子供は、明日の事など関係なく、晩ご飯のおかずのことだけを考えていた。大人たちも背筋を伸ばしながら粛々と一日を終えていた。家族の小さな幸せが、夕餉の煙に混じって夕焼け空に漂っていたように思う。

 さて現在。物質的には豊かになり、一見平和そうに見える。しかしその背後には、心の内戦が見え隠れしている。大人の醜悪な犯罪や企業戦士の自殺、子供の荒れなど、暗いニュースが流れない日はない。職場や学校、台所からも見えないため息が漏れている。私たちは自らの心に、安定した夕暮れ時の風景を取り戻す作業を忘れがちだ。その作業は、旅という非日常の空間にわが身を放り出して、そこから自分を見つめ直す中でこそ可能なのかもしれない。

歳末蔵出し・思い出のアルバム(愛煙家だった頃)

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今日の蔵出し写真は、「愛煙家だった頃・・」です。場所は、お釈迦様生誕の地・ルンビニです。時間は早朝の6時頃です。このルンビニという土地は、ヒマラヤを有するネパールにありながら、なんと標高80メートルくらいしかありません。インドとの国境地帯は、平原状態なのですね。ということは、「とっても暑い」というより、「とっても熱い」という漢字のほうがあっています。

そんな「熱さ」ですので、日中は行動できません。だからというわけではありませんが、早朝の時間がとても貴重なのです。写真のときにはネパールに住む古くからの友人と二人でルンビニを訪れたのです。その目的は、ヒマラヤの国での養生プログラム構築だったのです。今年の11月の実施した「ヒマラヤ養生塾」はすでに第四回目になりました。第五回は来年の4月に実施いたします。

その「養生塾構想」。当初(というのは、なんと20年前から温めてきたものです)から、ネパールでは2種類のプログラムを考えていたのです。ひとつは、ヒマラヤ山麓にてのプログラム。そして、もうひとつが、このルンビニでのプログラムなのです。

ルンビニでのプログラムの柱となるのが、この早朝の一時間なのです。愛煙家だった私が背中を揺られているのは、なんと牛車なのです。夜明け前に、宿泊先であったルンビニの農家(農家に民宿するのです)の庭先に、そろりそろりと入ってきたのは牛車・・・。なにをするのかな・・?と思っていたら、期待通りの「牛車散歩」が始まったのです。早朝のすがすがしい空気の中、ギッタン・バッコン・ギッタン・バッコンとオンボロ牛車が、田んぼのあぜ道を動いてゆくのです。

愛煙家だった私(断煙してからすでに10年弱になりますが)は、思わず朝の一服をつけたのでした。その美味しかったこと・・!さらに、この一時間の牛車散歩は、私に思わぬプレゼントをくれたのです。その光景が下の写真です。
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一時間の牛車での散歩途上、森の茂みの中から子供の声が聞こえてきたのです。それも、学校から聞こえてくるような声なのです。思わず、牛車から降りて森に入りました。その時に撮影したのが、上記の写真なのです。
なんと、早朝の樹下の教室だったのです。ルンビニは日中暑いので、学校はなんと早朝に開かれ、それも校舎は、樹下だったのです。森のそれぞれの木の下に、それぞれの学年の子供たちが集まっていました。先生はたった、一人だけ・・。それそれの課題を与えられた子供たちは、大きな声でネパールの国語や算数に取り組んでいたのでした。
感動しました。早起きは三文の得といいますが、まさにそのとうり!こんな素敵な光景に出あわさせてくれたのですから・・。もしかすると、お釈迦様の時代の学校も、このような樹下の学校だったかもしれませんね。こんな教室だと、いじめや自殺など皆無のことでしょう。なんたって、学校で自殺しようにも、二階や三階といった高い場所すらありません・・。
私は、この風景に出あって帰国した後、兵庫県の神戸新聞社の依頼により、「子供たちのいる風景」と題して月1回のエッセイを連載(12回)しました。そのエッセンス映像をご覧下さい。下記の画面中央の矢印をクリック下さい。

温かさを包む布

温かさを包む布
 アジアでローカルバスに乗ると、田舎への土産でパンパンに膨れた袋を提げた人たちと出会う。家人への、隣近所へのお土産。中には生きているニワトリが入っていたりもする。その袋は手垢にまみれている。鮮やかな原色だったはずの赤や青もあせている。バスが揺れるとホコリさえ出てくる。でもそこから、故郷への温かい気持ちも一緒ににおい立ってくる。

 先月、国際線の機内誌で各国で使われている袋や布の記事を読んだ。ウズベキスタンには、ナン(小麦のパン)を包むダスタルハーンがある。南米のボリビアには、コカの葉を包んで運ぶインクーニャがある。供物をタブラックという袋で包むのはバリ島の習慣。ブータンではブンディ、韓国ではポジャギ、イランはボグジエ……。
日本でいえば風呂敷だ。私が子供の頃は、盛装をした母親たちの小脇には必ず風呂敷があった。家への訪問客が玄関先で、風呂敷の結び目をほどくとき、子供の私はワクワクしていた。食べ物だったりすると、和服姿の女性がより一層美人にも見えた。

 風呂敷は、外国の人への土産にも重宝している。相手は、日本の季節感があふれるデザインの風呂敷をさりげなく自分の身の回りに取り入れてくれる。カンボジアの女性ガイドに渡したときには、彼女はそのまますっと首に巻いてくれた。スカーフになった。チベットで知り合って晩ご飯をご馳走になった人の家では、翌朝テーブルクロスになっていた。インドでは、お土産を安くしてくれた店の主人に渡し、店の壁掛けに変身した。「包む布」そのものが立派な贈り物になったのだ。

 海外の免税店で土産のチョコレートをまとめ買いする日本人旅行者も多い。でも本当に届けたいのは心。たとえ石ころ一つであっても、温かい心の袋に包まれていれば必ず相手の心に響くだろう。土産を包む袋や布は、人々の心の体温でほかほかしている。やわらかい結び目からは、人が人を思うやさしさが伝わる。普段の生活の中でも、相手への気持ちを包みこむ心の袋の数を増やしてゆけたら素晴らしい。


清浄なる精神

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自然と人間との関係や、社会と自然の関係などにするどい視線を投げかける哲学者・内山節さんの最新著作です。


歳末蔵出し・思い出のアルバム(エイホ!エイホ!)

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今日の尻出し、じゃなくて、蔵出し写真は、なんと「エイホ!エイホ!と密林の戦士になった私」です。場所はインドネシア領ニューギニア(イリアンジャヤ)という場所の密林の中です。この踊りは、戦士の舞といって、部族間の争いごとがあったときに、必ず踊られる舞い(といっても、気勢と奇声を上げながら、円形に走り回るだけなのですが・・)なのです。

槍を手にした私の後ろに、なぜか長髪で戦士たちを「挑発」しているかのような、可愛らしい女の子の後姿がありますね。これは、私を含めて合成写真ではありません。当時、大阪の女子大生が3人ほど一緒にジャングルに出掛けていたのです。その大学の名誉教授が、私の師匠的存在でした。

その教授が団長になり、女子大生や一般の人たちとともに、密林へと入っていったのです。写真の女子大生の方も、すでに40歳前後・・。お子さんもおられることでしょう。しっかりと、お母さんの雄姿を伝えてくださいね。この頃から、日本においては、男性より女性の方が行動力が勝り始めているのです・・。(代表)


中年の経験と知恵

中年の経験と知恵  

世界最高峰エベレストの山頂を極めることは、プロの登山家にとっても至難のワザである。この山頂に挑んだ五人のアマチュア登山家の話である。五人の平均年齢は、五十九歳。最高年齢は六十二歳。五人とも私の所属する大学山岳会の先輩たちである。よき家庭人でもある彼等は、二年以上も前から着々と準備を重ねてきた。私は現地との交渉係の隊員としてその二年間に接してきた。

 ヒマラヤヘの登山の成功は出発前までに70%以上が決まるといわれる。それほど、出発前には膨大な準備計画が山積しているのである。体力、技術の研鑽はもとより、登山の戦略研究、物資の調達や輸送、現地事情の情報収集や分析、そして資金調達でも頭を悩ます。

ヒマラヤの登山は、大きな事業プロジェクトの遂行と同じである。出発までの準備期間が成功のカギといわれるのはそのためである。この遠征隊は、若い時代に、日本の山で同じ釜の飯を食べた仲間で構成された。大学卒業後は、それぞれの分野で社会の一員として活躍してきた。過去ヒマラヤ登山の経験をもつ人もいる。六十歳前後になり、夢を再びと立ち上がった。

 「頂上を極めることは目標だが、それまでのプロセスを楽しみたい」と彼等は語る。登山は、重たい荷物を背負い、汗をかき、喘ぎながら山頂という目標を目指す。苦しければ苦しいほど、目標達成した山頂では爽快な気分に浸れる。 

 人生のプロセスでさまざまなことを中高年の彼らは体験している。自分に対する過信の怖さ、忍耐という苦渋の選択、思い通りにいかぬ人生……。人生のプロセスの中で得た経験と知恵が、中高年隊員たちの心強い援軍ではないだろうか。

作家の曽野綾子さんは、『中年以降』という本の中で書いている。「体力の線は下降し、精神の線は上昇する。その線の交差点を見るのが、中年以降である」。若者にあって、中高年にないのは肉体の体力である。しかし、若者になくて中高年にあるのは、精神の充実という心の体力。

焦らず、慌てず、仲間とともにプロセスを楽しむ……。心の中で目標達成へ静かな闘志を燃やしている先輩の顔は、若者以上に輝いて見える。人生経験という見えない蓄財は心の体力を養う。その心の体力が、第二の入生をより豊かなものにしてくれる。 

歳末蔵出し・思い出のアルバム(アフリカの大地と山をバックに)

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本日の蔵出し写真は、アフリカからです。アフリカの最高峰・キリマンジャロを登山した際のものですが。、背後に写っている山は、キリマンジャロではありません。その脇にある、5000メートル峰です。この山の山麓を歩いてまず、高度順応をしてから、キリマンジャロにアタックするのですが、すでに写真撮影の場所は、標高3600mくらいあります。

いわば、富士山の頂上付近と同じ高さなのです。しかし、赤道近くにある山ですので、こんな半袖の方も登場するのです。お気づきでしょうか?この高さであればまだまだ運動靴でも、なんとか大丈夫なのです。地面を見ていいただいたらお解かりのように、雪はないし、乾燥した低灌木帯なのです。

しかし、キリマンジャロ登山は、ここからは勝負なのです。ここで高度に順応できなければ、非常に厳しい翌日が待っています。富士山と同じく、下り道やアップダウンのない山ですので、ひたすら標高があがってゆくのです。正直何人かの人が毎年高山病で命を落としてもいます。(代表)


ヘルシーエイジング

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ホリスティック医学の創始者ともいえる、アンドリューワイル博士の著作です。

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推薦本コーナーでは、これまでに数百冊の書籍をご紹介してまいりました。あまりにも膨大な量となりましたので、一旦新しいアドレス上にてご紹介しています。上記のヘルシーエイジングまでにご紹介してきた書籍につきましては、下記のアドレスをクリック下さい。

http://hotken.blog.so-net.ne.jp/archive/c354196-1


歳末蔵出し・思い出のアルバム(え!?テロリストに変身?)

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本日の蔵出し写真は、「テロリストだった頃?」。テロリスト、ではなく、ヘロリストというぐらいがちょうどなくらい、ヘロヘロしていた時期の写真です。場所は、テロリストの本場的土地、パキスタンです。不老長寿の里への視察に出かけた際、移動中の安全を期して、パキスタン政府が兵隊を同行させてくれました。確かに、薄暗い時間の峠越えには、山賊らしき集団がうろうろしておりました。

しかし、失礼ながら、同行してくれた兵隊さん(写真左)らの風貌は、まさに「山賊」そのもの・・。いつ、兵隊から山賊に変身されやしないかと、ひやひやしているのもしゃくにさわるので、「えいや!あんさんのライフル銃、ちょっとかしてちょ~!」といって、相手の緊張感を確かめたのが、この写真です。しかし、予想に違って、兵隊さん・・。なんのリアクションもありませんでした。

ちょっと、勤務に疲れたおっさん、という風情です。「こりゃ、山賊にもなれんな~」と妙に安心した記憶があります。(代表)


歳末蔵出し・思い出のアルバム(怪しい解説?)

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本日の蔵出し写真は、カンボジアのアンコールワット遺跡です。この頃のアンコールワット遺跡は、現在のように管理されたものではありませんでした。実は、私達が訪れたときにも、シェムリアップというアンコールワットに一番近い町のホテルから、なんと砲撃音が聞こえていたのです。まだまだ、内戦の名残が残っていた時代です。

私の後姿も20歳代のものです。この頃、よくアンコールワットやアンコールトム遺跡、そしてインドネシアのボロブドゥール遺跡を毎年のように訪れていました。しかし、現在と違って、仏教や宗教にはなかなか興味が無かった頃なので、現地の案内人の解説を通訳して同行者に伝えているのですが、ちょっと怪しい内容だったかもしれません。その当時の同行者の方々、申し訳ありません。現在であれば、年齢的にも個人的関心も、仏教その他信仰心について密度が濃くなっていますので、これから同行される方は、ご安心あれ!(代表)

 


絵はがきの呪縛(紀行エッセイ)

 

絵はがきの呪縛

 

 

 

パリに滞在していた友人から聞いた話である。どんよりと曇ったある日、日本人の団体客がエッフェル塔を見上げながら口々に喋っていた。「残念ね、この天気……」「そうよね、やっぱりパリは晴れてないとね~」「期待はずれだったわね」沈滞ムードが漂い始めたそのとき、一人の人がカバンからエッフェル塔の絵ハガキを取り出した。「アラー いいわね~」「やっぱり素敵よね~」「こうでなくちゃ、ね!・」すでに実物には目もくれず、絵ハガキを取り囲みながら納得した顔で、その場をすぐに立ち去ったという。目の前に、絵ハガキと同じ風景や光景が確認できないときに落胆する気持ちはわからないでもない。しかしそんなときこそ、自分だけの小さな発見ができるチャンスなのである。

 

 本来旅とは、絵ハガキと同じ風景を確認するために出かけるのではない。自分の価値観や常識を再確認するのではなく、新たな自分を再発見するのが旅ではないだろうか。価値観や風土の違う不安定な非日常世界で、もう一度自分自身を見つめ直してみる。身に染み付いた価値観からひととき脱出し、自分の心を浮遊させてみる・…、その醍醐味が旅にはある。

私たちには、毎日がワクワクドキドキしていた子供の頃があった。でも大人になり、才能や実力という自分の身の丈が見え始める。年を重ねるにつれて、明日への期待や夢の枠は、どんどんと狭まってもゆく。子供の頃に過ごした一年間はとても長く感じられたのに、三十代以降に過ごした一年間のなんと短く感じることだろうか。夢も心もフワフワと浮遊し、毎日が輝いていた子供の頃には、心の秒針もゆっくりと動いていたのだろう。

 

 逆に、一年先が読める安心感や変化のない生活の退屈さは、心の老いを刻む針の速度を一気に早める危険をはらんでいるのかもしれない。そこでは、新たな自分を再発見する努力は忘れがちになり、今ある自分を納得させる作業が始まっている。「

まあ、こんなもんよ」「うん、わかってるよ」「しかたないわね……」。自ら吐くこれらの言葉は、毎日心に少しずつ積み重なり沈殿してゆく。年齢にかかわらず、この沈殿物の深さがその人の心の老いを測る物差しではないだろうか。

 

 


一人旅は心の成人式(紀行エッセイ)

 

一人旅は心の成人式

 

 

かわいい子には旅をさせろ、と昔からよくいわれる。これは、集団での旅ではなく、一人旅のことと解釈している。では何歳くらいの子を対象としているのだろうか。アフリカのある種族では、男の子がある一定の年齢に達すれば、サバンナヘの一人旅が義務づけられているという。それも半年から一年の長期に及ぶ。狩猟採集の生活をする民族の多くは、このような通過儀礼としての旅が残っていた。この通過儀礼は、男の子にとって、子供から大人の男への通過点でもある。

旅先には自分の知らなかった世界があり、その世界は不安とワクワクする刺激が混在している。男の子は長期にわたり、精神的にも肉体的にも不安定な世界に身を浸す。これまでの常識が通用しないかもしれない。危険な状況に遭遇することもあるだろう。無事に帰ってこられない者もいただろう。

 でも、それは大人への階段でもあり、越さなければならないハードルでもある。そこでは自分の弱さに真摯に向き合う場面がある。逆に、見えなかった自分の心の強さを再発見することもあるだろう。そんな中で男の子は、大人の男へと変身してゆく。そして旅を終えて村に帰ってくると、一人前の男として迎えられる。大人から愛情をそそがれる側に住んでいたかわいい子は、他人へも愛情をそそぐ側の世界の住人となってゆくのである。

 

 一人旅とは、心の成人式ではないだろうかと思う。心の成人とは、自分の心の強さ、弱さを自覚できることであり、他人の心の強さ、弱さを受けとめられる人のことと思う。民俗学者の柳田国男は「旅」の語源を、「タビとは給へであり、交易を求むる声であったと想像している」といっている。給へとは、相手に物事を依頼する言葉である。昔の交易においては、金銭は介在せず、互いに不足するものを交換していた。

 

 一人旅は、未完成の心の不足を補ってゆく旅である。形骸化した成人式では、群れて暴走するが、一人になると極端に弱くなる日本の若者たち。豊かな栄養で肉体だけは一人前。でもほんとうに必要なのは、一人旅で得られるような心の栄養ではないだろうか。

 

 


歳末蔵出し・思い出のアルバム(エベレスト遠征)

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今日は祭日ですので、特別編としてお届けしましょう。時代は、2001年春。私はエベレスト遠征隊に参加したのでした。その時の写真です。このときは、一度高度順応のために5500メートルの小さなピークを登り、一旦所要のために、日本まで帰国いたします。そして日本でものの1週間程度滞在した後、再度ネパールへ渡航し直し、エベレストのベースキャンプへと向かうのでした。上の写真は支援隊のメンバーと一緒に・・。

色彩は「白」と「青」しかない、標高5500メートルの世界から、一気に「命芽吹く日本の春」を一週間だけ味わい、再度、雪と氷、そして気温マイナス20度の世界に戻ったのです。頭が少々こんがらがりましたが、そんな中で、微細に変化する日本の四季の季節感の深みに改めて驚かされたものでした。なんたって、5500メートル以上では、イエスかノーの選択しかないような世界なのです。

「淡さ」とか「まどろみ」とか「おだやかな」とか「うららかな」・・・、なんて言葉が入り込む余地は一切ないのです。それだけに、一時帰国の際に感じた日本の風景には、心打たれたのです。

下の写真は、エベレストベーキャンプにて。

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歳末蔵出し・思い出のアルバム(コカコーラの宣伝?)

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本日の蔵出し写真、「パキスタンの矢沢栄吉?」ではありません。1989年8月5日という日付けが読み取れますね・・。確かにこの頃、矢沢の栄ちゃんソングが流行っていました。その影響なのか、矢沢風のタオルをもって、パキスタンのナンガパルパット峰の氷河に立っています。8月のパキスタンは、「もう、殺してくれ!」と言いたくなる位の、猛暑というより酷暑なのです。

単純に、その標高が高いだけからの命名なのか・・?「カラコルム・ハイウェイ」という、尋常でない場所につけられた道を、尋常でない気温の中を走ってきたのです。そうすると、不老長寿の里として名高いフンザ地区に到着します。そこで、一旦体制を整えた後、おんぼろジープでガードレールもなにもない激流沿いの山道を、暑いにもかかわらず、冷や汗を流しながらアプローチするのです。

そうすると、なんと「メルヘンの高原」と名づけられた標高3000メートルのこの場所に到着するのです。周りには氷河が展開し、朝晩は結構冷え込むのです。そして眼前には、「悲劇の山」として知られる、何人もの登山家が命を落としたナンガパルパット峰の巨峰が展開しているのです。

そんな場所での、「コーク イズ イット!」。矢沢の上をいってるかな・・・?(代表)

 

 

 


男女のレンズの差

男女のレンズの差 

 国内外の山歩きの案内をしていると、グループの多数は五十代、六十代の中高年女性が占めていることに気が付く。彼女たちに間くと、最近になって野山へ出かけるようになったと言う。子供がすでに巣立ちをし、自分の人生を見つめ直す時期がきた頃から、なぜか足が繁華街よりも野山へ向くようになったという。先日も里山を歩いていたら、数人の中高年女性と出会った。彼女たちは、ほんとうに楽しそうに歩いていた。無理なくノンビリと歩き、そして道中ずっと仲間たちと賑やかに喋っていた。道端の小さな花を見ては立ち止まり、景色のいい場所では深呼吸をし、頂上では手作りのお弁当を広げておかずの品評会をしていた。

  ヒマラヤの街道筋を歩くトレッキングの旅でも同じような光景をよく見る。女性たちは、通りすがりの現地の子供に話しかけ、民家があれば興味深けに台所まで覗きこむ。街道筋にある道端の露店では、土産品のアクセサリーや民芸品を吟味し、峠の茶屋では一杯のミルクティーで茶のみ談義に花を咲かせている。「おさんどんしなくていいのがいいわね」「そうね、でもチョット家が心配……」「何か飼ってるの? 描?」「ウ~ン、主人を……」ほんの束の間、夫のことを思い出すが、すぐに茶屋の土産物へと目線は移っていく。その横で、少数派の男性は、地図を片手に山の名前や標高を独り言で呟く。「よし!五百メートル登ったぞ」「あれが、この山だな」「あと、2時間かな」 

 男性は、いつも目標に向かって黙々と歩くスタイル。それに対して女性たちの歩き方は、立ち止まりが多い寄り道スタイル。男性の目線は絶えず上を向いた望遠レンズ。女性の目線は上下左右と絶えず動く、音声付きの広角レンズともいえる。少々賑やかな彼女たちを見ていると、旅や人生の味わい方について教えられる。里山への日帰りハイキングでも、初めて出会った人同士がすぐに仲間となり、路傍の野仏に手を合わせ、昔の人たちとも心で会話する。道端の花や野鳥のさえずり、柔らかい木洩れ日の温かさといった自然の恵みに素直に反応する。体の健康のために山歩きを始めた彼女たちは、心の健康も取り戻しているようだ。

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このエッセイは、清水代表が中国新聞社に連載されていたものを抜粋しています。会員の方々より、このエッセイ集を再度ブログ上にて掲載することを希望されています。折に触れて清水代表のエッセイを文面のみご紹介してゆきましょう!


歳末蔵出し・思い出のアルバム(さあ!急げ!)

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「さあ!急ぎましょう!」という言葉が聞こえてきますね・・。場所は、カナディアンロッキーの山中です。このプログラムは、カナディアンロッキー山中でのヘリを使ったトレッキングだったのです。ヘリを降りてからの注意事項が、頭を下げて、思いっきり羽根の回転範囲から逃げ出す、とのことでしたので、重たい荷物を抱えながら、まるで戦場からの逃避のような姿になっています。

この荷物の中には、テントや食料が満載されており、山中で確か3泊くらいしたと記憶しています。それも、灰色熊の出没する山中のテント場だったのです。ある日の早朝(4時頃だったかな)テントの中で寝ていると、「ブスブス、ガザガザ」という音が聞こえました。思わず、「グリズリー!」と体中に緊張が走りました。しかし、テントの薄い布地1枚隔ててはいるものの、物音を極力たてまい、と身動きひとつたてず、呼吸も喉の奥で止めるくらい静かに、していました。

ほんとうに脇の下から「じわ~」と汗が流れ落ちてくるのがわかります。テントの外では「ブスブス」と、鼻息を鳴らす音と、四足の足音が聞こえます。ほんとうに生きた心地がしませんでした。何分間か経ったのでしょうか・・。記憶がありません。外で物音がしなくなってから、30分はそのままの体勢でいたと思います。そして、おそるおそる、テントのジッパーを開けて外を見ると、なにもいません。

足跡を確認し、写真をとって後日、「カナディアンロッキーに住んでいる友人に見せると、「そいつは、エルク(へら鹿)だ」、とのことでした。確かに、熊の足跡ではなかったのです。現在は、ほとんどのプログラムがヘリで入域し、完備された設備のあるロッジに宿泊するのがほとんどになっていますので、このような緊張感を味わうことはまずないでしょう。(代表)


今朝6時の中国山地の山里は・・・。雪・・。

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今朝6時の撮影です。雪がしんしんと降り続いています。

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道路は、雪かきをしたのですが、道の両サイドにはすでに40センチ程度は積もっております。

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このような、雪の朝は、なにもかもが浄化されているようで、寒いのですが、とても爽やかでもあります。


歳末蔵出し・思い出のアルバム(氷河末端の会話)

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今日の蔵出し写真は、カナディアンロッキーの山中での撮影です。この場所は、カナディアンロッキーの中でも名峰中の名峰、マウント・ロブソンの山麓です。山麓といっても、このような大きなロック(岩)がごろごろしていますね。ここは、氷河から流れ込んでくるモレーン(土砂堆積流)の末端部分なのです。同行者に、氷河の成り立ちなどを話しているのでしょうか?それとも、いただいたスイーツの甘さについて会話しているのでしょうか・・・?

この頃のカナディアンロッキーのトレッキングは、まだまだ「ドゥ・イット・マイセルフ」の時代でした。荷物を30キロ程度かついでのアプローチ。灰色熊が出没するといわれる山中でのテント泊。それぐらい、自分たちの体力で勝負するトレッキングに出かけると、このような大自然の懐深くまで入り込むことができたのです。最近のカナディアンロッキーは、ヘリコプター移動が普及しており、楽して山奥のロッジまで運んでくれるのです。それはそれで快適ではあるのですが・・。ついでに、上の写真だけでは、ロッキーの雄大さがお解かりいただけないので、特別に下に写真を追記しておきましょう。(代表)

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この写真の風景を前にして、上の写真の構図があるわけです。

 


歳末蔵出し・思い出のアルバム(ハミ売りはいかが?)

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本日の蔵出し写真は、「にわか日焼け、にわかハミ瓜・売り」です。中国の新疆ウイグル自治区も、現在のような経済成長の時代ではありませんでした。ほんの20年ほどの前の話なのです。ウイグル族のおと~さんたちもの表情も、ハミ瓜のように甘く、にこやかなものです。

本年にメディアを揺るがせた、新疆ウイグル自治区での民族問題・・。根っこは、この時代から起こり始めていたのです。写真は1980年代後半ですが、すでに砂漠の中では、核実験がおこなわれ、そして天然ガスや石油の開発がはじまろうとしていたのです。まだ、1980年から1990年代にかけては、そこまで、漢民族の新疆地区への移住は多くありませんでした。しかし、2000年代に入ると、この地域の急速な発展振りには、目を疑うものがありました。

新疆に住むウイグルの人たちは、イスラム教徒がほとんどです。イスラムの教えでは、富むものが富まざるものへ、さまざまな支援を施すのは当たり前のことなのです。イスラムの教えにも書いておることなのです。そこへ、急速に変貌を遂げる、中国式(漢民族式)資本主義が入り込んでくるのです。摩擦が起きないのが不思議なくらいでした。

美しい自然と、シルクロード時代からの歴史遺産を誇る新疆ウイグル自治区の将来をしっかりと定点観測地に設定していきたいと思っております。ということは、これからも幾度と無く訪れるということです。希望者がいれば、ご一緒しませんか?(代表)


清水代表・講演会報告

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昨日の清水代表の講演時の写真レポートです。このご講演は、ン見本旅行業協会と中国新聞社とが主催をし、シリーズ講演会(海外旅行セミナー)の第四回目だそうです。なんと、第四回目にして、今までの来場者の新記録だったそうです。80数名の方々が、清水代表のお話を聞かれたそうです。

今回の代表の講演テーマは、「歩く・見る・学ぶ、そして伝える旅~新しい健康旅行のありかた~」と題してのものでした。深呼吸クラブのモットーでもある、ため息を深呼吸に変える。そして、旅はココロの栄養素、さらには、深呼吸クラブは「5つのづくり工房」といった、設立当初からの基本理念に基づいたお話でした。

また、現在代表が力を注がれている、「養生ツーリズム」についての将来性などについてもお話がありました。さらには、代表自作のオリジナル・ヒーリング映像がふんだんに講演の中に織り込まれていました。

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歳末蔵出し・思い出のアルバム(ここはどこでしょう?)

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さて、この場所がお解かりになる方は、相当のアジア通でしょう。私の左手には、アジアの団体さんが写っていますね。そして、右手には、ちょっとレトロなファッションの白人さん・・。私の表情も、人々の表情もなにか物憂げに感じませんか・・?

その理由は、写真左手から「ヌ~」っと伸びてきている手とその帳面にあるかもしれません。ここはタイの首都バンコックの水上マーケットなのです。早朝に、エンジン付きボートに乗せられ(といっても自分たちで選んだ行程なのですが・・。早朝から暑くて、暑くて・・、どこにでも連れて行って・・・!状態なのです)ついた先が、冷房の効いていない、市場の中のみやげ物屋さん。

周りは水郷なので、売り子の攻勢から逃げるわけにもいかず、「いいかげん、はよ移動しようや・・」と、みんながつぶやいているのがわかります。でも、ある一定の時間は、このみやげ物屋さんに拘束されるのです。それが当時のシステムなのです・・。

現在タイも経済成長が著しいので、一時のようなアジア的混沌風景が減少しています。でも、1988年5月1日、その日の朝には、確実にアジア的エネルギーに敗北していた外国人がいたのです。(代表)


清水代表・講演会のご案内

本日午後2時から、清水代表の講演会があります。

題名 : 歩く・見る・学ぶ、そして伝える旅

        ~新しい健康旅行のあり方~

主催 : 日本旅行業協会・中国新聞社

場所 : 広島市まちづくり交流プラザ6階マルチスタジオ

費用 : 入場無料

※時間は2時間の予定ですが、代表はその時間内にオリジナル映像を13本も上映されるそうです。お話しの内容もそうですが、世界の珍しい風景や日本各地の美しい景観などを、見に来るだけでも価値がありそうです!なんと代表の個人歴史がわかる映像(これまで非公開)も初公開されるそうです。

代表は、2時間という講演時間を、「まるで1本の映画を見たような気分」になってもらいたい・・。とここ数日、プレゼンテーション準備に邁進されておられたようです。ぜひ、ご来場下さい。場所は、袋町小学校の横。広島市内のど真ん中です。(事務局)


歳末蔵出し・思い出のアルバム(タイ特殊部隊隊長と巡礼)

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本日の蔵出し写真は、タイの寺院です。しかし、私の左手にいる人物は、タイ陸軍の特殊部隊の隊長さんなのです。なんで、こんな人と一緒にお寺にいるのか?ということですが・・。まず、経済成長がまだまだ著しくなかった時代のタイ。資本主義経済の波にもまれ始めていたのは、なにも庶民ばっかりではなかったのでした。

私のタイ人の友人から、こんな誘いが入りました。「日本の若い男を鍛えなおすツアーを考えないかい?」。それは、タイの特殊部隊への体験入隊のプログラムだったのです。その当時、私は、日本の若い男の子にとっての成人(通過儀礼としての)式の形骸化に少々憂いがありました。私の20歳の時代には、まだまだ、海外への貧乏一人旅、というものが多少ともなり通過儀礼的に存在していました。ガイドブックも「地球の歩き方」シリーズは発売されていない時代です。海外での貧乏旅行は、等身サイズの自分を直視せざるを得ないのです。旅先での経験は、男の子を「愛情を注がれる側」の住人から、「愛情を注ぐ側の」住人へと変身させてゆく可能性を秘めているのです。

栄養が行き届いた日本の男の子の身体は一人前ですが、心の成人をいつ、どこで、誰から、教わったらいいのか・・?ということに気を揉んでもいました。成人式で、行政の長である人からのお話しでは、なかなか実感が伴わないのでしょう。そんな時に「特殊部隊体験入隊」のプログラムの話でしたので、「こりゃ、一度自分が体験せないけまへんな~」ちゅうことで、行ったんです。タイ中部の基地まで、のこのこと・・・。確かに、なかなかユニークです。実弾射撃などもできます。落下傘降下擬似体験もできます、そして、ジャングルの中でのサバイバル技術も教えてくれます。格闘技も習得できます。

そして、なにより、「祈り」の大切さも教えてくれるのが、タイ式特殊部隊のいいところでしょうか。写真のように、部隊の中に寺院があり、絶えず隊員が訪れています。そして、お坊さんの話に、耳を傾けているのです。

このプログラム。結果的には実現できませんでした。というのも、日本のヤクザ屋さんたちからもオファーがはいっているようで、その筋の方々と一緒に体験するのは、なかなかエキサイティングですが、帰国後、その筋の方々と妙な仲良しになってもいけませんので、実現化を延期しています。しかし、この通過儀礼としての、体験ツアー・・。いつか実施したいものですね。ただ、希望者が現在の日本にいるかどうか、そっちの方が心配になっています。(代表)


歳末蔵出し・思い出のアルバム(靴の裏をご覧あれ!)

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さてさて、歳末蔵出し・思い出のアルバムシリーズ・・。お楽しみいただいているでしょうか?写真提供側も、最初は、少々気恥ずかしかったのですが、「えいや~!恥かきついでに、この際、いろんな写真をみせたろうじゃないか・・・!」なんて一人鼻息が荒くなってきています。

今日の写真、昨日、おとといと同じ、人民帽が写っております。この当時の私のファッションだったのです。妙に人民帽が、思想的なこととは全然関係なく、ピタッとわが頭にフィットしていたのです。写真は、これまた、ふざけた調子で靴の裏のクローズアップ撮影をお願いしているのです。かすかな記憶では、日焼けした顔の黒さより、靴の裏の方がまだ白い!といったことを証明したいがためのポーズでした。

場所は、パミール高原。平均標高3000メートルの後半です。この写真の前方には、7000メートル級の非常に美しい山・ムスターグ・アタ(氷河の父、という意味)峰が聳えているのです。その峰のベースキャンプ地までのトレッキング調査に出かけているときの写真です。夏のパミール高原は、紫外線が非常に厳しく、ものの30分もすれば、顔の至る所が真っ黒けっけ・・。20歳代の私は、日焼けをものともせず、休憩ごとに、太陽に向かって地肌をむき出していたのです。

こんなことをやっていたから、厚顔無垢?それとも厚顔無恥?になったのでしょうか・・・?(代表)


歳末蔵出し・思い出のアルバム(レトロ・チャイナ)

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本日の蔵出し写真は、レトロ・チャイナというタイトルです。現在経済成長著しいチャイナ・・。しかし、ものの20年前くらいは、「イケテナイ国」の代表格だったのです。写真は、そのイケテナイ時代の中国新疆ウイグル自治区の空港です。飛行機もオンボロ・ロシアからの使い古した機材・・。私の後ろを歩いてくる、スッチーさんの制服も、どこか1960年代の日本の百貨店の売り子さん状態・・。

飛行機の横にある機材収集車もどこか軍用車仕立てです。そのようなチャイナに、タンクトップの黒尽くめの、アンちゃんが降り立ったのです。頭には、人民帽・・。今から思うと、解放軍の兵士に、よくよく殴られなかったな~、と冷や汗かいています。若気の至りとは、オソロシイものですな~。知らないってことは、それだけで十分冒険していることなのでしょうな~。

でも、若い男はこれぐらいでいいのです!自己弁護するようですが、20歳のときにダライラマ14世と1時間も話ができたのも、この「若気の至り」がエネルギー源だったのです。現在は非常に大人しい私からは、想像もできない?20歳代半ばの写真でした・・。(代表)


袋に詰められた「残り秋」

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大崎下島の御手洗地区にある、満舟寺の境内です。

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残り秋が、袋につめられています。

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歳末蔵出し・思い出のアルバム(幸せって・・?)

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今日の蔵出し写真・・。場所は、インドの北部・ラダック地方です。ここは、チベット文化を独特の形で継承してきた地域なのです。訪問年は、1985年。大学を卒業したばかりの私が写っています。貧乏だったのでしょう・・・。履いているジャージは、卒業したての大学の体育会専用ジャージです。このときご一緒した岡山からのグループの代表者の言葉が今でも心に響いています。写真左手から2番目の方です。

ラダック地方を訪問したのち、インドの首都デリーに戻ってきました。日本へ帰る飛行機へと向かうバスの中のことでした。それまで、ラダック地方も含め、すべての行程の全線ガイドしてくれた現地のインド人ガイドも同席していました。揺れるバスのなかで突然、代表者の方がすくっと立ち上がり、同行メンバーにこう言ったのです。

「みんな!4ドルづつ、私に渡してくれ!」。事由のわからないメンバーは、首をかしげながらも、みんな4ドルを集めて、バスの前方に座っている代表者の手に渡していきました。紙幣をきれいに束ねたのち、代表者の方は、再度立ち上がり、同行してくれたインド人ガイドに向かって、こう言ったのです。

今日までほんとうにありがとう。御蔭で楽しかった。お礼に、あなたに、皆からの(幸せ)を差し上げる!」

そして、4ドルづつ束ねた、紙幣を 「 4 あわせ 」 といいながら、手渡ししたのです。その瞬間、私は、「アッ!」と小さく声を洩らして、感動していました。こんな気の利いたチップの渡し方があるのか・・・。それも、日本人ならではのウィットに富んだフレーズを、アドリブ利かせた会話で包み込むなんて・・・。

当時も4ドルなんて、日本円にしてみればわずかなお金です。しかし、そのグループは25名くらいはいたのです。集めると結構なお金になり、それはインドの物価に照らせると、過分なほどのチップになっていまいた。しかし、それだけ、そのインド人のホスピタリティーは抜群のものだったのです。

代表者の頭の中には、そのようなインドの物価や、集金した際のお金の価値なども、十二分に入っていたはずです。さらには、同行日本語ガイドさんの「日本語理解力」も当然頭の中には入っていたはずです。 この岡山からの代表者もただものではなかった・・。地方都市の零細な鉄工所の社長さんでしたが・・。世の中には、肩書きや世間の通評だけでは判断できない人物観があります。私は、この岡山の鉄工所のオジサンのような人物を好みます。(代表)


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